過去、本願寺(西本願寺)教団では、1987年にハンセン病差別法話問題【註1】が提起され、取り組みがなされてきた。しかしハンセン病差別という点では、1954年(昭和29)年の亀川村差別事件【註2】がある。これを契機に部落差別と業に対する取り組みは不完全とはいえなされたが、同時に前世の業とされたハンセン病に対する取り組みは皆無であったと言えよう。
この小論は、今改めてハンセン病を取り巻く差別と佛教の関係を明らかにし、今後同様の差別構造が継続しないために確認をするものである。
ここで問題とするハンセン病は、かつて「らい」と呼ばれていた。この「らい」という病名からくる差別と偏見に対する固定観念を打破するために、全国の療養所入所者の団体である「全国ハンセン病患者協議会(全患協)」では病名変更運動を展開し、現在はハンセン病という名前で定着した。
しかしこの小論では、明治期以前の病名を「らい」、発症者を「らい者」と記すことにする。理由は、後に記述するが「らい」という言葉は病名だけの意味ではなく、身分を指す名称であると推測されること、そして、明治以前は、「らい」という病名は、現在のハンセン病を指すだけではなく広く皮膚病を指していたように思われ、その中でハンセン病だけを取り出して論じることが不可能なことというのがその理由である。また、中世の被差別者の名称が多々登場するが、この論は過去の差別の歴史を明らかにし、現在につながる差別を解消するためであるので、ご理解していただきたい。
近世以前においては、病気の名称であり身分の名称であったことが、ハンセン病を取り巻く差別が複雑化する要因であったように思える。また近代・現代には、富国強兵論や優生思想による、発症者の囲い込み。そして、今なおHIVやB型肝炎、また障害者に対してハンセン病発症者が受けている差別構造が移行しているように思える。
浄土真宗においても「らい」及びハンセン病に対する歴史を明らかにしているとは言えない。
[棚原正智(浄土真宗本願寺派光輪寺) 2003年4月27日、原典:「同和教育論究」23号]
真宗(仏教)とハンセン病差別問題について
はじめに
身分の時代
隔離の時代
新たな差別を見据えて
註