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ニュース ハンセン病 イベント&ワークキャンプ 茂木新聞社

2001年 中国ワークキャンプ(ヤンケン村)報告

この出会いはきっと私達を変える   

[柳川義雄]

――中国ワークキャンプ報告――
私たちFIWC関西委員会(以下FIWC関西)のメンバー、本多智子、劉成道、入澤隆一、山口智子、柳川義雄の5名は去る2月7日から2週間の中国ワークキャンプに参加した。場所は中国広東省チンエン市にあるライ快復者の村「楊坑(ヤンケン)医院」 。ワークは台所の改修(竈の煙と灰が村人の目に悪い影響があるとのことでガスレンジを導入、それに伴い壁と床にタイルを貼り他の部分をペンキを塗った。)食堂の改造他。

――良いキャンプの予感――
一行は関西空港から中国南方航空で2月7日午後2時20分に出発。広州に約1時間延着の現地時間の夜7時に到着した。午前中に着いた韓国のKIWCP(注1)の参加者の内4名とドクターマイケル陳を中心とする中国のHANDA(注2)のメンバー3名が空港に出迎えてくれた。
すぐHANDAの事務所に直行。HANDAの説明や予定の相談で英語と中国語(北京語)、韓国語、日本語が一つの部屋でごちゃごちゃになって飛び交う。以前、1978年の韓国のライ快復者定着村(以下定着村・注3)忠光農園キャンプで、日本語と韓国語と英語がチャンポンになった言葉が乱舞していた様子が思い浮かび、コミュニケーションの深い面白いキャンプになる予感がした。

――17年目の実現――
ことは、84年夏に始まった。韓国の定着村、相信農場で日韓合同の道路舗装ワークキャンプ中に当時の助癩会(ジョナヘ・注4)の会長ファンユンギュが「今後は韓国の村での仕事は減っていくだろう。これからは日本人と韓国人と手を取り合って東南アジアに出かけよう。」と夢を語った。
その夢が17年目にして、それも韓国側の主導で実現したのだ。ジョナヘのOBでKIWCPを中心となって創設したカンサンミンは88年からワークキャンプに参加している。彼は事前に3度もヤンケン村を訪れ今回のキャンプの準備に情熱を注いだ。参加者は韓国から14名日本から5名、全員が全日参加の久しぶりに密度の濃いキャンプだった。

――ユートピアのようなヤンケン村――
村は広東省の大都会広州の北方90キロにあるチンエン市からさらに赤土の山道を5キロほど登ったところにあった。少し前の大雨で道が崩れた跡が何カ所もある。村の入口の途中に昔の病院の古い建物が見える。
1957年にできたそうだ。中国は1950年に全国に50万人のライ患者が居た。50年代に中国政府は全土に800カ所のライ病院を建設し強制的に収容していったという。病院はどれも人里離れたところに作った。ヤンケン村もその一つで最初は400人位収容され、一部屋に40人がひしめいていたこともあったそうだ。現在の中国全体の陽性患者数は6000人位に激減してい
る。昔から特に南部に(広東省の辺り)に患者は多く、ついで東部、西部の順で北部にはあまり居ないらしい。
ヤンケン村の古い病院跡の隣には一軒の民家がある。周囲には村はないと聞いていたのだが、よく見るとパラパラと民家がある。集団下校の小学生の5,6人のグループが村の入り口の前を通り過ぎていったりした。
 ヤンケン村の入り口には大きな鉄の門がある。私たちが到着したときその門の周りには何色かの旗がひらめいていた。門に向かい合うようにコの字型に長屋状の瓦葺きのレンガ造りの建物がある。それが住民の主な住まいだ。そこに、八畳位の居室が並んでいる。部屋数は30位、その中に診察室、台所(今回のキャンプの作業場)、娯楽室(テレビと麻雀が数少ない娯楽)がある。
水道管が部屋の前をやはりコの字型に走っていて所々に3部屋に一つ位の割りで蛇口が40センチぐらいの高さに立ち上がっている。村人はそこで体を洗い、食事の準備をし、洗濯をする。
外に公衆便所があり、何世帯かは外にある家に住む。このトイレが面白い。中にはいると大便器が4つあり、その境目は50センチ位の高さまでレンガが積んであるだけ。仲良く顔を見ながらしゃがみこむことになる。当初私達は逆向きにしゃがんでいて、ある日メンバーの一人が村人と一緒には言って方向が逆であることを発見。さらに後日、村人が紙を使わずに割り箸より少し大きめの竹のスティックで(広東省は竹の産地で日本に輸出している。)尻をスッと拭って出ていくのを見た。そして時々その使用済みの竹を集めて焼いていた。私達は、一応水洗式になっているそのトイレで紙を使いすぎ何度も詰まらせてしまった。
天井は無く上方で全室つながっている。中庭には十字形にコンクリート道路がつけられている。「モックァ」というマンゴーのような果樹に実がたわわになっている。生では食えない。ニワトリが20羽程、犬が10匹ほどうろうろしている。
昔、漢文の時間に習った桃源郷の様なところだ。
ただ、違っているのは、この村の住人37人が政府からの月120元(外食すれば1日20元位掛かる)というわずかな生活保護で暮らしていることだ。自立のための生産手段はほとんどない。1日2食の生活で栄養が不足気味だ。村を訪れる人は、月に一度保護費の支払いに訪れる役人と、HANDAの人達のみ。社会から隔絶されている。
食料の買い出しのための交通手段ははタルタりという耕耘機に荷車を付けたものだけ。大雨が降ると山道は通れない。

――大歓迎の村人達――
何十年も外との交流をたたれた村人達なのに彼らは私達に対してすごく親密だった。十日間ほど一緒に暮らしただけなのに別れるときには抱き合って涙を流した。「今度来る時には広東語を勉強してこい」としつこく言われた。
茶話会のようなものを3回した。菓子や料理を食べながらキャンパーと村人と交流した。北京語が通じない人が多いので北京語の通じる人に通訳をしてもらった。広東語をいくつか教えてもらった。乏しい言語能力で私達はできる限り村についての情報を集めた。この文章の前段に書かれていることはその汗の結晶である。
もっとこの村の人のことが知りたいと思った。今、広東語を勉強している。近い将来またこの村を訪れたいと、心から思った。
ワークキャンプの生活は19人という少ない人数ながらたくさんの仕事をこなした。皆よく働いたし、村人とよくつきあった。ここでできた関係はきっと私達を変えると確信した。
[柳川義雄 保険代理業]

(注1) KIWCP・・ Korea International Work Camp for Peaceの略、韓国の大田市にある忠南大学校のサークル助癩会のOBを中心にして2000年に結成されたボランティアグループ。
  (注2) HANDA・・IDEAというハンセン病快復者達の世界組織の中国支部のような存在。快復者の村の医療や自立応援をするための組織。広州に本部があり、常勤者5名。らい菌を発見したハンセンとライ病のために尽くしたダミアン神父のハンとダを合わせて命名。会員は2000名。
  (注3) 韓国は1960年代からライ快復者の社会復帰のため100カ所ほどの畜産を営む村を建設した。FIWC関西は1973年からそれらの村で道路舗装や家建設などのワークキャンプを実施。
  (注4) 助癩会(ジョナへ)・・韓国の忠南大学校に1977年に誕生したワークキャンプのためのサークル。以来毎夏、FIWC関西と合同で韓国定着村ワークキャンプを続けている。

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