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蘇恵農場

大畜産団地を夢見る 蘇恵農場

さわやかに南北へ長く伸びたクマ高速道路に乗ってテグ市を過ぎ五十kmほど行くと、左側に由緒深
い歴史をたたえた昌寧邑が見えて来る。昌寧に対する歴史的な記録を辿れば遠く三国時代にまで遡るが、新羅の此自火郡として始まり、高麗の太祖二十三年に昌寧郡と呼ばれるようになった。昔から陸路交通の要衝に位置し農産物の集散地として栄えつつ、一方では現在、国宝二十三号として指定されている眞興王拓鏡碑を始めとして観龍寺、石氷庫などの名勝古跡が多く残る古都でもある。
このような長い歴史と伝統を抱いている昌寧邑は、近来に至ってからクマ高速道路と共にフゴク
温泉が開発され、今でも多くの人々が足を運んでいる。

*蘇恵農場の始まり
このような地理的な条件と長い歴史を持っている昌寧邑に蘇恵農場が建てられ始めたのは、ハンセン氏病のために自由に活動する事ができなかった数名の人々が昌寧邑・カルジョン里にある山の中腹に住みついた一九四八年頃からであると伝えられている。八・一五解放とともに訪れた建国初期の社会的な混乱と経済的貧困の中で、彼等は自立できる土地を手に入れるために汗水流して働いていた。しかし、限定された土地と貧弱な労働力で仕事に何らかの成果を期待するというのは初めから難しいという事がわかっていたため、彼等の日々の生活は絶望に近い物だった。
そして、人間の限界を悟った彼等は神様に救いを求めて行った。涙を流しながら断食をし、天を仰ぎ見て祈りを捧げた彼等は、その当時、昌寧邑教会で事務をしていたペ・ソングン牧師を訪ねて、一週間に一回ずつでもいいから神様の前に祈りを捧げられるように導いてほしいと懇願した。そして、これに快く応じたべ・ソングン牧師は、礼拝引導ばかりでなく多角的な方法で蘇恵農場の村人たちを助け始めた。この配慮に心から感謝した彼等は心を一つにしてペ牧師の導きに従い、誠実な人生の道を開拓して行こうと努力した。それによって、これまで彼等の集団生活に反対して憂慮の念を見せていた近隣の住民たちも、勤勉と誠実さをもって熱心に生きて行く彼等の姿を目にして安堵するようになった。
だが、これからは放浪しないでも生きて行けるという自信感を抱き、毎日、玉の汗を流しながら熱心に働いていた彼等の前に、六・二五(朝鮮戦争)という戦乱が襲って来た。戦況が暗たんとしたまま国軍が南へと押され始めると、避難民も列を連ねて移動して来た。そして、これを眺める蘇恵農場の住民たちの心もぎわめき出した。けれども、彼等は全村民が心を一つにしたまま、その中心を失ってはいなかった。毎日のように夜明けに集まり、神様の前でこの民族の動乱が一日も早く終わる事を祈り、避難民の列に混じって南下して来る同僚たちを暖かく迎えて接待する事に神経を注いだ。
やがて六・二五動乱(朝鮮戦争)が終わると、初めに三世帯で出帆した蘇恵農場が約五十余世帯になっていた。そのため当局の方でも彼等の困難な境遇を鑑みて、充分ではなかったが生計にたくさんの援助をしてくれた。このように村の人口が急激に増え、身を動かせる場所も不足した状態が続いたため、村人は傾斜した山の麓を耕してならし、彼等が住める居場所を作り上げる事にした。村民が多くなると、争い事も繰り返して起こるようになったが、同病相憐の心があるために大きな問題には至らなかった。病弱な同僚のために健康な若者たちがきつい仕事を行なってあげ、また、教会の指導者たちが一体となって村民たちの和合と団結のためにカを注いだ。戦乱によって村は困難に陥ったが、歳月が過ぎるにしたがって、また安定を取り戻すようになった。若者たちは近隣の村へ貨労働に出て行き、その報酬により子豚だとか鶏のような家畜を買い入れ始めた。
そして、彼等が定着して生きるための土壌を耕し始めてからちょうど十年目になる一九五七年十二月には、聖堂を建築して奉納し、また、同僚の中から初めて長老も出て、一緒になって喜びを分かちあった。何ら持つ物もない状態から始めて、着実な成長を重ねて行っている彼等を周囲の人々も新しい目で見始るようになって来て、村全体が涌カであふれるようだった。

*畜産の始まりと経済成長
その後、狭い土地と傾いた地形で所得を高めて行くために、彼等は畜産に関心を持ち始めた。家事と言えば、豚が一、二頭、鶏が数十匹で全部だが、彼等が生産し出す所得は大きな役割を果たし生計を大きく支えてくれた。村人皆で結し合った結果、困難に打ち勝って行く事ができる方法は畜産だけだという結論に至り、今後とも家音を最大限に増やして行く手にした。一九六一年には当局の政策的な支援によって現地定着事業が活発に進められたが、この時に陽性反応を見せた人々は全て国立病院へ移送させられ、ハンセン氏病が治癒した健康な人々だけが定着するようになった。そして、健康な人々だけが一緒に集まってみると、これからどんな事でもやって行けるぞという自信感が心の中に生じて来るようだった。
荒廃した山の麓がだんだんと畜舎に変わり始め、家畜の数が序々に増えると、彼等は飼料の供給が絶対に必要である事を知り、自家配合施設まで備えて、本格的に畜産を進めて行った。毎朝、鶏小屋の世話をしながら卵を取り出す喜びを味わい、増える子豚が自分たちの財産として唯一の所得源になった。

*養鶏授受の増加と困難
彼等は自立のためには、どんな事があっても鶏をたくさん飼わなくてはならないという考えるようになり、時には飼料工場からの与信(貸し付け)も最大限に利用してたくさんの投資をして行った。しかし、市場に対する情報にうとく、商人たちの手に全てを預けるしかなかったため、たくさんの被害を被らざるをえなかった。だんだんと卵の生産量が多くなると、プサン、馬山などの地から中小商人たちが先を争って集まり始めたが、彼等はまもなく蘇恵農場の弱点を見ぬくようになると、これを最大に利用して目につかない程度に多くの被害を与えて行った。特に卵を帳付けで購入して行った後で値段を計算するという方法によって蘇恵農場を利用し、時には卵の売買で不渡りを出すという事も発生した。最近に至っては全国的にも卵の生産は増えて、その消費量が鈍化すると、蘇恵農場の場合は他の地域よりもさらに多くの被害を負うはめになった。
現在、蘇恵農場が保有している鶏は十人万匹程度だが、一世帯当たりで見ると数千匹未満の零細規模で生産力もだいぶ立ち遅れている。流通情報に対する暗さと適切な代案が備わっていない現在の状態では、相当期間、事業の沈滞が続くようである。せっかく意欲を持って始めた畜産業がさらに活カを得られるように、画期的な方法を立てて対処しなければならないのに、今だにしっかりとした方法が立てられずにいるようで残念である。
村では今日も全村民が自力でなんとか困難を克服して行こうと、ありったけのカを注いでがんばっているが、滞った飼料代金と単位農協の債務が大きな荷物となっている。秋夕(お盆)を前後にして一時期伸びていた卵価が、再び落ち込んで来ていると不平をこぽす村人は、養鶏業を整理する事もできず、かと言って熱意を持って仕事に打ち込む事もできないというどうしようもない危機に陥っていると苦しがる。全財産を投資して作った養鶏場が溜め息に変わっている現実を当局の方でも正しく把握して早急に対策を立てなければならないと思う。

*一線指導者たちの役割
内部的に抱いているこのような問題点を解決するために努力している指導者たちは一様に、現実に見合った飼育規模と生産性の向上だけがこれを解決して行くための唯一の近道だと判断しているが、村人の中でも消極的な人達はこれを回避している。一個でも多く卵を多く生産して、支払いの遅れた飼料代金と負債を精算し、経済的な内実を固めなくてはならないという考え方が、蘇恵農場の位置を新しく定めて行くものと思うが、村人が全てその考え方に参与しなければ成功はおぼつかないであろう。
現在、蘇恵農場を引っ張っている代表者はホ・スング氏で、あらゆる事に積極的な著者である。彼が一線に立ち、強い推進力をもって仕事を進めて行く事ができたのは元老たちの声援と見えない助けがあったからだという。その中でも第二代会長として韓星協同会の発展に大きく寄与したチョン・キョンド長老は、今も見えないカとして蘇恵農場の発展のために尽くしている。蘇恵農場の創設以来、指導者として神様の御言葉を伝える仕事をして来た彼は、今も蘇恵農場で大きな役割を担っている。

*蘇恵農場の発展計画
我が国の中心部である中部以北圏とは遠い距離に位置している蘇恵農場だが、陸上交通の要衝であるために、今後も多くの発展が期待される畜産前進基地である事には変わりない。特に昌寧邑にありながらも今だに不動産景気の影響を受けておらず、坪当たり二万ウォン程度で畜舎を建築するための敷地を手に入れる事ができる。また、国道から五十余m、クマ高速道路からは七百余メートルしか離れておらず、産物の輸送においても大都市に遜色のない便利な条件を備えている。今だに農場自体は零細であるが、大きな資本を持っている畜産農家さえ入って来れば、今後、充分に発展して行く可能性を秘めていると言えよう。そして、村で今、一番問題となっている流通上の課題を円滑に解決して行ける指導者が先頭に立つならば、蘇恵農場の発展は確実に保証されるものとみる。最近では養豚へと転換する農家が増えているが、これに対する対策も充分に検討して流通上の問題を体系化し、系統出荷能力を備えられるように相互協力をして行かなければならないとだろう。七十六世帯、二百七十余名の全村民が心を一つにして生きて行く蘇恵農場の基盤が、今後ともさらに確固とした物となって行く事を期待したい。

[原典:「韓星」(韓星協同会発行)、日本語原典:「灯の村」菊池義弘/訳・編]

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