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新岩農場

科学的な養豚で所得を伸ばす 新岩農場

湖南平野の中心部に位置する金堤郡は百済時代から既に穀倉地帯と呼ばれて来た地域で、今だに統一新羅時代に築造したものと思われる碧骨堤(新羅のフレ王の時代に作られた灌漑用治水堤)なども残っている。農業の発達によって、早くから良く肥えた沃土を耕して来たこの土地の住民は、我が国の典型的な農民として余裕と知恵を兼備えているといわれる。

*新岩農場の出発
全羅北道・金堤郡・龍池面・龍岩里。ここは金堤郡の北東に位置する村落で、昔から奥地として人が足を向ける事がほとんどなかった。
一九六一年の五・一六クーデターで生まれた軍事政権によって定着事業が展開され始めると、今まで奥地という理由ただ一つだけで切り捨てられて来た土地にも主人が住みつくようになった。その当時、ハンセン氏病患者たちの治癒を目的に設立された国立益山病院が、陽性患者たちを小鹿島へ移送する一方、主に健康で若い人々をこの地に定着させる事業が展開された。
一九六一年十二月三十一日.厳しい寒さでこちこちに固まった大地の上に六十三世帯、百二十六名の人々が天幕を張って住みつき始めた。しかし、それは決して平坦な道ではなかった。当局の政策にしたがってハンセン氏病快復者たちを現地に送って自立できる土地を確保しようとしたのに、近隣の住民たちがこれを正しく理解せず猛烈に反対し出したからである。その時、当局側でもいろいろな方法を駆使しながら、住民たちを啓蒙して行ったのだが、しばしぱ摩擦が生じた。しかし、彼等はこれらを上手に乗り越えて行った。そして、せっかく手に入れた土地を無為に手離す事がないよう、貴重品でも扱うようにして土地を大切に耕し始めた。当局も彼等に一世帯当たり四坪程度の家屋を与えて定着事業を援助してくれたため、ここに住む村人の内、百二十名の人々が住処を持つ事ができた。そして、彼等は夢にまで思い描いた我が家を与え、幸福な人生への扉を開いて下さった神様に対して感謝の祈りを捧げ、感激とともにその第一歩を踏み出した。しかし、その時にまず第一に問題となった事は、吹雪を防げる家よりも、一日一日をどのようにしたら飢えないで生きて行けるかという食糧問題だった。
そして長くつらい冬が幕を下ろし、定着してから初めての春を迎えた。しかし、彼等が住む所と言ったら周囲に松林があるばかりで、広く良く肥えた湖南平野などは目の前に映るただの絵にすぎなかった。どこから何を始めたらよいのか気が遠くなった。しかし、若くて健康な肉体を持った彼等はそのままじっとしてはいなかった。袖を捲り上げ、ぎこちない手つきで土地を耕し始めた。一抱えもする大木の切株を抜くために土を二、三メートルも掘り返す作業は、決して容易な仕事ではなかった。数十日かけてやっと数十坪の土地を手にできるようなペースだったが、日を追うにつれて少しずつ広がって行く土地を見ているとだんだんと意欲も湧き起こって来るようで、疲れも忘れてさらに熱心に働いて行った。
そんなある日、山林庁の職員という人々がやって来て、無断で木を切り出す事は不法行為であるから即刻作業を中止するように通告した。それはまさに村人の意欲を削ぎ落とすような出来事だった。これ以上の開墾は不可能ではないのかといった絶望的な思いも込み上げて来た。しかし、この時、幸いにも保健社会部の協力によって合法的な手続きを受けられるようになり、開墾事業を再び続けられる事ができた。彼等はキリスト教奉仕会から送られた小麦粉とトウモロコシで空腹を癒しながら熱心に働いた結
果、翌年には三余方坪の土地に穀物を植えられるようになった。そして、陸稲を植え、それを熱心に育てて行った彼等は、秋になって十分な稲を収穫する事ができた。分量から見れば、穀倉地帯から受ける収穫としては少ない方だったが、彼等にとってそれは何物にも代えがたい感激的な収穫物だった。このように「働けば収穫を得る事ができる」という新しい真理を体得した彼等は、あらゆる仕事において自信を持つようになった。

*生活の安定と畜産
歳月は流れる水のように早く過ぎて行った。定着とともに開墾した土地が今では十余万坪にもなったが、新しい情報を得ながら最近では複合営農を始めている。そして、彼等が農作物や特産物の栽培に劣らず情熱を傾けて来た物は畜産である。一九七〇年に入り、国内景気の好況によって畜産物の消費が伸び出して収入が高くまると、豊富な労働力によって、どんなに難しい仕事でもこなして行けるという自信感を得た彼等は、今度は鶏と豚、牛などの家事を副業として飼い始めた。先を進む定着村が畜産業で生活の安定を得たのを見て、彼等はそれらに対して多くの関心を抱いて情報を収集した。
一九七〇年に入り、国内景気の好況によって畜産物の消費が伸び出して収入が高くなると、彼等も家畜に対して関心を抱くようになった。たとえ住居面積が狭くなったとしても、ビニールハウスを改造して増やした家畜たちは、彼等にとって大切な財産だった。
家畜が早い速度で増殖し出し、それとともに販路も広がり始めると、彼等も仕事にやりがいを感じられるようになったが、そんな中で一九七九年になって大きな試練に直面した。それまで情熱を込めて育てて来た豚の数量が飽和状態となり、飼料価格と人件費を充たす事ができなくなって借金にあえぐようになったため彼等は進退をきわめなければならない危機に立たされた。そのため彼等はしかたなく出荷を中断して、しばらく事態を眺める事にした。多くの人々が捨て値で子豚を市場に出したがそれでも売れなくて、ひどい場合では子豚を土に埋めた例まであった。
これに対してキム・ヨンラク長老を中心とした指導者たちが集まり、対策を協議した。何人かの指導者は、養豚を放棄して、他の畜種へ飼育を転換しようとしたが、進歩的な考えを持つ何人かの指導者は養豚をこのまま続けて行こうと主張した。

*養豚不況の克服と祝福
それで代表者のキム・ヨンラク長老が中心となって畜産専門家たちから諮問を受けた結果、養豚を固守する事を決定し、一九八〇年になって彼等は畜産施設を近代的な物に改造した。土地の少ない新岩農場の場合には本格的な畜産業が適していると考えた上で下した結論だった。
しかし、設備投資のために必要な資金はあまりにも膨大で、農業と副業による収入だけではとても賄い切れないような額だった.これに対してキム・ヨンラク長老はそれまでに築き上げて来た借用を基に、農協から融資を受ける事にした。そして、農協から信用融資を受けると、彼等は畜舎を本格的に拡張して豚を買い入れて行った。農業に対する未練もないわけではなかったが、より所得が高い畜産へと事業を転換しようという考えが支配的だったため、豚を主種として選んで本格的な事業を展開して行った。そして、このような基礎の上に立って出発した養豚が、やがて全国の定着村で一、二位を競う程の大農場へと変貌して行った。
一九八八年六月、現在。子豚を含めた飼育頭数は一万二千頭に達しているが、これを食べさせる飼料だけでも月六百トンにもなるという。

*養豚の経営合理化の必要性
一万二千頭というたくさんの豚を保有している新岩農場は、今だに生豚を商人たちが買い取っている状態なため、これは今後、改善して行かなくてはならない問題点である思う。今までこれといって商人たちから被害は受けた事はないようだが、生産量の全てを商人たちに依存する現在のやり方は修正されなければならない。それによって大規模経営をする道畜との直接的な連携によって流通を行った時よりも、さらに安定した基盤になるのではないかと思う。また、肉質改善のための種母豚の購入と優秀な母豚を確保する事も、考え直さなければならない問題点だと思う。
最近の統計によれば、養豚の飼育頭数が増えているため、今年下半期中には肉豚市勢が急激に落ちる展望が見込まれているが、このような時にこそ肉質を高めなければ兢争カを得る事はできないという事をよく考えなければならないだろう。

*農場発展に必要な豊富な底力
一九六二年一月七日.定着と同時に設立された新岩教会を中心として、着実な信仰生活を行なっている新岩農場の村人は、キリスト教精神に立脚した博愛精神に基ずいて、お互いによく結び合いながら生活しているが、特に青年たちの積極的に生きる姿勢が高く評価されている。意欲的で進取的な姿勢で常に隣人のために奉仕しながら生きて行く若者たちはその大部分が大学生で、農場発展の原動力ともなっている。長い間、指導者として働いて来たキム・ヨンラク長老の言葉通り、彼等の積極的な働きさえあれば、農場の発展と自立の道はそう遠くないうちに訪れるであろう。
「しっかりと農場の基盤を固めて、若い層と既存世代が和合して行けば、新岩農場は三年以内に現在の所得を三倍以上増やす事ができる」と、指導者たちは口を揃えて言う。
このような条件を持っている新岩農場では今後、福祉問題に大きな比重が置かれるものと思われるが、昨年には福祉会館が建てられ、養老対象者を収容するようになったという。また、最近問題となっている畜産廃水の浄化問題でも、当局と協議をしており、すぐにでも廃水処理施設が設置される予定である。
現在、村に住む百五世帯の内、八十帯が改新教(プロテスタント)の家庭で、二十五世帯が天主教(カトリック)の家庭だが、宗教問題を離れて互いに善意の親争をしているという事も、農場発展の一つの原因になっていると言えよう。過去の地理的な弱点を克服して、広い大地の上に絢爛とした基盤を築いた新岩農場にはより多くの発展的要素が無限に潜在している。
前述したように、高い知識を積んだ若者たちが、農場発展のために誠実な姿勢で取り組んでおり、開拓当時、第一線で働いて来た指導者たちが心を一つにしてそれを裏から応援しているため、大きな問題もなく今後とも発展してものと思う。
これからは畜産業に対してより科学的で近代的な方法を駆使して、不充分な点を一つ一つ補いながら協力し合って行くならば、畜産業で確固とした経済力を得られるようになるだろう。

[原典:「韓星」(韓星協同会発行)、日本語原典:「灯の村」菊池義弘/訳・編]

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