ハンセン病とは、医学上の問題のみにとどまらず、「差別」「偏見」といった社会的な問題でもある。
WHO(世界保健機構)の基準にしたがえば、中国は医学上、ハンセン病制圧国に分類されるが、ハンセン病に対する差別や偏見は、日本同様、社会に根強く残っているのが現状である。本稿では、医療問題としてではなく、ハンセン病に対する差別や偏見といった人権問題に取り組む、日中学生たちの活動を紹介することとしたい。
哲学者の鶴見俊輔は、日本のハンセン病療養所入所者の詩の指導に熱心に取り組んだ詩人、大江満雄を引用しながら「ハンセン病がアジアをつなぐ」という考えを提唱した※1。
普通国際交流という場合、経済発展や文化といったポジティブなものを通じて、国境を越えた交流を深めていく、と考えるのが一般的だが、「ハンセン病がアジアをつなぐ」という発想には、そういったポジティブなものでなく、「ハンセン病」といったネガティブなものを通してこそ、真の交流が実現する、といった点を暗に突いている。
「政冷経熱」ともいわれる最近の日中関係であるが、大国としての存在感を日に日に増している中国に対し、わが国でも経済・学術・文化などの面で交流を深めていこうとする動きが活発である。しかし、両国間の新の交流を実現しようとするなら、「ハンセン病」のような、社会のなかで誰の目にもとまらずに消えていこうとしている問題に、まなざしを向けながら、交流を深めていくことが不可欠であろう。
こういった点に若者たちは敏感である。625あるといわれる中国のハンセン病療養所において、日中の学生たちが、「ハンセン病」を通じて、その絆を深めつつある。彼らは「ワークキャンプ」という方法を通じて、経済発展でもなく、文化でもなく、学術でもなく、「ハンセン病」を媒介として交流を深めているのだ。
(1) 鶴見は「らい予防法廃止記念フォーラム」(1996年、FIWC関西委員会主催)における講演で、大江のアイデアとしてこの「ハンセン病がアジアを結ぶ」というフレーズを紹介したが(同内容の記述は、『ハンセン病文学全集4 記録・随筆』(鶴見2003)中の解説にも見られる)、大江の全集にはその記述は見当たらない(大江1996)。大江から文芸の指導を直接受け、親交もあった國本衛氏にこの件に関して直接伺ったところ、アジア・アフリカなどの貧困国におけるハンセン病の問題に目を向けるべきだ、との考えを大江はもっていたが、「アジアを結ぶ」といった内容のことは聞いたことがないという。ここから察するに「ハンセン病はアジアをつなぐ」とのフレーズは、鶴見の創作によるところが大きいように推察される.