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新生農場

苦しみを乗り越え歩き初めた繁栄の村 新生農場

南原郡は貞節の女人、成春香と李夢龍の悲しい愛が交された所として、広寒楼、サルサン寺などの名勝古跡が、今も私達に当時の話を伝えてくれている。
全州から四車線高速道路に沿って一時間ほど南方へ走り春香トンネルを過ぎると、やがて南原市に達する。
その南原市から再び十余分ほど走ると、八八(パルパル)オリンピック高速道路・南原インターチェンジに至るが、そこから五百メートル程離れた所に立っている新生農園を始めて見た時、私は平安と和やかさを感じさせてくれる村という印象を抱いた。
しかし、今はそのように平和な所に見えるけれども、現在に至るまで村が歩んで来た道程は、人には到底推し量る事さえできないくらい険しく苦しいものだった。

*新生農場の出発
今から三十年ほど前、六・二五動乱(朝鮮戦争)で荒廃した多くの地域がまだ充分に修復されなかった頃、ハンセン氏病のために社会から冷遇を受け南原地域一帯をさ迷い、苦しい生活を送っていた十三世帯は、その当時、南原市でユリン病院を運営していたカン・ジェオク氏と、今では故人となったキム・チャンホ氏の助けによって現地に定着するようになった。また、その時は政府施策の一環により、国立ソセン園からも十余世帯が追加で移住して来て、総計三十余世帯が一つの村を構成し、新生農園として出発する事となった。
しかし、このように定着はしたものの、全てが何も分からない事だらけでとまどってばかりいた。
その上、雨風をしのぐための一間の部屋さえ充分に構えられない状態で、ただ暗たんとした毎日を送るしかなかった。
けれども、だからと言ってこのままじっとしているわけにはいかなかった。生きるための仕事を手にして、より希望に満ちた生活をして行くために村人たちはしばしば集まりを持ち、対策を話し合った。そして、たぴ重なる会合を通してようやく得た結論は、一度手にした生きる土壌は一生懸命に開拓して行かなければならないという事だった。そして「天は自ら助ける者を助ける」という教訓を頭の中で反芻しながら、熱心に生きて行く事を互いに約束し合った。
幸い彼等には若者という何物にも変えがたい大きな財産があった。血気盛んな若さにはどんな仕事もこなして行ける労働力が潜んでいた。そして、持つ物も何もなくただ身一つで始めた彼等が、透徹した開拓精神をもって動き出し始めた。
彼等に与えられた土地は陰地である上に山林だらけだったため、まず木を切リ出して土地を広げ、家を建てるために土でレンガを作り始めた。ある時は夜中に二十余里もする遠い所から、建築に必要な木材を背負って来たりもした。
だが、そのように熱心に努力をして一坪、二坪と土地を広げて行くうちに、近隣の地域の住民たちが彼等の定着に対して強力に反対運動をし始めた。それで農園は代表者を中心にして彼等に対して説得に乗り出したが全く埒が開かなかった。しかし、それでも絶望しないで、数十回にかけてねばり強く説得し続けた結果、大きな摩擦を起こす事もなく農園開拓を続けて行く事ができるようになった。肉体的には体がつぶれるような苦痛を味わう事があっても、自分たちの努力によって序々に実を結んで行く目の前の物事を見ていると、世の中を妬む事などいつしか忘れるようになった。そして、土レンガで家を築き養鶏場も構えた事によって、ようやく夢にまで描いた生きるための住処を手にする事ができた。たとえ取るに足らない物であっても、彼等は宮殿のような家に対して一つも羨む事はしなかった。ただ新しく生きる道を山聞かせて下さった神様に感謝し、熱い涙を流すだけだった。熱心に働けば収穫を得られるという事実を身をもって体験した事で、そして、自信感も生じて来た。
こうして、ひとまず吹雪を避ける家は得るには得たが、続いて食べて行くための生計手段が問題となった。

*畜産を通した生活安定
村人たちはまず養鶏を生計手段として選び、ヒヨコを購入して実の息子以上に大切に育てた。そして、この鶏が千匹から五千匹へと増え、やがて一万匹以上に増加すると養鶏業が序々に軌道に乗り始めると、村人たちの間に世の中の全ての物を手にしたような自信感が溢れて行った。
しかし、神様は彼等に試練も与えた。それまで淡々と進行していた未来への夢が、ある日突然、養鶏場を襲ったニューキャッスル病によって、二万匹いた鶏たちのそのほとんどが病死してしまったのだ。それはまさに天が崩れ落ちるような絶望だったが、このままじっとしているわけにも行かなかった。他の村にいるハンセン氏病患友たちも多くの関心をもって彼等の事を見守った。
そして、彼等はやがて朴大統領夫人である陸英傾女史から種豚十五匹の支援を受けると、今度は政府から非肉牛を二年ないし三年の償還条件で融資を受けると、豚と韓牛を飼育し始めた。また、韓国十字軍連盟とキリスト教宣明会からも資金援助を受けながら、三十四世帯が一家屋当り三頭から五頭ずつ豚を購入し、今では村全体(四十三世帯)で養豚五千余頭と韓牛五十余頭を育てるまでに至っている。たとえ大きな飼育規横でなくとも、彼等にとってそれはかけがえのない財産であり生活の全てだった。
ここで生産される非肉牛は、南原地域の商人と畜産組合を通して出荷されているが、最近では養豚景気の沈滞により再び困難に面している。それと共に、最近では畜産廃水も深刻な問題として挙げられているが、これといった対策が整っていないのが現状で、政府次元での早急な対策の立案が求められている。
畜産組合は村人が畜産をしようとする時に、種豚の購入から飼料の配給に至るまで全面的に支援しており、それに対する資金回収は出荷時に控除するという運営方法によって、村の経済的安定の一翼を担う役割をしている。新生農園で消費される飼料量は月二百五十余トンで、七年前からその全ての量を三養社と取り引きしている。今後も畜産業は継続拡大して行かなくてはならないが、地域的な条件によって思い通りにならない状態である。去る八十六年、隣接している土地五千余坪を購入したのだが、それ以上は土地が増やせられなため、今後は限られた空間を最大限に活用するために施設改善事業を早急に進めようとしているという。

*セマウル事業の推進
一九七〇年代の初め、政府の呼びかけで始まったセマウル精神を行動に移しながら生活環境を改善し所得を増大させる事によって、より良い生活を作り上げようという運動が積極的に展開された。
当時、農場代表であったチョン・サンクォン長老は、セマウル事業を推進するにあたって、定着住民を対象に飲酒や賭博行為を行なう村人に対しては、一時的に精神教育を実施する一方、政府からはセメント三百袋の支援を受け、家屋改良、台所改良、村道などを整備して行った。
周辺の村々でさえまだ電気が供給されてなかった当時、韓電と協譲して電気を引いて来る等、全国でも先頭に立つセマウル(新しい村)としてその形態を整えて行った。
一九七九年二月には、全羅北道のイ・チュンソン道知事(当時)が農場を訪問し、その間の苦労をねぎらう等、村人らに勇気を与え、また、セマウル事業の成功によって、知事はさらに積極的な支援をする事を村人に約束した。そして、これに勇気を得た村人たちは、指導者を中心に団結して進んで行った。
一九八〇年、集落構造改善計画によって一世帯当たり三百人十万ウォンの融資を全部で十二世帯が五年から十五年償還で受けた事によって、村人は土作りの家を崩して新しく住宅を建て直した。また、精神的な啓蒙運動を起こすためにセマウル青年会を組織し、さらに昨年の五月には全羅北道と南原市から三千万ウォンの支援を受けながら、ヨンジョン洞一帯にこの地域としては最初の上水道を設置するに至った。
これまで農場の住民たちにとって宿願事業の内の一つであった上水道施設の問題が解決し、不便な生活から脱皮できた事も村の自慢の種となっている。

*ヨンジョン教会の新築
また、建築費七千万ウォンという莫大な予算を投入し、総計百五坪(教会八十坪、私宅二十五坪)の神様の聖殿を築き、狭いながらも礼拝の場所を持って、全村民が一カ所に集まり祈りを捧げられるようになったという事も新生農園の大きな自慢の一つである。定着当初の板子で粗雑に建てた教会を思い浮かべると、陶がいっぱいになって来ざるをえなかった。教会を建築した時にはイ・ヨンポム牧師を中心として、新生農園の全村民が心を合わせて祈祷をした。この教会は外部からの支援は受けずに全く純粋な自己資金だけで建てたため、村人たちは今もそれに対して大きな自負心を抱いている。
また、新生農園では長い間闘病生活と当局からの産児制限のために子供を産ませてもらえない立場に立たされ、また現在は頼るべもないまま暮らしている老人たちのために、韓国キリスト教救癩会の辛定夏理事長の斡旋によって日本キリスト教救癖会から二千二百八十五万ウォンの支援金を受け、残りの千百十五万ウォンは農場が負担して、五世帯が入居できる優雅な規模のナムシン福祉院を建立し
た.この施設が建てられた事によって、定着初期に村のために苦労して来た老人たちが残りの余生を楽に過ごせるようになった。
苦難を乗り越えながら三十余年間を送って来た四十三世帯、百余名の村人たちは、代表のキム・イルソン長老と運営委員長のキム・チョンス長老を柱として、持続的な農場発展と和合団結のために努力している。これまでの土台をしっかりと守って、互いに譲り愛し合うキリスト教精神でもって団結して行くならば、新生農園の未来はとても明るいものとなるだろう。

[原典:「韓星」(韓星協同会発行)、日本語原典:「灯の村」菊池義弘/訳・編]

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