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定着村に生きる

忠光農園長老・金新芽さんインタビュー(2)



Q.現在の村の世帯数と人口は?登録者数はどのくらいですか?
 その中で癩病一般家庭数はどのくらいですか?

五十五世帯、二百三十名くらいでしょうね。
ごめんなさい。「らい」という呼び方よりも「ハンセン氏病」という呼び方の方が望ましいんですね。長い歴史の中で、その名前は人々の心の中に強くこぴり付いている恐ろしい病気の名前なんだから、やっぱり、新しい時代に、ハンセンというノルウェーのある細菌科学者がこの病気の菌を発見して、その菌を発見したハンセン氏の名前を付けてるんですけど。ハンセン氏病と私は呼びますからね、ごめんなさい。
そうですね、今は五十名くらいでしょう。治療を受けた人たちはね。そしたら、どうして二百三十名くらいかと言えば、結婚をした妻とか、夫とか、一緒になったり、また、初めはどの定着村でも病気の治療を受けた人たちの村なんだけど、だんだん一般の人達も来て、畜産をするような形になるんですね。親族の方もあるし。また、畜産をしたくても、一人ではなかなか難しいから、この村に来て一緒にやらせて下さいという人もあるしね。また、息子が生まれたり、子供が生まれたりして、この村も小さな子供たちがもう、二十五、六なんですけど.結婚をした人もおるんだから、外でね、一般社会で仕事なんか探したり就職なんかをするよりも、畜産の方がしやすいのでしょうね。だから、まだお父さんお母さんなんかの畜産の規横が大きくなったりすると、人手が足りないでしょう。それで、一緒にお母さんお父さんの下で畜産をしたりしてるんですけれど。子供たちもここでお父さんお母さんが育てなければならないんです。だから、本当はハンセン氏病の快復者の村というよりも、今は性格が変わっているんです。だから、一部分はそういう人たちなんだけど、多くの部分は全然それとは関係ない人たちが一緒に生きてるんですね。それは韓国の定着村の始めからの目的がそれなんですよ。多くの患者たちが病気を治したと言っても、社会に飛び出すというのは問題なんでしょうね。だから一つの橋をかけて、それで定着村を作って、そこで経済的に独立したり、また地域社会のいろいろな観念とか、それの考え方や認識が変わるまで、ずうっと十年、二十年、三十年.結局、この村が経済的にも独立する事もできるし、また社会的にも認識が変わって来てるんですから。それでその中で健康である人とか経済的に自信のある人は、結局、そのまま定着村から出て釆て、一般社会の中で生活するというような。
だから結局、この定着村は時限的ですね。永久に定着村であるべきだという、そうじゃないんです。いつかはこれが変わって、自然部落になるんじやないか。それを考えているんです。だから、私の部落なんかも、もう経済力が良くなって、アパートを買ったり、そこで子供たちと奥さんは市内で暮らせたりね.自分はマイカーで来て畜産をするような形。だんだんそういう傾向になってるんです。


Q.ハンセン氏病登録者と一般家庭の数というのはあまり意味がない事でしょうか?

治療を受けた人たちは登録をしているんです。だから、その他の人たちは登録とは関係がないんですね。始めは国家で家族たち、一緒に暮らしている妻や子供たちに対する生活保護もあったんですけど、今は独立する事ができているからね。国家ではあまり.老人とか、治療を受けている人たちに対する生活保護とかね。そういう事は見てあげているんですけど、他の人たちについては、全く関係ないんです。


Q.鶏の数と豚の数は?一年間の餌代は? ここ数年間の利益はどのくらいですか?
 また、それはどのくらいの黒字でしょうか?

何匹とかいうのはいつも変わる数字ですから。まぁ、鶏が四十万くらいでしょうねぇ。昨年までは三十万と言ったけれど。豚は五千か六千くらいでしょうね。餌代は、月に二億三千万ウォンくらいでしょうね。それもやっぱり月ごとに変わっているんですけれどね。利益については、さぁ…。畜産というのはよくわからないんですよ。それはなぜかと言うとね、景気という物があるでしょう。やっぱり、卵代とかね、鶏代とか、豚の代金とかがね、いつも変わるんですよ。だから同じように平均的にずっと一年行くんじゃなくて、いつも変わるんです。だから、どのくらいの数であるかはわからないんです。一年二年の間、ずっと不景気が続いてね、豚なんかもね、自分の手で。そのまま豚の子なんかを処理をする方法がないんですよ。だからある面では自然淘汰。それにまかせるよりしょうがない。また、自分の手でなくさなくてはならない。そういう時もあるんです。だから、どのくらい儲けるのかなかなかわからないけれど。とにかく普通の農村での畜産なんかは、少し赤字が出れば止める事ができるんだけど、私たちの方ではそれが重要な主業でしょう。ある面では一つの職業なんですよ。私たちは肉体労働も難しいし、就職も難しい.金がないから商売なんかもなかなかね。だから、いろいろな意味で、一つの自由な職業なんですよ。これしかないんです。私たちにとって適当な仕事はね。だから、なかなかね。赤字が出てもそのまま続けるほかしようがないんです。
もう一つはね。一人一人だったら問題なんだけど、村に一つの協同組合を作っているでしょ。その組合のカでお互いが繋がっているし、その組合のカで飼料会社とか卵商人たちとか、また、そういう人たちと付き合っているから.結局、個人的に赤字が出れば、飼料会社の方で、個人個人には金が貰えるあてがなくても、組合でそれを保証しているんですね。だから、赤字が出ても黒字が出ても続ける事ができるんですよ。どのくらい黒字が出るかはわからないけれど。とにかく十年二十年で、アパートとかを買ったり子供たちを大学にも行かせたりしてね。一般農村の普通の生活よりもいい方の生活をしている方でしょう。月賦でマイカーを買ったりして。


Q.分校は作らないという事ですが、今、現在も就学について問題はありますか?
 それはどのような問題ですか? 学校に通っている子供の数はどのくらいですか?

そうですね、問題はないんですよ。問題は全然ないと言ってもいいでしょうね。まぁ、四十名くらいかな。四、五十名くらいでしょう、たぷん。


Q.村の人は全員クリスチャンなのですか?
 あまり熱心でない人もいた時は、どのようにしていたのでしょうか?

私はこの村を作る時に二つのスローガンをたてました。一つはキリスト教の信仰でお互いに結び合いましょう。もう一つは、私たちは畜産を主業として熱心に働きましょうという、その二つがこの村を作る時の私の呼びかけなんです。だから、村の一つの規則の中にも、一番始めに病気が治ったクリスチャンの村というのが認知されているんだから、あなたは宗教が何ですかと言えば、とにかく大部分の人がキリスト教ですという事ができるでしょうね。しかし、やっぱり熱心でない人もいるんだけど、牧師さんが教会で熱心に説教をしたり、また、病気の時には訪ねてねぎらってあげたり、また教会の方で見舞い金をあげたり。とにかく病院に入院したと言えばね、聞いたらすぐなんですよ。病院に行って見舞いをしたり、また家庭訪問をしたり、いろいろな方法で、彼等の信仰の成長を助けています。


Q.村の人は全員、忠光農園で仕事をしているのですか?
 外へ働きに出る人はいるのでしょうか?いるとしたらどのような職業でしょうか?

そうです。外へ行って、そこで学校を出て、就職してそのままそこで住んでいる人たちもたくさんいるんですよ。いろいろな学校を終えた人たちとか、青年たちがいるんだけど、ここで住みながら外の方で職場を持っているという人たちは、たまにいるんだけど。そうですね。その中で、まぁ、長く続かないんですね。だから、とにかくここで生活の根拠を持って、外に行って来たり、そういう人たちは、さぁ、どのくらいかなぁ。ない.たぶん、ないでしょうね。たぶん、ないと思います。


Q.金新芽さんは村の中でどのような役割を果たしたと自分で思いますか?

さぁ、どうでしょうかねぇ。この村がいろいろないきさつを持って、ようやく村の形を整えてから、それが、その時に集まった人達のいろいろないさかいなんかで、壊れてしまって、何世帯かが非常に苦しい生活をして、まだ、家も建てられない状態で小鹿島にいる私に救いを求めて来たんですけれど、やっぱり、その人たちのためにそこに行って助けてあげなさいと言っても、全然、ここに来てくれる人がなかった状態でしたね。やっぱり、定着村の中でも一番、国家から.始めはね、国家の手で定着村が作られて来たんですけど。私らの村の始めの歴史は、全て村の人達の手でね。だから、それが難しかった.土地も少しばかりで、村の生活がその状態では、到底続く事はできないんですね。結局、家族と家内は来たんですけど。それはね、健康な人達なんだけど、自分はある程度、小鹿島で、最低限の生活は保障されてる状態。ここに来たらね、また、小鹿島には帰れない。それで、教会を作って一年半くらい、伝道をしながら教会を受け持っていたから、少しくらいの最低限度のサラリーはもらえたんだけど。それでも、私は生涯ここで教会の伝道師や牧師になる考えはなかったんだから、その後の自分の生活には全然保障がないんですね。とにかく、そうしたらその時はどうするのか。乞食をするわけにもいかないし、家族の支援を求める事もできない。だから、私達がここに出て来るというのは、冒険中の冒険だったのです。しかし、ここの人達のあまりにも涙ぐましい願いでね。私達でも必要であるならば、神様に任せて一つ行ってみよう。それで来たんですけど。後では、いろいろな人達がやって来て、このような状態になったんですけどね.どこでも仕事を始めるというのは非常に重要な問題なんです。だから、とにかく一つの決断であり冒険ですね。神様に任せて教会を建て、村を作ろうという一つの決断。それがなければできなかったでしょうね。始めは村の自治会なんかでも、理事長なんかもやっていたし、教会の伝道師もしたり.後にはその自治会の方もやめてしまって、教会の長老として今までずっと続いてるんです。教会の長老は四、五年なんですけど、大部分の長老たちはどこの定着村でも、長老さんの大部分は自治会の役員を勤めてるんですけどね.私はそれがなかなか、いろいろな問題もあるしね。とにかく、私は自治会の方は一切続けなくて、長老として今までずっとやっているんですけど。どのくらいの事をして来たのかと言えば、自信はないんでけど。とにかく、そういう状態で。一旦手をつけたという、それに私の村に対する一つの貢献があると言えばあるんでしょうね。


Q.村がここまで発展するまで、一番大変だった事は何ですか?
 また、一番楽しかった事、嬉しかった事は何ですか?

そうですね.まあ、何でも思い出の国は懐かしいとかね、そういう話もあるんですけれど.今になったらそういう時もあったのかとかね。そういう頃もあっのかということになるんですけど。そうですね。ここに出て来る時のいろいな経済的な問題とかね。人々を集めておいて土地がないんですよ。土地がない。だから、その時はほんの少しの土地ばっかりで。ここにね、大きな渓谷があったんですが、結局、それを埋めて、階段式にせねばならなかったのです。そうでなければ土地がないんですよ。私達が持ってる土地は千八百坪しかないんです。その時、条件がよかったのは、この後ろの山が郡有林なんですね。だから、私達が買わなくても、当時は法律がゆるんでいた方でね、郡有林とか国有林なんかを私達が使っても問題にならなかったのです。まぁ、問題にならない事はないんですけど、大目に見てくれた時代なんですね。だから、私はこの土地に来た時に三つの事を考えました。一つは定着村としての将来。水が豊富かどうかという事。それから二つ目として、交通はどうかという事。三つ目は周囲に消費都市は多いかという事。それを私は見たんですね。他の人たちは絶望的な村と見ていたんですけど、私にはその三つの見方があったんですね.もちろん、神様が良くしてくれるという信仰。それが一番でしたけど。やっぱり、畜産をする時には水が豊富で、交通が便利でなければならないしね。周囲に消費都市、その卵や豚を食べてくれる街がなければならないでしょう。その三つがちょうどいいんですよ。この村は近くに川があるでしょう.村に水が少なければ、この近くの水を引いてくれば充分だという自信があったり。また、交通については、昔は村の前にバスは通ってなかったんです。しかし、近い将来、きっとバスは通るだろうとかね。また、鳥致院、清州、大田、儒城などの街は将来は大きな都市になるんじゃないかという見通しなどもあって、結局、ここの開拓を始めたんですけれど。その土地がね。買おうとしてもなかなかお金もなかったし、また、渓谷を埋めねばならないという事で、いろいろと難しい問題もあったり。ここは鉄道のそばでしょう。だから、自然保護法がこの谷を埋めたりするのを許していないんです。その点で私達は一番苦しみましたね。夜、内緒で埋めたんですよ。昼は黙っていてね。だから、郡庁の方から役人が出て釆て、二回ブレーキけられて。しかし、三回目にとうとうこの谷を埋めてしまったんです。それで、五つの階段をつけて土地が得られて、そこで家を建てたんです。その時が一番難しかったんですね。人々は来ていて、冬は近いのに家はないしね。テントを張る所もない。結局、私に来いと言って来たのに、家もないし土地もない。どうしたのかと突き詰められてね。非常に苦しみましたね。だから、そういう時は神にお祈りするしかなかったんです。「神様、何とかして返事を下さい。寒さが厳しくならないように今年は冬が遅く来るように」とか、そういお祈りをしながら我慢し、結局はその時は冬は遅く来ましたね。それで、この階段式の土地が作られて、家を建て、冬を過ごす事ができました。まぁ、そういう苦しみなんかも。教会堂を作り初めて、結局、金がないんだけど、ずっと歩き回って、ソウルとか安東とか大邱とか釜山とか歩き回って。定着村の教会とかを訪ね歩き回って、結局、お金をもらって教会堂を作ったんです。しかし、なんか礼拝をしてるのにね、人が来て、スレートの金をくれとかね。非常に苦しかったですね。スレートの金をくれとか、そういう督促を受けたり。そういう時もあったんですけどもね。とにかく、人々はその時、こういう事を言ったらしい。「健康な人もできないのに、そこには見込みがないと捨てているその村で、盲でありながら君がどうして教会を建てるとか村が作れるのか。」まぁ、そういう時が一番苦しかったですね。嬉しかったというのは、その時、新しい三十坪の教会を作って、皆さんがそこへ入って、最初の礼拝をあげる事ができたという時などいい思い出になっていますね。


Q.他の定着村に比べて優れている所は何ですか?また、劣っている所は何ですか?

十何年くらいでこのような発展をしたというのは、あまり例はないというんです。今はこの村は国の一番重要地点にあるんですね。やっぱり、畜産をするには、周囲に都市が多くて、卵代とか豚代とかが良くもらえる事。もう一つは、やっぱり組合の方が良くできていてね。どこの組合よりも餌代が安いんですよ。だから、組合のための、組合中心の組合じゃなくて、やっぱり一般住民たちの組合というようなそういうスタイルなんですね。それで他の村よりもその畜産の条件がいいでしょうね。だから、目に見えるいさかいなんかもないし。教会の方も。多くの村では、教会中心の村でもいろいろな問題があるんだけど、ここはやっぱり、村が一つの教会であり教会が一つの村であるという、そういうスタイルなんだから、そういう面で特色があると思うし、お互いが助け合うという形で、自分の子供の頭が悪くて大学に行けなければどうしようもないんだけど、とにかくいくら規模が小さな畜産をしてる家庭でも、金ができなくて大学にいけないというそういう人はいないでしょうね。だから、組合の方でいつでも低い利子で金が借りれるから、頭が良くて大学に行こうとすれば、そういう面で非常に良く面倒を見てくれるんですね。あぁ、それから劣っているというのは、この村がまだできてから十何年なんですが、他の村は三十年、四十年でしょう。だから、組織とか生活の仕方とか運営の方法なんかで、まだまだ他の村よりも、決まった一つの形がなくてね。改革とかね、様々な組合のいろいろな経験を集めて、方針を変えたりしてるのだから、その面では他の村よりは劣っているでしょうね。


Q.現在、村での問題点は何ですか? それをどのように解決して行きますか?

村の当面した問題として第一は、今まで溜まった飼料代を返す問題なんですけど。一年くらい苦しい状態でした。その理由は、飼料会社で五カ月間くらい預信と言いますか。つまり、五カ月くらい利子が付かなくて、五カ月後に支払うという条件で飼料をくれたんですね。その前には二カ月か三カ月だったのに、それが五カ月くらい長くなったんですから、畜産をやっている人達にとっては非常に有利な条件なのです。しかし、その前には約束手形なんかは使わなかったけれど、五カ月後には支払いますという。だから、一カ月、一カ月ごとに約束手形を作っで代金を支払うようになって行ったんですね。ところが、その組合の管理をしている人達がそれをあまりに手易く処理したんです。だから、その非常に有利な条件ではあったのだけれど、五カ月の後を考えて、毎月、その一部でもいいから飼料代を集めて、貯蓄しておいたらよかったのに、そのまま飼料代を集めないで、そのままにしてしまったんです。だから、村人は五カ月後の事は考えないで卵や豚を。ちなみにこの村ではこうです。飼料は共同購入だけど、卵や豚なんかは各々自由販売になっているんです。だから、その金を村人は非常に無計画に使ったんですね。だから、それで自動車を買ったり、アパートを買う資金にもしたり。また、積み立て金を契約したりして、自由気侭に使ってしまったんだから。さて、五カ月が過ぎ、その間に溜った金を支払うという段になった時、非常に難しくなってしまったんです。しかし、組合では約束手形を渡してるんだから、その期間内にはその金を支払わねばならないんですね。もしも、それが不渡りになったら、問題は約束手形を出している商務さんに一つの刑罰がかけられるんですから、大変です.しかし、五カ月の間、そういうように金を自由気侭に使ったために、それが村人の意識の中に一つの慣習になってしまってるんですよ。このままでもいいじゃないか。卵や豚を売って、自分が使って、残りを組合に入れればいいというような、そういう意識がもう作られてしまってるんですね。だから、いざその金を集めようとしてもなかなかできないんです。それで、組合を保っている組合長や商務は毎日のように駆け回ってその多くの金をあらゆる方法で賄って、結局、一年くらいで一息つくような形なったんですけど。問題はこの村人のあまりにも組合に頼るというそういう意識が直さねばならない。それで結局、なるべく自分の生活消費を節約し、一旦は肥料代を払ってから、その残りを自分の生活に使うというような、そういう考えが定立しなければならないんですね。だから、そういう事でこの一年間は苦労したんだけど、その代わり村人の意識が相当直されて、やっぱり金という物は節約しなければならないとか、また、そういう自由気侭に使ってはいけないというような意識がようやくできかけているんですね。
それから、もう一つは不景気です。今は豚が非常に不景気でどんどん価格が下がっているんです。こういう状態においては組合の役割が非常に大きいんですね。やはり、肥料会社の方では組合を信用して飼料をくれるんだから。一般の村なんかでは、こういう時は個人個人、零細、小さな数の豚を持っているというような、そういう人は全部倒れてしまうんですけど。この村では組合でやってるんだから、飼料会社との関係が一つの信用関係としてよく保たれて行くんですね。それで一年、もしくは二年という長い不景気が続けても、この村では、飼料代をもらえないという事はないという一つの信頼関係が続いているんです。
それともう一つの問題は、人と人との人間関係の問題ですね。一つの村とか教会が共同体で良くやって行くためには、人と人との関係、結局、人の輪という問題ですね。私が始めから今まで一番私としては悩んで考えた問題の中で、また、いろいろと考えた問題の中で一番大きな間近は、この人と人との輪です。それで、私はこの村で今は何もしていないような状態だけれど、やっぱり、私がこの村のために人との関係を一番良く、自分から率先して人との関係を保たねばならない。それから人と人との関係を重く見て、お互いの平和のために何とか自分が役立つような人間になるという、そういう事を非常に考えています。まあ、この村が当面している間近.間撞としてはこういう状態です。

[原典:「灯の村」菊池義弘/訳・編]


定着村に生きる 忠光農園長老・金新芽さんに伺う
 金新芽さん・インタビュー(1)
  金新芽さん・インタビュー(2)
 金新芽さん・インタビュー(3)


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