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草谷農場

迎日湾の畜産基地 草谷農場

一九六四年の春、迎日湾に吹きつける風は冷たかった。
政治的な長い恐慌状態と不安定の中で、ハンセン氏病から治癒した十余家屋、三十余名の人々は「定着」という名の下に新しい生活を始めたが、先行きは暗たんとしていた。
けれど、冷たい風がか細い胸ぐらをなでつけるように吹き抜けて行っても、彼等は心をまた新たにして「しっかりと生きてやるぞ」という意志を囲めた。安逸無事な考え方はかえって自分を蝕む事だと悟った彼等は、心を一つにして天幕を張り、狭い空間でもそれを最大限に活用して所得を得ようと努力した。そして、天主教(カトリック)の聖母慈愛会から与えられた農耕地と林野を汗水流して耕し始め
た彼等に対して、近隅の住民たちも積極的に協力してくれたため、だんだんと働く喜びを感じれるようになった。彼等とって決して満足の行く物ではなかったが、それでも努力の末に何とかして手にした初収穫を、いつも弱くかわいそうな者を見守って下さる天主様の前に供え、感謝の祈りを捧げた。目に見えて変わる事はなかったものの、最初に一緒に定着した十余世帯と愛生園から移住して釆た十余世帯の人々が、共に真の愛をもって日を追うごとに着実な基盤を固めて行くようになった。
それから歳月は流れ、第三共和国の出帆に伴う経済開発の摘発な推進によって、一九六八年には近隣に位置する浦項市が重工業の前進基地として指定され、製鉄工場が建てられた。国内外からは反対と共に否定的な意見も多かったが、浦項製鉄の竣工は地域開発を推進する上で大きな起爆剤となった。あちこちから機械の摩擦音が響き渡り、電力供給が円滑になり、山間の奥地と言っても変わりなかった土地にアスファルトが敷かれ始めた。
そして、そのように交通が便利になると共に全ての分野において急速に発展して行った項、農場内に大きな問題が発生した。一般社会では容易に納得の行かない話なのだが、農場運営の主導権をめぐって摩擦が生じたのである。現在では村人の全てがその時の事を後悔し恥ずかしがっているが、半面「それは避けられない事だった」と言う農場の某中堅人士は、「しかし、これ以後、農場は安定を取りもどして発展した」と語っている。ともかく、当局の積極的な介入と村人たちの理解によって紛糾が収拾され、安定の必要性と団結の意味を改めて悟った彼等は、お互いに譲り合いながら全ての事に協力して行けるような新しい風土を培って行った。

*経済成長の始発点
困難な条件を克服しキリストの愛によって一つになった彼等は、それまでわずか数十余匹の鶏を飼っていたにすぎなかった畜産を本格的に育成して行かなくてはならないという声を受けて、当時の指導者であるアン・ダルウォン氏が中心になって対外支援の要請をして行った。農協との交渉で畜舎施設の建設ための資金融資を受け、各界から必要な情報を入手して、数千匹以上飼える畜舎を備え、新型ケージを設置して能率的な養鶏を始めた。時には資金が不足して困難を伴う事もあったが、某飼料会社の助けによって畜産規模を拡大させ、養鶏団地を造成して行った。
現在、草谷農場で飼っている産卵鶏は三十万匹に肉迫しており、鶏卵の生産量も一日六万個にも上っている.それだけでなく最近の好景気によって養豚にも手を広げており、千余匹に達する豚を飼っている。草谷農場で毎日消耗される配合飼料の量も七百五十トンに達しているのが、これは飼料業者たちも決して無視できない量である。

*定着を通した畜産資財の購入
現在、慶尚北遭に散在する定着村は二十二カ所に至るが、その大部分が産卵鶏によって所得を高めている。その二十二カ所の農場の共同利益と所得増大のために情報交換をする親睦団体として出帆した「鹿北定畜舎」は、慶尚北道地域の定着農園の畜産業発展に大きく寄与しており、ここに加入している草谷農場は、飼料価格の調整と動物薬品を定畜会から公示された価格通りに購入して使っている。現在、村では東西飼料と高麗産業の飼料を各々四百トン近く使っているが、決済当時に飼料会社の与悟(貸し付け)管理規定に従い、慶北定畜会で契約された価格通りに購入しているため相当な利益を生んでいる。また、動物薬品も八十パーセント以上を鹿北定畜会を通して安い価格で購入する事によって最大の利益を得ようと努めている。
現在、農場の代表者と畜産組合長を兼ねているイ・ヒウク氏も、慶北定畜舎の創設メンバーとして加わっており、最大の協力を通して最高の所得を得ようと尽力している。

*畜産業発展の問題
このように基本的な条件を着実に備えて行きながらも、草谷農場の未来は暗い。なぜならば施設の拡大に伴って生産して行った鶏卵が円滑に流れていないためだ。生産された卵の取り引きを大部分プサン地域の中小商人たちに頼っているため、彼等が弄する横暴に対して、ただじっと眺めているしかない状態なのである。近隣に浦項製鉄や軍部隊等の大規横消費地が集まっていながらも、卵一つさえ直接納品できず、生産した全てを商人たちの手によってプサンなどの大都市へ不利な条件で売り飛ばされている。さらに最近に至っては、全国の鶏卵市価が生活を脅かしており、ひどい滞貨現象によって苦境に陥っている。一時、安定した景気を維持して釆た鶏卵市場も、現在は極めて不透明な状態となっており、需要地を直接相手にできないという弱点もあって、村が経済的に受ける圧迫は計り知れない。
他の地域の畜産業者たちとはとても競争にならないような零細な施設と資本でもって畜産業を続けなければならないハンディキャップを負っているが、草谷農場に限らず大部分の定着村はこのような深刻な危機の中にある。
そして、このような畜産緒般の問題については関係当局との綿密な接触を通して円満な解決策を立ててくれるよう韓星協同会に要望するという草谷農場の指導者たちは、また、近隣の大消費地に対する納品協議も合わせて行なってほしいと語っている。

*宿願の事業であった飲料水源の確保
今年で定着してから二十五年の歳月が流れたが、今だに飲料水難にあえぎながら不便な生活を強いられている草谷農場では、その間、カトリック皮膚科医院のエンマ・フライジンガー院長を通して千五百万ウォンの支援を受けて、地下水の開発を始めとした数十回に及ぶ飲料水確保のための事業を行なって来たが、今だにその意志を達成できずにいる。
近隣の興海邑から上水道施設を誘致して来るため、これまで何十回にも渡って交渉を重ねたが、最近に至るまで確実な答えを受けらなかったばかりか、逆に草谷農場の発展を妬む声まで起っており、果たして問題を解決する事ができるのか暗たんとした状態である。また、その一方で今だに草谷農場の土地が天主教・聖母慈愛会の所有になっている事も、住民たちの投資意欲と将来を不安気にしている。これまでにも幾度か聖母慈愛金側と接触を持って、土地の払い下げ問題を協議して来たが、当局の規制を言い訳にして日を延ばしているため、村人たちは気を揉まされてばかりいる。
現在、草谷農場では畜舎の規模を当局から認可を得た上で今まで以上に大きく拡大し、意欲的な事業を展開して行っているが、畜産景気の先行き不透明な展望から困難を経ている事も事実なため、村の指導者たちは畜産景気が回復し畜産業に対する経済力が備わりさえすれば、前に提起された問題も容易に解決して行くだろうと見通している。
今後、畜協が独占している畜産物の大量消費地である浦項を根気強く開拓し、道を切り開いて行くならば、どこにも劣らない農場として発展して行くものと見る。村の代表者であるイ・ヒウク氏が中心となって推進している一般の人達の農場入居問題も、積極的な広報活動を通して誘致して行かなければならない問題であると考えているならば、今後、養老問題が生じる場合に備えて施設の確保等、充分にその対策を整えて解決して行く事が望ましいと思う。代表者を始めとした農場指導者たちの献身的な努力と村人の積極的な協力を通して新しく建設されて行く草谷農場の明るい未来を心に描きながらこれからもなお一層発展して行く事を願っている。

[原典:「韓星」(韓星協同会発行)、日本語原典:「灯の村」菊池義弘/訳・編]

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