モグネット ホーム インフォメーション お問い合わせ サイトマップ
ニュース ハンセン病 イベント&ワークキャンプ 茂木新聞社
ホーム  >  ハンセン病  >  ひとびと  >  

出会い(8)漢達通訊(ハンダ・ニュースレター)

ハンダ通信 Photo: © Yamaguchi Kazuko
「漢達通訊」は1996年3月、中国で初めて設立されたハンセン病回復者の組織「広州市漢達康福協会」の機関誌です。※1 漢達康福協会は、発足にあたって会の名前を「ハンセン病、、、、」とする事を善しとしなかったのです。そこでノルウェーのハンセン博士とモロカイのダミエン神父の名前をそれぞれいただき、「ハンダ」の音に合わせて「漢達」と命名しました。つづく「康福」は中国語でリハビリテーションを意味します。出会いの(2)で昨年ご紹介した同協会の理事で、作家であり詩人でもある林志明さん(76才)が編集主幹です。

私は中国語がわかるわけではありませんが、「漢達通訊」が届くたびに一冊カバンに忍ばせて、通勤電車の中で時間をかけて眺めています。するとびっしりと並んだ漢字の中から、書き手の声と心が自然と伝わってくるようで、なんとか記事の内容が理解できるようになります。(漢字の不思議な力です。)なかでも私がいつも感銘を受けるのは、ハンダの理事で※2作家で詩人でもある林志明さんが2002年7月から連載をはじめて広東省のハンセン療養所・村訪問記です。広東省全体で62ヶ所あるとされていた療養所や村は、林さんの調査でこれまで知られていない村々があることもわかり、全部で70ヶ所にのぼる事がわかりました。林さんはすでにそのうちの50ヶ所を訪問し、その結果に基づいて、現実的な提言をしています。長い苦難の人生を送ることを余儀なくされた回復者の晩年がすこしでも暖かい心で包まれるように、というのが林さんの願いだと思います。今回、蛮勇を振るって林さんの報告のほんの一部を紹介します。(林志明さん、間違いがあればお許し下さい。)

「片隅に忘れ去られた人々」

ハンセン病患者の生活史は、近代であれ封建時代であれ、世の心有る人々をして、『まさに血と涙の歴史だ』と無限の感慨と悲しみを覚えさせることだろう。今日ハンセン病は中国全土でほぼ根絶されている。しかしながら広東省内にはまだ多くのハンセン病療養所や村がある。※3 その多くは交通不便な僻地にあり、高齢病弱で障害をもつ回復者が住むには適切ではない。人々はいつの日か生活条件や交通の便の良いところに住めることを夢見ていた。今や人生の晩年に至り、美しく暖かい夕陽を見ることは出来るのだろうか。

広東省各地のハンセン療養所・村の現状を把握するため、老体ではあるが、辺境の地に入り、社会から忘れ去られ訪れる人もない、村々の状況を調査することにした。その目指すところは、これら回復者の生活状況を広く社会の心有る人々に届け、願わくば回復者たちの切実な願いが現実のものとなるきっかけをつくりたいと思うからである。

2000年4月18日、私は文照耀氏と共に、河源市※4のハンセン村を訪ねて河源市行きの列車に乗った。われわれはまず河源市衛生局当局の了解を得て同市の疾病管理センターに紹介を受け、河源市にある5ヶ所の慢性疾患対策所(ハンセン病は慢性疾患対策部門が担当)の組織と所在を把握。さらに慢性疾患対策所を通して、管内のハンセン村の所在地や状況を入手した。はるばるやってきたのだから、必ずや村に深く入り、村の様子を見、村の回復者に会わなくてはならない。

村に入る道は車の通らない道。数時間歩いて到達することも珍しくない。陸の孤島。 Photo: © Yamaguchi Kazuko

<羅坑療養所>

まず始めに東源郡義合村の羅坑療養所に着いた。同所の担当官は遠路やってきたわれわれ二人を訝しげに見ていたが事情が分かると所長は我々を心から歓迎してくれた。羅坑療養所の居住者は高齢の障害者が20人。居住地はさらに奥深い場所にあるがバイクは通れる。ここの回復者たちには当局から毎月米と小遣い銭が支給されているが、生活は極めて苦しい。但し、医師は長期的に駐在している。外部からの慰問が多い広州市内の療養所とは違って、社会から隔絶されている点が気の毒だ。外の社会の人々はここの生活は一切しらないし、ここの住民は外の社会の大きな変化を一切知らないのだ。所長の要望は大したものではなく、20人分の蚊帳が早急に必要だというものであった。この要請は是非とも持ちかえって実現したい。

<甘洞療養所>

2番目に訪れたのは、(河源から60キロほど南に下った)紫禁の甘洞療養所だった。現在の居住者は9人。政府から毎月100元(約1500円)の生活費が支給されている。医師は駐在している。ここも山奥でバイクは何とか通れるが、道は険しい。村には空家となった住居が見られ、残る人達はみな高齢の障害者である。

<龍川回復者村>

甘洞を出て、翌日(さらに東北50キロの)龍川郡の龍川療養所に着いた。ここの居住者は23人。生活費は政府から支給されている50元(約750円)。交通の便は極めて悪く、バイクも通れない。水の確保も難しい。2002年春には渇水があり、住民は飲料水を外部から購入せざるを得なかったため、一層の生活困窮を来たした。住居は崩れかけており補修が必要。所長は水の確保が最優先と言い、飲料水用の井戸が欲しいと援助を希望している。

<岩背療養所>

4月21日和平郡林塞村(さらに北東へ60キロ、北に隣接する江西省との境界に近い楓樹貯水湖の近く)の岩背療養所に到着。ここはこれまでの三ヶ所に比べて交通の便は最悪。山また山を越えなくてはならず、車は一切入れない。岩背療養所にやっと登りついたときの気持ちは形容しがたい。突然「天生一个神仙洞, 無限風光在険峰」という詩を思い出した。険しい峰の上にあるこの岩背療養所は、仙人の住む洞窟のような静寂の中。まさにこの世の仙人だ。岩背には平均年齢70に近い三人が居住している。政府から月に80元(約1200円)を支給されている。ランプ生活で、山の涌き水を飲用。生活状況は極めて困難。薪を取りに行くにも山道を三時間歩くという。

<立新療養所>

4月22日連平郡(西へ40キロ、やはり省境に近い)の立新療養所を訪ねた。車が通らない道のさらに奥にある立新の住人は4人。内3人は桂名病院に入院中で、残るは家族もいない謝観沐さんただ1人。毎月80元の生活費で生活している。連平郡の慢性疾患対策所の謝再元所長は我々の到着を知って、ここの状況を説明してくれたが、指を一本起てて「たった一人だよ」という。しかし我々が一人でもやはり会いたいというと、我々の気持ちに感動してモーター三輪車を一台借り上げ、一人の医師を同行させてくれた。車がでこぼこの山道を進みはじめると、シートに坐っていられない。内臓が飛び出すのではないかと思うほどの揺れであった。車は途中の小さな村から先は進めない。車をおりて一時間ほど歩くと、壊れかけた家並が立ち並ぶ村に着いた。ここがたった一人の住人の村だ。村はまさに人間が消えてしまったように荒涼としている。町から遥か離れた深山に一人住む謝観沐さんを思うと胸が痛んだ。冬の寒さ夏の暑さ、雨や風の日々、生きつづけることの苦難は想像を絶する。謝観沐さんの住んでいる部屋の前に来ると、扉が締まっている。多分山に薪を採りに出かけたのだろうが、この深い山の中のどこに居るのか知るすべもない。今回彼に会えなかったことは心底残念なことだった。謝再元所長は、謝観沐さんが一日も早くこの荒れ果てた山の生活を辞めてくれることを願っているという。

今回5つの療養所を訪問して、深く感ずることがあった。これらの療養所の多くはわが国の解放初期あるいは人民公社時代に建設されている。当時一般民衆のハンセン病にたいする認識は、過去の伝統的な観念にとらわれていた。したがって、ハンセン病患者に対する人々の悪感情を避けるため、建設資材をこのようなところまで運搬するなど大変な苦労をして、山や森の奥、四方を水に囲まれた場所など、世間の目の届かないところに療養所を建設したのだ。しかしその後時を経て状況は変わった。今日では有効な治療法もあり、一般民衆も次第に正しい認識をもち科学的な態度で対応する人も少なくない。しかし残された問題の解決は極めて難しい。

5つの療養所は、いずれも交通は困難、環境は劣悪、そして居住者が減少傾向にある。この報告は簡略なもので、漏れもあるかもしれないが、全て間違いない事実である。5ヶ所の住民は全部併せても56人に過ぎない。もしどこか適当な場所に皆を集めることが出来れば、生活面や医療面など改善も可能で、理想的な方法だと考える。広東省南雄市の小岑療養所(今回の訪問箇所よりさらに北の江西省境界)の場合、政府の支援や民間慈善団体の協力、幅広い民衆の力を結集して、より条件の良い韶西療養所に移転した。この例は、ハンセン病回復者村の合併のモデルであり、今後の発展方向の一つであろう。

一人のハンセン病回復者として、私自身感じるところは、我々の世代がこの世を去った後、再び我々のような不幸な人間は世に出ることはないだろうということだ。なぜならば、今後たとえ少数の新患者が出るとしても、速やかに治癒し、我々が歩んだような苦しみに会うことは決してないだろう。我々は年々高齢化して行き、悲しい話ばかりである。今後どれほどこの世に生き長らえるだろうか。苦難の時代を生きたハンセン病回復者たちが楽しい晩年を過ごせるようにすることは、人道的な正義であり、人類愛にも合った極めて大切なことではないだろうか。私は各界の善意ある人々に訴えたい。河源地方のハンセン病回復者たち (いや、河源地方ばかりでなく、もっと困難な状況におかれている回復者たち)が関係各位や福祉団体、心有る人々の協力で、一日も早く集中居住の形を実現し、安心して晩年を過ごせるように願うものである。

林志明さんはその後も勢力的に僻地の療養所探訪を続け、「漢達通訊」の毎号にその報告を載せています。それらの報告を通して明らかになったことは、広東省のハンセン病療養所の大半が1950年代後半から60年代に掛けて設立されたもので、その後の社会状況の変化の中でも放置されつづけたということです。中国全土につくられたハンセン病療養所・村の数は、600とも800とも言われています。ハンダ名誉理事長※5の楊理合医師の推察によると、1950-60年代の人民公社運動の高まりの中で、人民公社は人々の生活の単位となり、食・住の多くの場面で共同生活をするようになった結果、ハンセン病の患者の存在が周囲に知れ、人々の排除の対象となった。そこで各地に患者排除の動きが起こり、遠隔の地にハンセン病施設・村を建設して患者を追放したのかこの背景ではないか、ということでした。それはまさに「棄民」であり、人々はわずかな生活扶助で自活することを余儀なくされたのです。その背景にどのような法的根拠があったのか、ハンダでも調査が必要との認識がありますが、村の人々は日々の生活に追われ、医療不在の現実に苦しみつつ高齢化と障害の悪化がすすんでいるのが現実です。ハンセン病療養所や村の生活環境や待遇は、所在地を管轄する市や県の政府の理解や財政状況により差があります。※6 広東省は中国では有数の富裕省ですが、その広東省のなかですら、市や県の財政状況により林志明さんの報告にあるような現実があるのですから、内陸の省(雲南、四川、貴州など)の状況は想像に難くないと言って良いでしょう。ハンダの啓発活動の結果少しづつ社会の関心が高まってきているのは事実で、施設の改善、医療費の支給など政府の対策の改善もみられます。また民間有志の援助で「一日バスレク」といった試みも、「漢達通訊」誌上で報道されています。

中国のハンセン病回復者の人々が、暖かく美しい夕陽につつまれた晩年の日々過ごすことが出来るために、「漢達通訊」の果たす役割は誠に大きいものがあります。少しづつ善意のボランティアが集まりつつあるハンダ(漢達康福協会)の周辺ですが、ボランティア活動の活性化は社会の成熟を必要とする側面もあり、目覚しい経済発展を遂げている中国で、人間の誠意や善意がどのように組織され、具体的な成果となって蓄積されていくのか、ハンダの活動は世界から見守られ、且つ見つめられているといって良いでしょう。

  1. 発足当時の年間2号から、3号になり、昨年は特別号を加えて年間5号を発刊し、今年はさらに意欲的に特別号を2回を含む年間6号の発刊をめざしています。表紙の「漢達通訊」の漢字と英字だけを鮮やかな赤で印刷したB5版12ページの本誌は質素な単色印刷ですが、最近の号は白黒の写真も多く入れて情報量の多いニュース誌となっています。発行部数は1500。国内330以上のハンセン村や団体に送るほか、200人以上の個人にも郵送されています。年間総予算は約30万円。中国のハンセン病回復者の「声」を社会に届ける手段として高い評価を受けています。
  2. 林志明さんは2003年11月の第3回ハンダ理事会で、楊理合医師とともにハンダの名誉理事長に選出されました。
  3. 「療養所」と訳したのは、中国語では「医院」とされているもので、本来治療部門と居住区とに分かれて建設されている。当初は医師、看護師等が配属されていたが、治療部門と居住区は距離的にかなり離れているのが通常で、緊密な対応がされているとは限らない。1980年代から患者の「収容」がほぼなくなり、医療関係者は少数を除き施設から転出した。今日では「医院」という名称は残るものの、一部を除き医療介護は行われていない。「村」と記したものもほぼ同様である。広東省全域で登録されているのは62ヶ所、居住者は3,704人(漢達通訊)となっている。ただし林さんの調査で、さらに知られない村が存在することが明らかになりつつある。
  4. 広東省広州市から東北へ200キロ弱。大きな湖水やダムが近くにある。
  5. 2003年11月の第3回漢達康福協会理事会において、楊理合医師と林志明氏はともに名誉理事長に選出された。
  6. 広東省の場合、回復者一人当たり毎月50元(750円)の医療費が予算化されている。広東省の中でも経済成長著しい都市である佛山市の場合、2003年1月から生活援助金は従来の月額360元から500元(7,500円)に増額され、11月支給時から実施された。これは全国でも最高額。加えて1月から10月までの10か月分の差額1400元(21,000円相当)が支給された。「漢達通訊」への投稿で、佛山市南海区の紅衛療養所の居住者は、全国各地の当局に、これをモデルとして全ての回復者が晩年の日々を幸せに過ごせるように配慮されたいと書いている。
モグネット https://mognet.org