定着村とはどういう村か? 〜金新芽氏の講演から〜
定着村はやがて一般の村へ
現在、治療を受けた人は70名くらいなのですが、その他、子供が70名くらいいます。大学生もいるし、それから病気とは関係ない、その人の奥さんですね。そこで一番の問題となるのが、果たしてそういう事で病気はどうなるのかという事です。地域社会と病気の問題でいさかいはないかという事。まぁ、あるのですけれどね。しかし、だんだんとわかって来ているのです、この病気はもう大丈夫だと。だから、いくらでも自由に地域社会と調和ができて、私たちも生活に不便はない状態なのです。
それから子供たちの病気について、皆さんはだいぶ心配しているのでしょうけれども、現在、子供たちが病気になっているという例は一つもありません。私は40年前に療養所に入っていたのですが、その時は子供たちがたくさんいました。だから、私は療養所で学校の先生なんかもしていましたけれども、しかし、今は一人もいないのです。そのために学校もなくなっているのです。子供がいないから。今日は日本の多摩・全生園に行ったのですが、そちらでも一人も出ていないという事でした。結局、この病気は子供が一人もかかっていないというその一つだけでも、韓国のハンセン氏病も終わりに近付いて、私のような60、70才の人が亡くなったら、その十年後には韓国でも定着村が特殊な村ではなくて、地域社会と同じ一般村になるのです。今の私の村などでも、隣の村などとつきあったりしています。そのくらいに近付いているのです。だから、もう完全に社会復帰がそういう面で可能になるのです。だから、韓国の癩も完全に…。小鹿島(国立癩病院)などでもそうですよ。現在、1300名ほどいるのですが、10年後には門を閉めるというようになっているのです。日本はもう少し早いでしょうけれども。やはり、特殊な方法で社会復帰を計画した韓国の癩政策というものが、非常に成功的であったのではないか。フィリピンや東南アジアでも韓国の癩政策を参考にする必要があるのではないかと思っています。
先程、ローマ書・第八章の最後の文を読みました。私はクリスチャンなのですが、この「私は確信する」というパウロの最後の勝利の完成ですね。
「私は確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも低いものも、その他どんな被造物も、キリストの神の愛から私たちを引き離す事はできません。」という、このパウロの信仰告白を私は33歳で自分のものにしました。それから今まで、ずっとその信仰を持っています。やはり、払の人生はある面では癩で終わるような。しかし、私の心はもう全て、そういうものは私の人生には一つも関係が…。私は今、癩の問題について語っているのですが、自分の人生が癩でだめになったとか、癩で壊れたとか、そういう事は一度も考えておりません。それを超越してあらゆるものが、キリストの中にあっては何ものでもないのです。皆々が神様の十字架の愛によって、私たちに祝福としてあらわれているという事を確信・・・、パウロのその大確信をもって私のものとしています。
本当に長い時間、傾聴して下さってありがとうございました。皆様、いつも神様の祝福に包まれながら平和と幸いの中でお過しなさいますようお願い致します。
ありがとうございました。
(1990年11月 立教大学での講演から)
[原典:「灯の村」菊池義弘/訳・編]
定着村とはどういう村か? 〜金新芽氏の講演から〜
金新芽 講演(1) ハンセン病という暗い問題に耳を傾ける姿勢に感動します
金新芽 講演(2) 自分たちの手で作り上げた定着村
金新芽 講演(3) 畜産の事業で発展した忠光農園
金新芽 講演(4) 定着村はやがて一般の村へ