失明の後、33歳になった年、結婚をした。その頃、彼の人生をここまで追いやって来た病気もきれいに完治していた。完治した人たちの中で経済力を備えた人たちは定着生活をするために病院を離れた。しかし、完治したとしても、その後遺症のために労働力がない人たちは、再び小鹿島へ送るという方針が出されていた。小鹿島は地理的な島であると同時に心理的な島でもある。そして、さらに明らかな断絶の島だった。彼は再び深い絶望の中に陥っていた。世の人たちが冷ややかな目を投げかけているようだった。自身の居場所が、旧約聖書に出て来る、まるで敵軍に目まで抜かれてしまい囚われの身となったサムソンのようでもあった。自身の信仰をほめたたえたたくさんの人たちの目に、今度は何か得体の知れない嘲りが浮かんでいたように感じた。サムソンのように、彼も「もう一度だけ力を与えてください」という強い願いを心の中で叫んでいた。そして、サムソンに対して神は「はい」と答えられたように、彼の願いも受け入れられたようだった。サムソンが死ぬ時に敵軍を殺した兵士の数が、生きていた時に殺した兵士の数よりも多かったという逸話のように、彼にとって小鹿島行きは、新しい大きな任務が待っている土地として近づいて来たのだった。それで彼は自ら催促するかのように言った。
「行こう。この身を埋めることがあろうとも小鹿島に行こう。」
小鹿島は兄弟たちの土地だった。春夏秋冬の水の音を聞きながら、断絶の痛みを堪えて生きて来た彼ら、彼は彼らと兄弟の情を分かち合った。老人となった父親が息子に会うために小鹿島に訪ねて来て、また、その父親と離れて見送りながら、二度と出会うことを迎えられない涙の別離を数限りなく見て来た。共に慰め、情を分かち合うこともできず、ただの一日も生きることさえできないような場所だった。しかし、そんな小鹿島での彼の生はひとしおのものだった。教会で聖歌隊を作り、説教をし、高等学校で音楽を教えた。目では見ることができない暗い世の中に彼が飛び込んで行き、近寄って明るく照らした。目で見たものではない、人生を通して見たのだ。そんな時、小鹿島をとり囲んでいる広い海さえ、小鹿島の希望を見守る力強い守備隊のように感じた。彼の人生の根が植えられている小鹿島は、彼にとって、いまや遥かなる遠き島ではなかった。
そうして7年の歳月が流れたある日、定着するために離れた人が、久しぶりに彼を訪ねて小鹿島までやって来た。彼らだけで土地を手にし、定着しに入って行ったが、意のままにならず乞食同然の心境になったと吐露した。その人は手をつかみ、むやみやたらに助けてほしいという言葉だけ繰り返した。小鹿島の兄弟たちは、その提案を受け入れてはだめだと言った。そこは生きてはいけない土地であるというのがその理由だった。しかし、何日か後、彼は提案を受け入れた。彼の年は既に50歳を越えていた。
「それならば、教会を建ててみましょう。」
教会を建てるという仕事、彼はこれは定着と同じであると考えた。現在まで変わることのない彼の定着ノウハウは、まさに教会を建てるということだ。教会を建てれば定着は自然とうまく行くと考えた。あちらこちらから金を工面して、30坪ほどの教会堂を建て、そこでまず牧会を始めた。それが忠光教会の始まりだった。その日からちょうど10年後、教会に新しい礼拝堂が建てられ、村は自然に定着するに至った。
定着に至るまでハンセン氏病に対する誤解とそれによる社会的疎外、蔑視、偏見はそれでなくてもこの病気によって苦労をしている彼らにとっては二重の苦しみだった。人として扱ってくれない状況から、人としての本質的な価値を発揮してみるということは至難の業だった。ハンセン氏病にかかった人たちの中では、社会的地位、あるいは教育水準で、他の人たちがうらやむくらいの人たちもいないではなかった。しかし、一旦、ハンセン氏病にかかれば、そのような人間的な価値は全て消え失せてしまうのだった。ここから、彼らハンセン氏病者たちの叫びが始まった。しかし、金長老は韓国社会のそのような態度に対して口惜しいと思いながらも、結局、問題を解く鍵は、彼らが自らにあると言う。最も痛みを受け、最も身につまされ、最も切迫した立場にある人々自身が立ち上がらなければ、誰かが代わりにしてあげられることではないというのがその結論だ。もちろん、このような作業には社会的な理解と支援が必要だと言及する。しかし、いつも救済の対象とされているだけでは、彼ら自身の人間的尊厳性自体が損なわてしまうと骨身にしみて悟ったというのだ。肉体的な苦しみも苦しみであるが、人間的な尊厳性自体が否定されれば、それはそれ以上に、自らの価値を実現させることができなくなってしまうということである。彼はこのような現実を打開する力を忠光農園の経験の中から得ることができたと告白した。
忠光農園は忠光教会であり、忠光共同体である。村が教会であり、ここで畜産業をしながら人生を挑戦を始めた。鶏50万羽と豚2万頭を育てる彼らは全て45世帯が生活するこの村の住民たちであり、教会の教会員たちだ。村の予算だけで1億2千万ウォンに至り、20ヶ所に宣教献金を送っている。いまや断絶はない。むしろ大学生たちが学校の休みになれば、この村を訪ねて来て慈善奉仕活動までしている。
[原典:月刊「キリスト教思想」2003年3月号、ハン・ジョンホ/記、菊池義弘/訳]
忠光農園・忠光教会 金新芽長老「その麗しい帰郷」
金新芽長老「その麗しい帰郷」(1) 別離
金新芽長老「その麗しい帰郷」(2) 発見
金新芽長老「その麗しい帰郷」(3) 定着
金新芽長老「その麗しい帰郷」(4) 家族