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中国のハンセン病と日本の協力 ―NGOの立場から―

中国におけるハンセン病とNGO

中国政府は1950年代初めから全国的なハンセン病制圧に取り組んだ。これに関しては、1998年までの全登録患者474,774人の個々のデータを収集し、詳細な分析を行った中国医学科学院皮膚病研究所の論文に明らかである※5。中国のハンセン病対策について述べることは本稿の目的ではないが、この論文には後に述べるNGOとのかかわりで興味ある点がいくつか見られるので少し触れておきたい。

新中国がハンセン病対策を開始した1950年代には、すでに世界的に治療薬DDSの効果が知られており、新政府は国産のDDSを使用して治療し、感染を防止するという方針を全国的に展開したものと思われる。その過程で1957-58年、1965-66年、1971-73年に新規患者数のピークが見られる。同論文はこれを人民公社や学校などでの集団検診や家族検診、ハンセン病の症状に関する大量な情報活動にもとづいた患者発見と専門医療機関への通報が奨励されたとことによるとしている。さらに、1950から1960年に発見された患者の半数ちかく(正確には54.5-39.8%)はすでに外見上も明らかな身体の障害を伴っていたと報告にあり、障害率は1986年まで30%を下ることはなかった。医療の体制が十分でない時代のことであり、やむをえない状況下であったとは言え、何万人という人々が、外見的に明らかな障害をもってハンセン病という診断を受けていった時期の様相が、この統計数字から読み取れる。なかでも、今も中国の各地に残る625ヵ所とも言われるハンセン病療養所や患者村は、その大半が1957年以降1960年代半ばまでに建てられていることと重ね合わせると、この時期の中国におけるハンセン病をめぐる社会的状況を想像することができる。この論文によると、1981年にWHOが標準的治療として推奨したMDT(複合化学療法)は、中国でも早期に適用され、初年度の1981/82には24.1%の患者が、1998年には98.9%がMDTによる治療を受けていたとあり、1980年代以降、ハンセン病対策が「制圧」に向けて進展したことがわかる。

前出のスタンレー・ブラウンは1980年の中国訪問の結果、全国的に強力にハンセン病対策が展開されていること、多くの患者が入院から在宅治療、継続観察に移行していること、DDS耐性患者が発生しており、今後の増大が危惧されること、農村部、都市部を問わず、ハンセン病に対する社会の偏見が極めて根深いことを報告し、海外のNGO、特にILEP※6傘下の団体が中国のハンセン病対策を支援すること、特に下記の分野での協力を提言している。

1.  (DDS耐性の増加に対応するため)MDTを拡大する必要があるが、リファンピシンとクロファジミンの確保が困難であるので支援が必要。前者は国内で製造されてはいるが高価で量の確保が困難。後者は国産品の品質は国際基準を満たしていない。
2.  ハンセン病に関する教材を供給する必要がある。
3.  顕微鏡などの資材の不足に対応する。
4.  障害の予防と悪化防止のため義肢装具や保護靴の製作技能の向上への支援。
5.  ハンセン病の理学療法の普及。
6.  中国のハンセン病関係者を国際的なネットワークにつなぐ必要がある。

この提言はまさに時宜を得たものであった。1950年代から精力的に勧められてきたDDS単剤による治療が耐性菌の出現により暗礁に乗り上げつつあった時期であり、他方、国内的には政治的な安定が生まれつつあった時でもあった。

加えて中国の保健政策、中でも性病対策に功績をあげた当時の衛生部顧問馬海徳博士※7が、ハンセン病対策の前面に立って諸外国・NGOとの接触を開始し始めていた。馬海徳顧問は1982年ベルギーのダミエン財団他の招聘でヨーロッパ、アメリカ本土とハワイ州を訪問した。この旅は世界のハンセン病研究と治療の状況を把握すると同時に、中国のハンセン病対策の将来を視野に、海外諸国やNGOとの協力関係を探るものであった。アメリカからの帰途、当時ハワイ大学で教鞭をとっていたスキンスネス教授※8を訪ね、ともにモロカイ島のカラウパパ療養所を訪問した馬海徳顧問は、そこで日本から合流した笹川記念保健協力財団の湯浅洋医療部長(当時)と出会った。この旅で世界各地のハンセン病関連NGOと接触した馬海徳顧問は、帰国後中国のハンセン病対策を国際的な潮流のなかに位置づけていった。WHOがDDS耐性の広範な出現への対応策として1981年にMDTを標準的治療と推奨したことと時期を同じくして、中国がハンセン病国際協力の門戸を開いたことは、極めてタイムリーなことであった。世界のNGOは、中国からの働きかけに強い関心をもって応えた。

(5)Leprosy in China: epidemiological trends between 1949 and1998
  (CHEN, Xiang-Sheng, LI, Wen-zhong、JIANG, Chen al.、Bull World Health Organ、2001年)
(6)International Federation of Anti-Leprosy Associations―世界各地のハンセン病支援を中心課題とする15の民間団体の連合体で1956年に発足。日本からは笹川記念保健協力財団が1975年に加盟。
(7)George Hatem ジョージ・ハテム(元アメリカ国籍)1930年代ジュネーヴ大学で医学を修め、その帰途立ち寄った中国で保健行政の発展に一生を捧げた。

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[山口和子(笹川記念保健協力財団 常務理事)、原典:日中医学(財団法人日中医学協会、2005年5月発行)、2007年3月24日]

※この記事は、日中医学協会の許諾を得て転載したものです。
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