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抱川農畜村

自立の意志で和合を成した 抱川農畜村

周囲を奇岩絶壁と欝蒼と生い茂った松林に覆われた土地に豊かな村落を形作っている抱川農畜村。ここは全国の定着村の中で最も北に位置しており、また、比較的短い歴史を持っている村である。村の入口から臨む景観はどの観光名所にもないような趣きを感じさせ、鬱蒼とした松林と巨大な岩山の調和はこの地域に住む人々にとって自慢の種となっている。
今から十四年前の一九七三年十月三日.四十余世帯の人々が天幕生活によって定着の第一歩を踏み出し、やがて生活の安定を手にするまでの期間はまさに暴風寒雪のような苦痛の歳月だった。この土地にやって来る前に、彼等は既に三回に渡って定着を試みていたが、そのほとんどが失敗に終わったため、不安と虚脱に陥っていた。定着当時から指導者の役割をして来たチェ・オクジョ氏は当時を振り返って、「他の疾患と比べて少しも違う所がないハンセン氏病なのに、完治した私達を患者扱いして足を留める所も与えず追い出そうとした住民たちが疎ましくてならなかった」と語った。そこかしこから追い出された末、最後に埋もれた陰地でもいいから何とか作物を栽培して所得を得てみたいという彼等の小さな夢さえ無残にも踏み潰した近隣の住民たちの反発によって、三回にわたる定着の試みは全て失敗に終わったが、その時の村人たちの苦しみは言葉では形容する事ができないほどつらいものだった。
「自分ための資本で土地を購入して定着し、豊かな人生を開拓しようというのに、なぜ妨害されなければならないのか?居住の自由は明らかに憲法にも明示されているのに」と、いくら叫んでみてもカ及ばず、ついに後退するしかなかった彼等の痛みを一体誰が分ってあげられるというのか?
それから彼等はいろいろと考え抜いたあげく、一般の人を通して京畿道・抱川郡・新北面・新坪三里の峡谷を秘密りに買い入れる事にした。初めて足を踏み入れたその土地は、山に分け入った樵たちの姿を時折見かける以外は人影が全く見られないような奥地だったという。そして、どうにかしてでも安住しようとあらゆる手を尽くして努力している彼等に対して、当局側もやがて住宅建築に必要な資金を融資して来るようになった。彼等は一家屋当り三十万ウォンの融資金を支援してもらい、それに個人負担で二十万ウォンの金を合わせて、一棟につき五十余万ウォンの工事費をかけて合計四十棟の住宅を手に入れた。それは実に夢のような出来事だった。雨や雪を避けながら住んでいた天幕生活を終え、たとえ寂しい山奥であっても自分の家に住みながら生きて行けるという喜びは何ものにも変えがたい物だった。そして、初めて生きるための土壌を手にした彼等は保健社会部から正式に定着場設立許可を得て、一九七五年一月十日には総会を通してチェ・オクジョ氏を代表者に選び、養鶏と養豚によって所得獲得事業を繰り広げ始めた。
そのようにして小さな発展を積み重ねていた頃、農場運営に歯止めをかけるような大きな衝突が起こった。管内の行政及び治安関係当局まで介入しなければならなかった内紛は一時期世間をも騒がせた。それで、このような過渡期的な分裂を解消するために、当時、抱川郡守だった某氏が農場の住民たちを集めて行政的な解決を模索しようとして、次のような提案をしたという。すなわち、内部の不安を解消して平安を取り戻し生業へ復帰するならば、住宅建設のために支援した融資金によってできた一家屋当り三十余万ウォンの負債を全額免除してあげるという提案だった。そして、その方法が効き目を奏したのか知らないが、村がそれによって安定を取り戻したため、村人は当局の処置に感謝しながら再び生業に情熱を傾けられるようになった。
しかし、郡当局のそのような約束は反故にされ、何年か後になってから、元金に連帯利子までが加算され、最近では督促状までも送りつけられて来るという。これに対して、ある住民は「人がいくら変わったと言っても、行政の長が多くの人々の前で公言した言葉を、そんな風にうやむやにする事ができるのか」と憤慨しながら「当時の原則通り十五年分割償還で返して行けば返済可能だったものを七、八年過ぎた今になってから七十余万ウォンにも上る負担を負わせるのはとても納得がいかない」と言う。その上、卵価の下落によって生業も現在圧迫を受けているので、この要求は到底納得する事ができないという。過去の失意から今度は内紛の痛みまで味わい、やっと安定を得ようとしていたその矢先に突き付けられた当局からの督促状は、村人たちを再び不安に陥れている。関係当局の責任ある対応が今切実に求められていると言えよう。内部でこのような苦難を抱えながらも、一九八五年からはそれまで村の代表として働いて来たチョン・ジンムン氏が中心となって、自立基盤を整えるための対策を立てるのに全住民が渾然一体となって努力している。特に、抱川出身のイ・ハンドン議員(現/民正党院内総務)の物心両面にわたる支援が大きなカとなっているという。
千二百余メートルに至る村の侵入路及び、村道の舗装と街路灯などの設置は村の発展のための大きな源動力となっている。「ある一時期、何人かの人達が問題を引き起こしたりした事もあったが、今では皆不安をぬぐい去って、意欲的な人生を開拓して行っている」と代表者のチョン・ジンムン氏は語る。
しかし、まだ現存する難題は数多くあるようだ。

(一)畜産業の困難
抱川農畜村にだけ極限された話ではないが、施設が古くなった鶏舎の汚染状態と飼養管理上の欠点が大きな問題の種となっている。生業である畜産をより能率的に経営して行き、生産量を伸ばし、所得向上に目を配らなければならないのに、この状態では先行き困難に直面しないともかぎらない。これまで積んで釆た経験も大切だが、これからは疾病管理と環境改善を通した合理的な経営をして行く事が求められる。
また、それと共に大きな問題となっているのは畜産物の流通管理である。全村人が従う畜産組合を活性化して流通体系を整え、現在、商人たちから受けている不利益をなくして行く方法を探さなければならないと思う。現在、村人の大部分が商人たちから百余万ウォンずつ送金してもらっているが、地域的な理由を口実に公示価格より四ウォンから六ウォン程度安く取り引きさせられてるという現状では、彼等の罠からいつまでたっても抜け出せず、これからさらに苦境に陥って行くばかりであるという事をお
互いがもっとよく理解していなければならない。

(二)交通不便の解消策
抱川農畜村は市内バスが運行される国道から二km以内の位置にあるが、これからは道路条件をさらによく補って市内バスが村の中まで入って来れるようにカを注いで行かなければならない。幸いにも執行部ではこの件について当局と積極的に交渉を重ねているというので期待が持てる。この事業が実現すれば、畜産物の流通はもちろんの事、他の事業へも手を延ばして行く事もできるようになリ新しい道も開かれるだろう。

(三)分校教育の問題点
現在、抱川農畜村の中には新北小学校新坪里分校があるが、学校の施設が貧弱な上に抱川農事村の子供たちだけに入学を認めているため、それが結果的に二世たちの士気高揚及び、社会活動において支障を招いている。父母たちはそんな現状を見ては口を揃えて、子供たちの活動領域が狭くなり汎社会的な参加意識が欠如しており、口惜しいばかりだと語っている。文教当局でも近隣の他地域に住む子供たちと一緒に勉強できる条件を政策的に備えてあげる対策が今、求められている。しかし、そのような環境の中で、何の名誉も名もない新坪里分校を引っ張って行っているイ・ソツグ主任教師とチョ・ドンチヤン先生など三名の教師は、新坪里分校を京畿道内においてバドミントンで最も有名な学校へと育て上げた。チョ・ドンチヤン先生が指導する新坪里分校バドミントン・チームは昨年も京畿道体育大会で三位に入賞するという良い成績を上げた。四学年以上の男子学生全員が選手であるバドミントン部は今日も少年体全京畿道代表選抜戦に備えて日々、練習に努力している。五学年のナム・イクジョン、チョン・ジョンベ、イ・デソク、四学年のキム・ヨングン君など四名の選手は抱川農畜村の自慢の種であり、村の士気を高めるための起爆材ともなっている。
初めは練習服さえない状態だったため、韓星協同会・京畿支部長のチョン・ウォンギョン氏が援助をして運動服をこしらえてあげたが、そのどこにも負けない決意は選手たちばかりでなく、教師、父母、全ての村人の心にも宿っている。

(四)畜産業への依存も脱皮すべき時
前に少し述べたが、今後、交通問題を解決できたなら、既に経済性を喪失した畜産業から脱皮して、これからは労働力を適切に活用しながら所得を高めて行ける方法も探ってみなければならないと思う。その点については指導者たちも様々に意見を交しているようであるが、確実で長期的な対策を模索しなければならないだろう。現在、何カ所かの定着村で試みられている工場賃貸業も考えてみるべき事業の一つであるが、敷地の確保、建物の建築等、立地条件の調整をまず図らなければならない。
とにかく抱川農事村は近隣地域からもだんだんと信用を得て来ているため、誠実な姿勢と信仰生活を通した謙虚な努力でもって今後ともがんばって行けば、いつかはこの地域で最も所得が高い福祉村へと変貌して行く事ができるだろうと思う。

[原典:「韓星」(韓星協同会発行)、日本語原典:「灯の村」菊池義弘/訳・編]

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