モグネット ホーム インフォメーション お問い合わせ サイトマップ
ニュース ハンセン病 イベント&ワークキャンプ 茂木新聞社

定着村とはどういう村か? 〜金新芽氏の講演から〜


自分たちの手で作り上げた定着村

定着村。それはハンセン氏病快復者の自活村なのです。日本やフィリピンとかの外国にはない、韓国にだけある一つの癩管理政策なのです。その定着村政策が、軍事政権が始まった1960年の暮れに強行されたのです。
その時、私は北の方の小さな病院にいたのですが、そこの200名くらいの人々が定着の対象になって、慶尚北道・慶州の付近に定着村を作るために移動した事があるのですが、それはとても不安な事だったのです。いわゆる自活村なのですからね。今までは病気の身で、国からいろいろと面倒を見てもらえたのですが、これからは自分自身で自活をしなければならないという、そういう問題なのです。だから、みんな非常に不安でした。
今日、聖書を読みましたけれども.ヤコブが70名ほどの家族を連れて、エジプトに移動した時の箇所でしたが、その時、自分の息子であるヨセフがエジプトで総理大臣の身であって、自分のお父さんとか、その家族をみんな呼んだでしょう。故郷では危機になっていて食糧がない.それで大家族が移動をした。そのように聖書には書いてあるのです。その時、ヤコブは非常に不安でした。それで神様に祈ったのです。そこで神様はヤコブを呼んで、「少しも心配する必要はない.私はあなたの父なる神なのだから、少しも心配しないでそこへ行きなさい。そこで私はあなたを大いなる民族にする。」と、そのような幻の中での神様の言葉がありました。それでヤコブはそれに勇気付けられてエジプトに下ったのです。
本当は、定着村に送られる人々の、その時の心情は不安でいっぱいでした。みんな心配で、果たして自分たちがそこに行って生きられるのか、自活できるのか、その地域社会に融合して、そこで生活の根を張れるかどうか、非常に心配でした。
ところが、それから30年が経ち、百くらいの村が全国各地に建てられました。その中には国家が建ててあげたものもあるのですが、ほとんどは自分たちの手で建てられました。それで、その一番最後のケースとして、私と若いチョン・オクファン氏が一緒に今の忠光農園を作り始めたのですが、その時から13年くらい経ちました。
それで、始めの不安であった時と今の状態とを比べてみると、やはり非常にたくさんの事を感じます。この中には私の村に来た方々も多くいるのですが、定着村は他の国にはない一つの独特な癩政策なのですけれども、結論から言って、それは成功したと言う事ができるのです。初めは国の方でも、社会でも、私たち自身も、果たしてうまく行くかどうか疑問を抱いていたのですが、今、それは成功したという結論が取れているのです。どうして、それは成功できたのかという事を少し説明して私の話を終えたいと思います。

次のページへ

(1990年11月  立教大学での講演から)

[原典:「灯の村」菊池義弘/訳・編]


定着村とはどういう村か? 〜金新芽氏の講演から〜
金新芽 講演(1) ハンセン病という暗い問題に耳を傾ける姿勢に感動します
金新芽 講演(2) 自分たちの手で作り上げた定着村
金新芽 講演(3) 畜産の事業で発展した忠光農園
金新芽 講演(4) 定着村はやがて一般の村へ


モグネット https://mognet.org