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真宗(仏教)とハンセン病差別問題について

新たな差別を見据えて

近年部落差別を創りだして来たものとして「ケガレ」というものが注目されている。「ケガレ」は色々な意味を含んでいて、その中に「化外(ケガイ)」という概念がある。これは社会外という意味で。いままでハンセン病の歴史を見てきたが、ハンセン病患者は一貫して「化外」に置かれて来た。現代でも、元患者の方までも入所者として「化外」に置いている。このような化外の民に対して真宗は何をして来て何をしなかったのであろうか。結局のところ、「真宗」だからという特筆すべきことはあまり無かったのではないかと思う。確かに新生園、全生園、愛生園、光明園、青松園、恵楓園の各園では、個人的に交流があり、真宗の教えによって自死を思い止まられたという入所者のお話は聞くが、これは個人的なものであって、真宗あるいは真宗教団とは言えない【註19】。差別がある故に、生前は本名を名のれず、骨になっても帰る所が無い。このような差別構造に、真宗は何もしなかった、何もしなかったというのは社会の中に埋没して差別に荷担したことである。
今後このような人間を化外の者として排斥する構造に対して私たちは注意をはらわなければならない、そうで無ければハンセン病差別を反省したとは言えないからだ。今一番ハンセン病差別と同じような構造を持ったものがHIVに対する差別である、既に就職差別等が起こり、本名を名のれず通名を使っておられる方がいらっしゃる。またHIVは、薬害エイズと薬害以外の要因で感染したエイズが存在する【註20】。ハンセン病もかつて淫行によって感染するということがまことしやかに言われていたことがある。確かにハンセン病の場合は風評だった、しかしエイズとどれ程の違いがあるのだろう、エイズは現段階では、延命治療の出来ても根本的な治療法は確立していないのだ。ゆわば死の恐怖を抱え込むことになる、その恐怖以外に世間からの偏見というものも同時に抱え込むことになる。感染症以外の問題を感染者に抱え込ませる社会とはなんだろう。はたしてHIVに対する偏見は、病気に対する偏見なのだろうか、治る病気であれば偏見は無かったのであろうか。治る治らないという視点で捉えていくと、治らないのであれば差別を肯定できるということになる。
例えばこれは病気ではないが、性的指向の問題がある【註21】。社会の大多数が異性愛者であるがために、友人たちからの会話から疎外され、テレビや雑誌で「ホモネタ」が嘲笑に対象になっていると自己嫌悪しながら一緒に笑う。自己の指向を否定することにより、自死する方もあると言う。一説によるとセクシャルマイノリティーは、人口の3%と言われている。本願寺派の僧侶という閉ざした例で考えてみても900人のセクシャルマイノリティーの方がおられるのではという推測がたつ。こう考えると僧侶の問題なのだが、残念ながら問題として捉える空気さえもない。これは本願寺教団自体にカミングアウトをさせない空気があるのだろう。親鸞の愚禿の名乗りとは、自己表明の叫びであるはずだ。この自己表明が出来ない状態がいつまでも続くのであれば、私たちはハンセン病差別からなにも学び得なかったと言えるだろう。
どのような事情があったとしても、苦悩を本人の責任にのみ押しつけて、差別を肯定する傍観者の態度を取ることは許されないことである。
信心の社会性という言葉が言われて久しいが。私たちは、ハンセン病問題で問われたことを、未来に向けて問い直し、新たなる化外(マイノリティー)を生み出さない営みを親鸞聖人の信を通して確立しなければならないであろう。

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[棚原正智(浄土真宗本願寺派光輪寺) 2003年4月27日、原典:「同和教育論究」23号]

真宗(仏教)とハンセン病差別問題について
はじめに
身分の時代
隔離の時代
新たな差別を見据えて

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