信仰で勝利を成した福祉村 三愛農場
秋風嶺峠に面した集落から発展し始めた金泉市は、単位人口が十万にも満たない都市だが、農産物の集散地として陸路と鉄路の要衝を成している。そして、秀麗な山々と共に調和の取れた広い平野に位置する金泉市は、きれいに整備された市街地を持つ清潔な街というイメージを与えている。金泉市内の中心部から東へ流れる川に歩いて行くと、金泉市の工業団地に指定されている新音洞に至るが、そこに十余万坪の大地の上にぎっしりと鶏舎群が立ち並ぶ三愛農場がある。
*三愛に盛られた意味
「神様を愛し、人を愛し、大地を愛する」という意味から命名された三愛農場は、全国の定着村の中で最も早く自立の意志に燃えて畜産を始め、経済的な安定を得た村である。現在、百万匹にも至る養鶏農場として、慶北地域はもちろんの事、全国的にも畜産人たちの関心を引いている三愛農場は、全ての面で一体感が見られる農場運営によって跳躍をして行っている。三愛農場では現在、二百五世帯、八百余名が心を一つにして団結したカを誇示しているが、今日に至るまでに数多くの苦難を味わって来た。
*放浪から定着の道へ
一九五二年三月二十入日.聖潔(ホーリネス)派の宗教団体である東洋宣教会(OMX)から購入した四万余坪の土地に入植し安息を得るようになった三十余世帯、七十余名の人々は、涙と苦痛の中から新しい人生を開拓し始めた。当時、戦争の混乱の中で極度の貧困を耐えなければならなかった彼等にとって、狭い土地で穀物を育てる事よリは、一日三度の飯をちゃんと食べて行く事の方が心配でならなかった。そして、それに加えて彼等をさらに苦しめたのは、ハンセン氏病に対する認識不足によって周辺の人々が定着に反対していたため、ほとんど毎日のように彼等と戦かわなければならなかった事である。同じ人間なのに、生活の基盤を築こうとしている村人の所に押し寄せて来て反対運動をし、断固として追い出そうとした彼等が憎らしくてならなかったが、それでも七十余名の村人たちは苦しんだ末に、ようやく手にした自分たちの土地を守って行かなければならなかった。
しかし、その時、彼等がこの土地に定着した時に助けくれたナム・ヨンホ長老(金泉市・南山聖潔教会)の慰めと愛が大きなカとなって、村人は自分たちが受けた苦痛と寂しさを心に抱きながら神様に祈り続け、より艮い明日を切り開くのために生きるカを育てて行った。そして、世の中から期待する事ができない全ての事を神様に祈りながら生きて行き始めた彼等の前に、やがてたくさんの変化が起こり始めた。
一九五四年四月十八日.保健社会部からここが乙類療養所として認可されると村民たちが増え始め、病苦にあえいでいた彼等が現代医学によって一つ二つと治療され、健康を取り戻して行った。病苦からの解放によってまさに新しい人生を始られる事になり、その意欲は何でもできるぞ、というような自信感を生み出した。それから十余年の月日が流れ、ハンセン氏病から治癒した百五十余名の村人は当局の施策にしたがって現地定着をしながらヒヨコを購入する等、自活の意志を培って行った。
現地に定着すると農場の内規を作り、共同生活体として出発するようになった三愛農場は、代表者を専任して運営委員会を構成し、全ての仕事を合理的に処理して行き、農場の外で物乞いなど無節制な生活をしながら徘徊してた人々を主体的に取り締まる等、対外的なイメージを改善して行く事にカを入れ始めた。
*教会を中心にした生活
主日ごとに教会に集まって神様の御言葉を聞き、その恩恵に感謝しながら着実な生活を培って行く彼等の前から、やがて困難が一つ二つとなくなって行き、希望に浦ちた人生が得られるようになった。
五・一六軍事クーデターから民間政府へ移行し出帆した第三共和国は、外国資本を引き入れて経済発展を図る事に精力を注いだ結果、国民経済がだんだんと成長して行ったため、それにつれて卵の消費も増加するようになり、彼等が生産し出す卵はたくさんの所得を産み出した。そして、その利潤によってだんだんと畜舎を建て、飼育牛の数も増やして行き始めると、今度は精神的な困難が彼等の前に表われ始めた。エジプトの地で苦痛を味わっていたイスラエル民族が、神の意を受けたモーセの導きによってカナンの地に向かったが、心に余裕が生じると神様に対して罪を犯し始めたのと同じように、彼等も神様に仕える事を怠け、世俗に染まった生活をするようになった。
*信仰により危機克服
一九六〇年代末から一九七〇年代初めまで、彼等は大きな試練を経なければならない時期に差し掛かった。それまでは情が厚くて和合に満ちた村だったのに、皆、自分の事にのみに執着し出して些細な事
からもめ事も起こすようになると、ここではとても生きて行けないと言う村人が増え始め、三十余の空き家が生じるという困難な事態に陥った。それを受けて三愛農場の創設当時から指導者として働いて来たパク・クァンヨル、チョン・スンド、カン・ホァジュン氏などが、対策を協議した結果、何よりもまず信仰でもって心を一つにする事が重要だという結論に至り、まずパク・クァンヨル長老が中心になって信仰復興のための祈祷会と復興集会を持った。
最初はこれに反対して積極的に参加する人も少なかったが、やがて、神様は彼等を見捨てずに愛して下さっているのだという事をたくさんの人々が体験を通して知るようになった。そして、それまで信仰生活を離れて彷徨し、ぱらばらに生きていた多くの人々が神様の前にひれ伏し始めると、利己的な生活に浸っていた人々も再び集まるようになり、それによって農場全体が新しい活カを得るようになった。一時期、神様から目を背けていた人々が悔い改めて神様の前に再び平伏す時、魂が前よりももっと清くなるように、全ての事が良い方向へと向かい始め、彼等は感謝の生活を送りながら互いに祝福を共有するようになった。
そして、このような貴重な体験から彼等は七十万福音伝道隊を構成し、精神的に困難を経ている定着村教会を巡回しながら福音の伝播とともに悔い改めの運動を展開し出し始めた。そのような信仰生活の重要性から、ドンムン教会では今も三十余個の未自立教会を助ける仕事と一国内外への福音伝道のための行事を毎年行なっている。その上、驚くべき事は未自立教会の支援も福音伝道もドンムン教会が所属する聖潔派教団だけではなく、超教派的に行なっている事だ。このように信仰的な礎石の上に立って発展して行く三愛農場は、あらゆる面で先頭を歩む定着村として発展して行っている。
また、子供たちも向学心が強く、父母たちに対する孝行がどこよりも秀でている。たとえ大人たちが試行錯誤をする事があっても、決して恨んだりねだったりはしないと、ある青年は語っていたが、彼の話から大人たちを敬う心が充分に満たされているのを感じ取る事ができた。百命名に達する青年層は、その大部分が大学を経て一般社会へ進出しているが、一方では大人たちの信仰を見習って教役者の道を志す人も多いという。しかし、彼等の中には親たちから譲り受けた畜産を、より科学的で進歩的な方法によって経営している人々もいる。
全ての農場の行政体制が教会中心に成されているため、物事が順調に発展し村人同士の和合がよく保たれ、また、青年たちも他の農場に見られるような葛藤がほとんどない。このように秩序正しく村が運営されているのは、何よりも指導者たちの犠牲的な努力による所が大きいと村人は口を揃えて語る。
*団結で培う自立基盤
定着当時から「農場が発展してこそ自分も良く生きられる」という考え方を抱き農場の公式的な仕事には手を抜く事をしなかった村人の団結心と、「農場発展のために献身する」と語る指導者たちの覚悟によって、一家屋当たり一万余匹をゆうに越えるほど産卵鶏をたくさん育てられる余裕のある農家がだんだんと増えて行った。また、畜産の経営管理面においても、どの地域よりも率先して最新情報を収集し、正確な資料による養鶏業によって、さらにたくさんの収益を得ている。鶏舎の拡張においても旧態依然たる方法を脱皮して、鶏舎一棟につき一万匹以上の成鶏を飼育できる最新式鶏舎を建築し、スクレバ施設による鶏糞除去と全自動給餌施設、強制換気施設などを設置する事によって人力を減らし生産性を高めている。
現在、組合長をしているチョン・スンド氏を中心にして指導者たちが徹底した協力体系を形作り、飼料購入問題から鶏卵出荷まで畜産組合で一括して処理する事によって、三愛農場はさらに強いカを誇示できる農場へと発展して行っている。
*新鮮卵の供給で培う対外信用
対外信用度を高めるために新鮮な供給を行なおうと、生産から出荷に至る過程が二十四時間を越えないようにする作業であるとか、ニュークリンという薬剤を薄める水に二十四時間以上漬けて消毒する作業などは、他の定着村の場合では容易に目にする事ができない工夫であろう。また、コンピューターに個々人の生産と販売量を入力し誤差なく処理して行くシステムは、全国の定着村が一日も早く導入しなければならない事の一つであると思う。一日の鶏卵の生産量はおおよそ五十万個に上るが、ソウル・京畿養鶏協同組合を通して一日二十万個以上が消耗されているため、品物がいつも不足している状態だと畜産協同組合のある関係者は語るが、このような流通上の問題を解決するのはそんなに手易い事ではないので、いつも畜産組合の責任者たちが東奔西走しているという。
集団農場が抱いている家畜に対する伝染病の問題を、徹底した消睾と防疫によって大した問題もなく乗り越えている三愛農場は、より科学的で進歩的な施設を通して、今後とも生産性を向上させながら、所得をさらに高めて行ける農場へと面影を一新して行くであろう。
畜産で最も長い歴史を持っていながらも、単一教会、単一組合によって結束を固めて行く三愛農場は他の農場も手本としてしっかりと見習うべきであり、また、このように心を一つにして一致団結してこそしっかりと生きられるのだという事実を皆々が悟らなければならないと思う。
後輩たちが立派に生き、子孫たちが祝福を共有している姿を見ると限りなく嬉しくなり、農場を率いて行く仕事にやりがいを感じるようになるというある指導者の言葉は、愛と喜びが満ち溢れる村へと発展して行く三愛農場ならではの話ではないかと思う。
一カ月の飼料消耗量がおおよそ三千五百余トンと言うから、これは大変な数字である事に違いはない。大田に本社を置いている某会社は、毎月およそ二千トンの飼料をここに供給しているという。良い品質の飼料を良い条件で供給を受けながら生産性を高め、原価節減を図る三愛農場こそ、神様から神の仕事をしようとする人々にだけ与えられる祝福をせいいっぱい受けながら生きて行く真に選ばれた人々であると思う。
[原典:「韓星」(韓星協同会発行)、日本語原典:「灯の村」菊池義弘/訳・編]