モグネット ホーム インフォメーション お問い合わせ サイトマップ
ニュース ハンセン病 イベント&ワークキャンプ 茂木新聞社

宇宙世界通信 第15号 1997.9発行


目次



耶馬渓特集#3

浜島恭子

宮田倫

浜田純平

編集後記?


宇宙世界通信 第15号

耶馬渓感想文           浜島恭子



今年もまた耶馬渓の最後の夜にみんなと話が出来てうれしかった。ワークキャンプを止められなくなってしまった私は、耶馬渓キャンプが終わっても皆と違い、帰り立て直すべき日常が今はない。それを情けなく、また焦る思いもなくはなかったが、迷いも弱さも話せる場所があって心底助けられたという気持ちです。
一年前初めて耶馬渓に行った時、最後の夜に鈴木さん荒牧さん小山君と色々話をして(宇宙は潰れて眠っていた)、思いがけなく自分が描いていた将来像がぐらぐら揺れだして、今がある。今があって良かったよ!
   JOBLESS & HOMELESS HAMASIMA

**97夏の耶馬渓感想**
旅先にあってふと里心がつく時「ああ、耶馬渓の卵が磨きたいな」とか「宇宙のギターで歌いたいな」と感じた。そして気がつくと、また耶馬渓に来ていた。
白い百合がまぶしい。青い穂が頭を垂れ始める日本の夏に随分久しぶりに会った。
私が箱の中で長らく働いていた間も、毎年こうして夏は来ていたんだなあと思った。

宇宙世界通信 第15号

耶馬渓感想文           宮田 倫



 今日は、やばけいで一番かわいそうだと思ったのは、鳥を殺すことがむごかった。血とかはあまりでなかったが、たたいたりして、とてもかわいそうだった。いたそうだった。しかし、とかいの僕たちは、鳥とかをスーパーとかでかって、なにもおもわずたべている。僕はスーパーとかいろいろで、鳥とかを殺していることをみんなにしってほしい。そして、こういうことが裏ではあるんだよ!!ということをわかってほしい。
ぼくは、犬の散歩をはじめてした。たのしかった。やさいもぬいた。山岸いらいだ。こううんきもうごかした。ふりまわされた。すべてまなんだ。そしてたのしかった。こういうくらしもいいなと思った。

宇宙世界通信 第15号

耶馬渓感想文           浜田 純平



旅の途中で

人生とは、不可解なものであり、出会いとは偶然にして必然なのかもしれない。
おいらは1997年4月24日に、生まれて初めて耶馬渓という山深い町を単車で走っていた。そして、下郷小学校の校門のそばで荒牧氏と会うことになっていた。「文庫さだや」の中から出てきたその人は、黒い野球帽をかぶった、タレ目がとても優しい印象を与える、少し椎名誠にも似た人だった。そして、ヒマをもてあましているおいらは、荒牧氏の息子である耕太郎(5才)の野球の相手に指名され、放課後、人もまばらな下郷小学校の校庭で童心にかえって、ノスタルジックな気分になるのであった。
「文庫さだや」が終わり、荒牧氏の家に帰るとともに待っていたのがタマゴ磨きであった。夢中で磨いていると、おいらの脳裏をかすめたのは、スクールウォーズの「イソップ」の姿であった。
とにかくこうして、私は幸運にも荒牧氏の弟子となることができたのである。そして、一週間が過ぎた。毎日何かしら印象に残る出来事があった。夜中まで人生や哲学的なことを語り合ったこと。ニワトリを絞め、燻製にして食べたこと。イッサクさんが何を言ってるんだか分からなかったけれど、とてもいい人だったこと。オコボウサマと部落の因習。口ヒゲの鈴木さん。サカリのついた犬たち。鈴木さんの口ずさむ「トゥモローネバーノウズ」が不自然に思えたのは何故だろう。
そして、あっという間に五月の連休になってしまったのである。鈴木さんにワークキャンパーたちのことを聞いて、どんな人たちなのだろうかと想像しながら待っていたのである。
はじめに来たのは、宇宙さんとハットリンだった。そして、次の日ハマチョーが来て、その後は断続的にやってきて、樋山路は大にぎわい。作業もみんなで楽しくやったのであった。
夕方に車に乗って温泉へ行ったり、酒を飲んだり、歌を唄ったり、ゲームをやったり、みんな本当に楽しそうだった。おいらは少々体調をくずしていて、夜になるとセキがとまらなくなるという、にわかゼンソクになるので、みんなと十分コミュニケーションをとることができなかった。それでも毎日が楽しかった。宇宙さんが言っていた「徴農制」の話なんか、とても興味深かった。ハマチョーにバイクの運転を教えたりもしたっけ。宮田くんと麻里ちゃんのコーラスがきれいだったし、あかりちゃんはマルかった。坂口さんが独身だという事驚いた。
いろんな事があったけど、いろんな人の生き方を知り、互いに刺激しあって、みんな元気で去って行った、そんな感じですよね。
出会えたみんなに、ありがとう。


宇宙世界通信 第15号

編集後記?



フォーラムの話
大体、六月にやった関東委員会のらい予防法廃止1周年記念フォーラムはまずまずの成功を収めたのにも関わらず60万円の赤字が出た。「愛する」を選んだことや進行の仕方においてハンセン病の歴史への配慮という点で欠ける、という評価を受けているのは確かだし、おれはその不備について深く反省しています。このフォーラムの準備中おれはずっとぼやいていたし(元就のように)、終わってからもぼやいていた。会計報告を尾形さんから聞いてからはもう言葉も失い、この九月までひたすら仕事やほかの活動に打ち込む日々でした。
60万の領収書は尾形さんのところにあります。カンパは拒否しません。関東委員会まで、余裕があればカンパをお願いします。年会費の振り込みも拒否しません。年間3千円で、かなり広いボランティア活動の(1)報告を見る(2)交流を図る(3)呼びかけをする(4)いいかげんさを知る・・・etc(=参加する)ことができます。軽自動車保険よりお得ですし、オゾンホールを拡げる心配もありません。興味のある方はどうぞ。

モグネット https://mognet.org