ワークキャンプとは、第一次大戦後、スイスの平和主義者でクェーカー教徒のピエール・セレゾールによって始められた運動で、この運動は、1945年「アメリカフレンズ奉仕団」を通じて日本にも伝えられた。ワークキャンプでは、貧困や差別など社会的矛盾のある地域に一定期間泊り込み、無償で土木工事などを行う運動のことを指す。現在625箇所の中国のハンセン病療養所のうち、広東省・広西省・雲南省の3つの省にまたがる7つのハンセン病療養所で、主に日中韓の学生たちが、療養所内のトイレの建設・家屋の修復などを行うワークキャンプを開催している※2。
彼らのワークキャンプでは、1〜3週間程度、中国のハンセン病療養所の空き部屋に寝泊りし、自炊しながら、療養所の施設改善の土木工事に汗を流す。その中で彼らは、教条主義的に「差別は良くない」といった理屈を学ぶのではなく、療養所に暮らす人々とのありふれた出会いの中から、ハンセン病やハンセン病を病んだ人たちが歩んだ人生に触れ、人間が病気にかかることの持つ意味、ハンセン病患者のたどった歴史などを自然に学んでいく。
彼らの活動は、老朽化した療養所の施設改善や、入所者との交流のほかに、地理的にも精神的にも隔離されているハンセン病療養所を、周囲の村に開いていく力を持っている。
中国の療養所付近に暮らす住民は、ハンセン病療養所に足を踏み入れたこともなければ、どういった人々が療養所に暮らしているのかさえ、はっきり知らないケースが多い。「なにやら変な病気にかかった人が大勢住んでいるところ」といったイメージしか持っていない。そこへ日本や中国、韓国から若者が大勢大挙してやってきて、土木作業をし始めると、いわば動物園のパンダのように現地の人々の関心をひく。
そうこうしているとハンセン病療養所付近に暮らす人々のうち、まず子供たちがものめずらしさで療養所にやってくるようになる。その子供たちと、学生のキャンパーたちが作業の合間に遊んでやると、また次の日子供たちは、大勢の友達を連れてやってくるようになる。そうなってくると今度は、親たちが心配しだし、療養所に様子を見に来るようになる。そこで、中国の学生などがハンセン病療養所の様子、ハンセン病の正しい知識などを両親に伝えると、比較的容易に理解を示してくれることが多い。
「ハンセン病に対する正しい知識の普及と、ハンセン病快復者の人権の確立」といった「ひとびとの意識」に関わる事柄は、政府機関などがトップダウン式、教条主義的に上から叩き込もうとしても、うまくいかない。それよりむしろ、どんなところで子供が遊んでいるのか、心配になって見に来る親たちを前に、若い学生たちが話をしたほうが説得力をもつ。そもそも彼らが大挙して療養所内で寝泊りしていること自体が、ハンセン病が怖い病気ではないことを伝える何よりも雄弁なメッセージとなる。
そもそも病気とは、病気にかかり、治療され、もとの生活に戻っていってはじめて終わりとなる。しかしハンセン病の場合は、治療された後、「もとの生活に戻る」という段階に到達していない。
かといって日本同様、高齢化の進む中国のハンセン病療養所入所者にとって、いまさら療養所外の社会に戻ることはもはや現実的にむつかしい。
そこで大きな発想の転換が必要となる。高齢のハンセン病快復者が、いまだ差別と偏見の根強い療養所外の社会に復帰するのではなく、ハンセン病療養所自体を、「社会」にしていく、つまり高齢のハンセン病快復者しかいない今のハンセン病療養所を、付近の子供たちが頻繁に遊びに来る、その親たちも時々顔をのぞかせる、そして定期的に海外からも学生たちが土木作業かたがた遊びに来る、そんな人の往来の活発なコミュニティにしていくことで、療養所自体を、療養所外の社会よりもむしろ、活発な社会にしていくという発想である。そしてそのコミュニティがめざす最終的な目標は、療養所に暮らす人々の家族さえ訪れるようになるような社会である。そこまで到達して、そのコミュニティは入所者にとって限りなく「もとの生活」に近づいていくであろう※3。
(2) 国際ネットワーク型NGO IDEA-The International Association of Hansen’s Disease for Integration, Dignity and Economic Advancement-(共生・尊厳・経済向上をめざす国際ハンセン病患者・快復者協議会)中国支部(現地名 漢達康福協会)ワークキャンプセクション「家JIA」パンフレットによる。URL:www.JoyInActoin.org
(3) 日中学生たちのワークキャンプによって、隔離されている療養所が徐々に周囲に開かれていく様子に関しては、下記のパンフレットを参照。「若者、『ハンセン病』に出会う」(早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター、2005年)