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金新芽長老の人生

日本のワークキャンプ団体の訪問

韓国「タサラン」(豊かな愛)誌、1998秋号から
「人間勝利! 金新芽長老の人生」

日本のワークキャンプ団体の訪問

その当時、大学生たちの農村奉仕活動で私たちの農園を訪ねる人たちが一人、二人と生じ始め、やがて、日本の大学生たちや各界各層の日本人たちがこの土地を訪ねるようになりました。
「この学生たちがキャンプ団として来るので、何、道を作るだとか、下水溝を作るとか言うのです。そういうことも良いのですが、社会的に見て、地域社会に与える印象がとても良いのです。地域の人たちに対する啓蒙の効果が大変に大きいのです。大学生たち、日本の大学生、韓国の大学生たちが来て、ここでキャンプをするというので、それまで私たちに目もくれず、その村は駄目な村だと言われていたのに、そこに忠北教育監が立ち寄り、そして、郡守も来て、面長も来て、それから、少しずつ周囲の住民たちの認識も変わって行きました。」

刀は研いでおくものです

日本語を話すことができる金新芽長老は、日本の人たちと村の住民の間の架け橋としての役割をしています。彼らにキリスト教の福音を伝えたり、また、1980年と87年の2回に渡って、日本から招請を受けて大学と教会、市民団体、マスコミ、ハンセン病療養所などを訪問して、講演と証し、讃美演奏の時間を持ったこともありました。
「だから、日本の人たちも一年ぶりに来れば雰囲気が違っているので、この定着地が韓国の定着地の中で最も遅く始まったのに、どのようにしてこの定着地がこのように成長したのか、その話をしてくれるようにと要請されました。それで、日本の人たちが、私が日本語を上手に話すし、この村を起こしたその歴史を聞いて、自分たちの考えからはあまりに想像もできないことなので、私を日本に招請したのでしょう。そのようにして、10日間、療養所や教会を通い、また、早稲田にあるある会館で演説もし、京都の会館では朝日、毎日などの新聞記者たちが集まった中で演説もしました。」
最近も手紙のやり取りをしながら、往来している日本人の友人から金新芽長老に国際電話が掛かって来ました。その対話の内容を見ると、簡単な挨拶を交わしているようにみえますが、とても長い間、付き合って来た親しい間柄であると知ることができます。
金新芽長老が日本語を流暢に話すことについても、「刀は研いで置かなければ使えなくなる」という彼が平素から言っている哲学から来るところ大きくあります。
何か準備すれば必ず使う機会が訪れるという彼は、こんなことを語りました。
「日本の人たちが来て、私たちの国の学生たちとあちらにある会館(ノナエチプ)と私の家を建てた時、その日本人の何名か熱心に働いて建ててくれました。それで、人々が『これを建てて一体何に使おうというのか?』と言うので、そのたびごとに、私がこのようなことを言うのです。『カタナハ トイデ オクモノデス。』『あぁ、まさにそうだ』と彼らは言います。その刀を研ぐように、私は弛まず22歳の時まで習ったその日本語を使ったのです。私が音楽大学を通って勉強したわけでもなく、幼い時、トランペットを吹きたかったのでトランペットを熱心に習い、病院に来て讃美隊の活動を本当に熱心に奉仕したので、結局は声が良くなり、また、年齢が50、60歳になっても、いつも家にあるオルガンを持って、時間があれば弾いていれば、そのまま讃美練習を一人でできるようになるのです。そのおかげで今日、このような声も持つようになりましたが、たぶん、数百回、独唱の練習もしたでしょう。また、おかげで音楽テープも出すことができて、それから、私はマンドリンもして、演奏も習い、バイオリンも少しですができます。それで、私の素質を絶え間なく磨いたおかげで、今、文章を書くことも私にできるのではないかと思っているのです。やはり、刀は研いでおくものでしょう。」

生活の中に生きる文学をする定着村の人たち

日本を訪問した時、彼はそこのハンセン病快復者たちと韓国のハンセン病について次のような話を交わしたといいます。
「彼らは韓国のハンセン病政策に対して羨んだのです。それで、自分たちは文学をしているというのです。お金や時間はあり、畜産や養鶏の仕事などをしなくても生きて行けるので、彼らは文章をたくさん書くようにして、いわゆる文学の勉強をしているというのです。それで、私を見て、韓国の同僚患者たちにはそのような文学があるのか?というのです。」
「私は言いました。韓何雲のような立派な人たちもいました。しかし、今は私たちはそれとはちょっと違う文学をしています。皆さんは生活が大丈夫なので詩や小説を書いていますが、私たち定着地の人たちは朝早くから起きて、熱心に豚を育て、鶏を育て、晩までそのようにして息子たちを大学まで勉強させ、あなたたちには想像もできないような努力を積み重ねて子供を教育させているのです。その意味で私たちは実際の生活を通して一つの『生きる文学』をしているのです…。」

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[原典:韓国「「タサラン」誌、1998秋号、オ・ヨンギュン/著、菊池義弘/訳]


金新芽長老の人生
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