中国のハンセン病療養所における学生の手によるワークキャンプは、2001年2月韓国の学生ボランティアグループPeace Campと日本の学生ボランティアグループFIWC関西委員会によって始められた。両グループは、30年以上にわたって韓国のハンセン病定着村でワークキャンプを開催してきたが、韓国の経済発展に伴い、定着村の生活状況も向上したことから、これまでの経験、人的ネットワークを活かして、新たな国のハンセン病施設にてワークキャンプを開催する目的で、中国のハンセン病療養所でのワークキャンプがはじまった。この活動は先にも述べたとおり、現在広東省、広西省、雲南省の3つの省またがる7つのハンセン病療養所にひろがり、日中韓11の団体がワークキャンプを主催している※4。
これら7つのワークキャンプがさらに発展し、活動をよりいっそう広げていくことを目的として、2004年8月「ワークキャンプ国際ネットワーク会議」(FIWC関東委員会主催、於中山大学教工活動中心、日本財団助成事業)が開催された。この会議には、中山大学、広東商学院、広西医科大学、韓山師範学院など中国の7つの大学の学生をはじめ、日本、韓国の大学生など総勢95名が参加した。この会議では、現在分散している各ワークキャンプの情報の統一、ワークキャンプ実施のための資金獲得方法などが話し合われた。
この会議によって、中国のハンセン病患者・快復者によって運営されるNGO漢達康福協会の中にワークキャンプを担当するセクション「家-JIA」が設立され、ワークキャンプの情報収集、資金の調達、ワークキャンプコーディネーターの育成など、ワークキャンプを行っていく学生たちのサポートをしていくことが決まった。また学生たちは、広東省広州市にある3大学(中山大学、広東商学院、曁南大学)の学生が、広州ワークキャンプ地域委員会を設立し、「家-JIA」のアドバイスを得ながら、ワークキャンプを運営していくこととなった。
そもそも韓国のボランティアグループPeace Campとともに、中国のハンセン病療養所でワークキャンプを開始したFIWC関西委員会は、1952年に設立された学生主体のボランティア団体で、その母体となったのは、キリスト教フレンズ派に属する「アメリカフレンズ奉仕団」である。この団体が第二次世界大戦後の日本で、日本の学生を集め、ワークキャンプを開催し、その活動に集った学生が設立したボランティアグループがFIWCであった。そのアメリカフレンズ奉仕団の当時のモットーは、下記のようなものであったという。「現地に種をまき、その種が木に育てば、活動を現地の木に任せていく」
この表現を借りるとすれば、今から50年前にアメリカフレンズ奉仕団によって日本にまかれた種は、FIWCという木に育ったということになろう。そしてこのFIWC関西委員会は、1970年代に韓国のハンセン病定着村で、韓国の大学生を集めてワークキャンプを開始した。これもたとえていうなら、FIWC関西委員会が30年前に韓国にまいた種が、Peace Campという木に育ったことになる。
そして今、日本の木FIWCと韓国の木Peace Campが、中国に種をまき始めている。そしてその種は、「家-JIA」として、「広州ワークキャンプ地域委員会」として、芽を出し、やがて大樹に育ってゆくことになろう。そしてその木が育つ土壌が、ハンセン病療養所である点が非常に興味深い。鶴見は「ハンセン病がアジアを結ぶ」と述べたが、ハンセン病療養所は、アジアの若者を結ぶ土壌として、非常に栄養分の高いものであるようだ。
(4) FIWC関東委員会中国駐在員原田僚太郎隔月レポート第2号(原田僚太郎、FIWC関東委員会、2004年)