日本にもアジアにも、地球上には様々な人間の暮らしがあります。
私たちが無意識に送っている日々の生活が、ある人々にとってはとても困難であることを知ったとき、そしてこの人たちが朝な夕なの祈りを捧げる姿に出会った時、改めて豊かさというものの本質を問い直す手がかりが与えられるように思います。
毎日慌しい生活に追われる私たちですが、ほんのひと時これらの人々に握手を求めて手を差し伸べて見みてください。私たちは共に今を生きていること、生かされていることを深く共感することでしょう。このニルヴァーナは、私たちが共有したい情報を提供し、共に考える場として発展していくことを目指しています。
日本のハンセン病元患者さんたちとの交流は、10年ほど前の大円寺前住職の存命中にさかのぼります。ある日寺の応接間に、東京都東村山市の多磨全生園から、数人のお客様をお招きしたのが始まりでした。 ハンセン病を患ったことのある元患者さんたちの多くは、「らい予防法」という法律の下で、また人々の無知と無理解によるいわれの無い差別を恐れて、生活の全てを療養所の中に閉じ込めてしまう結果になってしまいました。そこで故郷の三重県に来ても、訪問できる親族の無いこの方々を、お招きしたのが始まりです。一緒にお抹茶を戴き、楽しい昔語りのなかでお昼ご飯を食べながら過ごしました。前住職の没後は、その遺志を継いで療養所を慰問したり、目の不自由な人のために朗読テープを送ったりと、ささやかな交流が続きました。
またインド、ネパールとの交流は、およそ30年前、前住職とその檀家の有志が佛跡巡礼のため、インド、ネパールを訪問したのが始まりでした。 その時、インドで通訳をしてくださったスッバ氏をとおして、インドやネパールからの留学生と出会い、かれらのお世話をする機会がありました。 それ以来、主として東南アジアからの学生、研修生との交流が続いております。いろいろな出来事がありましたが、日本で出産した留学生のお世話をしたときは、本当に多くの人の協力がありました。
日本のハンセン病療養所に勤務する医師とその仲間たちで構成しています。
平成8年、100年近く続いた「らい予防法」が廃止されたことは、どなたの記憶にも新しいことと思います。しかし今なお多くの元患者さんたちは、過去を隠して生活しています。単純な無知が、意味の無い差別を存続させ、たくさんの悲劇を生んできた事実は、私たち自身の生き方を振り返ってみる契機となりました。
一方これまでの諸外国との医療協力を経て、途上国から招いた研修生や世界のハンセン病対策に情熱を燃やす研究者達と連携した、世界規模のネットワークを持つことができました。彼らとともに、山積された諸問題と向き合う中で、これらはさらに多くの人々に伝えるべきメッセージであることに気付きました。
本部:平田是賢(三重県桑名市、大円寺)
東京支部:並里まさ子(国立ハンセン病療養所栗生楽泉園・副園長)
[NIRVANA、2003年7月]