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真宗(仏教)とハンセン病差別問題について

【註】

註1 ハンセン病差別法話問題
布教使某があるお寺で、行ったこともない療養所に通っているように話し、ことさらハンセン病についての恐怖をあおった法話が差別法話として問題になった。
註2 亀川村事件
1954年(昭和29)年5月に惹起した亀川村差別事件、『不幸な運命に生まれるものは不幸な種をまいている。幸福な運命に生まれたものは幸福な種をまいている。エッタボシ(著者註 歴史的賤称語。「穢多」をより差別性を強めてなまった言葉)や※ドレに生まれるものは、前世でそのような種をまいている。』(1986年・御同朋の社会をめざして・第3集・差別事件に学ぶヨリ)
「差別事件に学ぶ」では、「ドレイ」と記載してあるが、正しくは「ドレ」和歌山地方での「ハンセン病患者」への賤称語であると岩本孝樹氏の教示して頂いた。

註3 日本霊異記
例えば、完訳日本の古典8・日本霊異・小学館刊では「白なまず」と記されている。白ナマズも重い皮膚病一般をさすが、ここでは特に註もなく見過ごしてしまいそうな記載で、聖書もそうだが、歴史的事実であるので正面から受け止めていくべきである。

註4 「差別を支えた『善悪因果経』をめぐって」―同和教育論究 7号―

註5 「善光寺まいり」五来重―平凡社―

註6 石山本願寺日記・上巻より
天文5年1月7日
弦懸越中、弦十張あげ候。いつも弐百文取之由、取次周防
天文5年2月6日
つるかけのほうらい、つる20張上、毎年五百文遺よし上野申、其分候
天文6年1月6日
弦懸越中拾張、如佳例倒来候。取次周防
天文6年1月17日
住吉長居の宿、興五郎弓弦五張出候。毎年大坂にて鏡取候由候間、一枚遺候
天文6年1月29日
つるかけほうらい廿張持参来候
天文7年1月7日
弦懸越中如嘉例 十張捧之候、即廿疋やり候。取次周防
天文8年1月6日
弦懸十張上之
天文8年1月9日
住吉長井之宿弦十張出之。即鏡取也
天文9年1月6日
弦懸越中十張上之
天文11年8月1日
弦懸ほうらい弦廿張出之。(※この限りではないかもしれない。)

註7 例えば、「聖典セミナー親鸞聖人絵伝・平松令三・本願寺出版」P280

註8 『大谷本願寺由緒緒通鑑』(正徳五=一七七五年刊、外題「本願寺由緒紀」)河田光夫著作集一巻より孫引き。

問テ云ク、『御絵伝』御葬礼ノ所二赤装束ノ者六人アリテ、是ヲ弦練作(ツルメソ)ト云ハ何者ゾヤ。
答云ク、是ハ〔親鸞〕聖人ノ御教化ヲ請タル履(クツ)作也。……京建仁寺ノ辺二住シ、沓ヲ作、又弓ノ弦等ヲ造テ渡世トス。祇園ノ祭日ニ詣テ神輿ヲ衛衛スル役アリ。是ヲ世ニ犬神人ト云也。

祖師〔親鸞〕聖人ノ御在世ニ、竹摩ト云沓作リ御勧化ヲ受テ、他力往生ノ信心ヲ得タリ。聖人越後御住居ノ時分、毎年北国ヘ下リ、御拝顔セリ。聖人、京都ノ義、委細御尋アリテ、御満足アソバサレケル。承元四年ノ夏ノ初、竹摩越後ヘ参リケル時、聖人仰ラレシハ、「毎年、其方遠キ道ヲ経テ来故、上方ノ物語具ニ聞テ慰ナリ。此比ハ、汝ガ来ルコトノ遅キヲ待カネタリ。其方来コトハ、宝ノ降来ヤウニ思ゾ」ト、仰ラレシヨリ、宝来トゾ申ケル。
聖人御帰洛ノ後ハ、参仕絶ズ、御教化ヲ受悦ケル。御葬送ノ時ハ、親族六人申シ合セテ、野辺ノ御供仕リシナリ。

 此子孫相続シテ、御代々御相承ノ善知識ノ御葬礼二出ルノ例トナリ、今ニイタリテ宝来ト異名シケルナリ。

註9 別冊宝島EX・京都魔界めぐり「陰陽師・阿倍清明像を祀る“病人の村”の正体」1994年

註10 穢多非人等の称廃せられ候条、一般の民籍へ編入し申すべき義等御布告に付、右非人等とこれ有る義は、藤内も同様に御座候哉と伺い奉り候所、右伺の通り相心得べき旨仰せ渡せられ、就ては地租其外除・(ケン)の仕来りこれ有り候はば、引直し方見込取調べ御達申すべき旨仰せ渡せられ候、仍て左の者の義も同様取しらべ申すべく存じ奉り候

一 皮多
一 物吉
一 舞々

 但、此外にも従前非人の扱の者これあり候えば書上げ申すべく候右の者迄も地租取しらべ、左の通書上ぐるべく存じ奉り候(上杉聰 天皇制と部落差別 三一新書)

註11 四国巡礼は通常「遍路」というが、ハンセン病発病者の場合は侮蔑的に「ヘンド」といわれた。「差別者のボクに捧げる・三宅一志」によると、P48「四国のへんどの墓石は、自然石のままの粗末なものである。『釈明岳信女 文化四年十二月二十七日』」とある。ここに真宗の法名と推測される名前が出てくるが、先の「過去帳法名調査のまとめ」を見てもヘンド墓等の報告が無い、本派以外の法名であるかもしれないが、この辺りはもう一度取り組むべき問題である。

註12 テストウィード.静岡復生病院。ハンナ・リデル.熊本回春病院。ケリー・ヤングマン.東京慰廃園。ジャン・マリー・コール.熊本侍労院。

註13 小笠原登については、ハンセン病関係の本に比較的載っているが、三浦参玄洞については、水平社運動史や本願寺派の同朋運動史を考える上で、さらなる研究が待たれる。

註14 国家神道という用語は1945年12月15日に連合最高司令部が出した「神道指令」によって一般化した。
それより以前に文部省宗教局員の豊田武が1938年に出した「日本宗教制度史」が最初であると思われる。
豊田はこの中で、「国家神道乃至は神社神道が信教の自由の外に置かれたことは、我国独特の制度といわねばならぬ。しかもかかる神道主義の鼓吹は国家意識の高まりとともにますます強く行われ、今や信教の自由もただ神道の権威を害せざる範囲においてのみ存在をゆるされるが如き状態となった。」と、日本独特の制度として、信教の自由の外に置かれる。

註15 真俗二諦
例えば、1886年の「一宗の教旨は、仏号を聞信し大悲を念報する、之を真諦と云ひ、人道を履行し王法を遵守する、之を俗諦と云ふ。是即ち他力の安心に住し報恩の経営をなすものなれば、之を二諦相資の妙旨とす」や、明如上人の「のちの世は弥陀の誓いにまかせつつ生命をやすく君に捧げよ」など。

註16 この鐘には、大谷〓(糸へんに壬)子裏方の姉にあたる貞明皇太后の「つれづれの友となりても慰めよ 行くこと難きわれにかはりて」という詩が裏方の揮毫で刻まれており、仁徳の代理を裏方が担っていることがわかる。

註17 法務部員
長島愛生園真宗同朋会五十年記念誌―淨華―より。
【法務部結成】
終戦後、徐々に園内にも物心両面に好転の兆候が見えはじめてきたとはいえ、なお心の安定は見い出されず、暗中模索の暮らしが続くなかおのずから何かに頼らねばと気付くものが多かった。当時の宗教団体の指導的立場の栗下信策には特に強くひびいたのであろう。
そうした最中(さなか)の昭和二十二年十月、僧籍のある藤井善が入園して協力者となり、いよいよ繁栄の気運にのり充実を見ようとする時、藤井導使は精神的過労も手伝ってか病名不明の熱病におかされ、生死の危機の重体におかされたことがある。栗下は折角運営が軌道にのったのを惜しみ、藤井導使に若しもの事態があれば会の運営に支障のあることを憂慮して、継続と将来の繁栄を願い「法務員」をつくることをひそかに思考したのであった。(略)

 速進を求めるの書
一、得度式希望者募集の件
右は本年(二十九年)五月、真宗同朋会幹事会に於いて導師を養成し、希望者を求め資格を受くる事を決議いたしたるも早や六ケ月余りを経過す。いまだ何んらの具体的兆候を見ざるは誠に遺憾の極みであります。
このような事は平常の準備と機会を得た手続きをいたしおかねば俄かに出来るものに非ず、尤も後生の一大事に於いては得度をいたさぬとも信心一つに極まることは申す迄もありません。
しかし我れらも社会組識の中に生存するものにて愛生園もその中に在って園外にあるものに非ず、されば時代に即応したる方法に則って進むことを最も肝要のことと存じます。その故は、各宗それぞれの本山に於いては宗法宗義を定めこれに依って律しこれに従って行動いたしおるのであります。これを宗典に求むれば、教行信証に義なきを以って義とすと仰せられ御文の八ケ条にくわしく示しあり、また、私共が集会毎に領解文として述べる中に「定めおかせらるる御おきて一期をかぎりまもりもうすべくそうろう」と、社会一般の定めに準ずべき事を明きらかにしておるのであります。
そこで愛生園内の各宗状態を見れば昔と異なり、一般社会と同様の方法を以って進み、これがためか宗勢は盛んになり充実発展しつつあるのが実状であります。
この実例をあげれば、キリスト教にては小倉健次氏牧師、伊原国策氏は長老、玉木愛子姉は執事。禅宗にあっては澄川泰仙氏は僧侶となる。この方々は愛生園内に在ってこの資格を得られた人々である。
また、天理教にては教師免状なければ先達の資格なし。日蓮宗も牟田大峯氏は血脈相伝の僧にあらざれば印導を渡す資格なく、また無効なりという。真言宗もまたこれと同じような事を申しおられるのであります。幸い我が真宗にみりては藤井善氏ありと謂ども、導師とても金鉄の身にあらざれば永遠不変に相競すること不可解と存じます。また、導師以外に僧侶が出来て悪いと云う事もあるまじく、衆人は僧侶の多き法事こそ大法事として尊敬し随喜するのが実感実状であります。
然らば、現在将来に対し各宗団と相伍しゆく上において、また、らいを病む身と難ども国法に従い療養所に安住する我らが、この社会同様の資格を受くる事あえて差しつかえなき事と存じます。且又、衆人が三宝僧に随喜す実感情よりするもこの僧侶の資格を受くる事が、今の発展充実相続のために重要且
つ緊急の事と存ずる次第であります。仏法は無常をとき実践実行を生命といたします。この故に来る幹事会に於いて担当区内の信者より希望者を尋ね、氏名年令を記し速やかに申し込まれんことを御願いいたす次第であります。
  南無阿弥陀仏  合掌
  昭和二十九年十二月十六日
  栗下信策
  同朋会々長 小谷好生殿

この栗下の強い願望と熱意に現状を見るとき、今後の法務執行の上から法務員の必要性は欠くべからざるものであり、こうした実状をいつまでも放置しておくことはできなかった。そこで法務執行に志ある希望者をたずね懇請したのであった。そして気分的にも略式ではあるが法務の認可を兵庫教務所に請願した。その結果次のような通知書が届けられた

  昭和三十年十月八日
  兵庫教区教務所長 村上貫之 印
  愛生園真宗同朋会々員
  内野幸一殿
法務執行に関する通知のこと
かねて願い出のありました貴殿が、愛生園内に於いて法務を執り行われることについて本願寺より差し支えのない旨の通知がありましたので此の段御報せ致します。

右の通知書と同時に許可証も下りた。
 許可証
  内野幸一
右は愛生園に於いて真宗本願寺派の法務を執行することを認めます
  昭和三十年十月八日
  兵庫教区教務所長 村上貫之 印 (以下略)

註18 岡山から長島愛生園・邑久光明園を始めとする全国の療養所の縁のあった教団人も高齢化が進み、また亡くなられた方も多く、教団側の資料が不足していることを考えると、教団として聞き取り調査等資料として残しておく必要がある。

註19 教団全体としては、宗祖七〇〇回大遠忌法要の記念事業の一環として新生園、愛生園、光明園、青松園に佛教会館を建築がなされた。しかし、これも火葬場、納骨堂、とセットとしての葬場としての会館という意味があるのではないか。確かに欧米の療養所では教会を併設している所があるが、日本ではハンセン病療養所だけに見られる特異な姿であり、ここに化外に押し込めたという政策を追随した本願寺教団の問題性がある。

註20 HIVは、輸血・性交・注射器の共用・出産による子どもへの感染の4種類の感染経路がある。しかし、いずれも正しい知識と医療行為によって防ぐことが出来る。

註21 セクシャルマイノリティーは、同性愛・性同一性障害・両性具有等多岐に渡るが、ここでは仮に同性愛を取り上げた。

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[棚原正智(浄土真宗本願寺派光輪寺) 2003年4月27日、原典:「同和教育論究」23号]

真宗(仏教)とハンセン病差別問題について
はじめに
身分の時代
隔離の時代
新たな差別を見据えて

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