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京城農場

均等な経済開発で新しく変貌する
京城農場

首都圏の衛星地区であるイルサンから金柑方面へ三k mほど行くと、左手に中小企業の看板とともに
京城農場の全景が見えて来る。九十余世帯、三百余名の村民が意欲的に経済開発を推進し、最近になって発展した姿を見せるようになったこの村は、一九七五年にハンセン氏病快復者の再活のために、カナダ人のスミス氏を始めとした三人の伝道師が一万二千余坪の土地を与えた事によって出発した。この地に初めて定着した当時はわずか十余世帯の人々しかいなかったが、比較的生活状態の良い村として序々に知られるようになり、今では三百余名を越える人々が集まって誠実に生きている。
彼等がそれまでの間、汗水を流して開拓して来た土地は八万余坪にも達し、最近では畜産とともに地理的にも有利な条件を持つ工業団地へと発展している。村人の大部分は養鶏を主な所得とみなしているが、近年に至ってはその規模もだんだんと縮小する傾向にある。畜産に従事する村人が少なく、現在の家畜飼育数は鶏二十五万匹、豚千五百頭、非肉牛五十余頭の規模で、養鶏の場合は一人当たり一万匹程度を飼育している。
この村も近隣に位置しているコウン農場や金村農場の場合と同じように、準工業地域として開発され始めており、畜産業も一緒に行ないながら農場の安定を求めて行こうという視点から見ると、それは望ましい方向として評価されよう。

*農場の不幸を踏み越えて立つ
京城農場はそれまで、首都圏の衛星地域一つとしてその有利な地理的条件により今後とも大きく発展して行くものと楽観的な期待を集めていたが、一部の村人からの理解不足と非協力によって、一時は京仁地域にある他の定着村の人々の間でたえず槍玉に上げられていた。そればかりでなく、村人の間に生まれた派閥争いが問題視され、また一時それが社会的にも物議を呼び起こした事もあって、今だに京城農場を否定的に見る人たちも中にはいる。しかし、今や状況は変わって来ている。その当時、自分の思い通りに物事が進まず気心の通じた農場を離れざるをえなかった指導者たちが、今や過去の失敗をお互いに許し合い、農場の和合と団結のために新しい決意で共に働いて行こうと手を握り合っているので、それまであったいろいろな不信は序々になくなって行くだろうと思われる。
しかし、京城農場が今日あるような順調な軌道に乗れるようになるまでには、人にはとても想像
もつかないような、たくさんの苦難を味わって来た。しかし、そのような犠牲と痛みが基となりて新
しく生まれた芽は、遠からず京城農場を全国で最も発展した村として花咲かせて行く事だろう。

*畜工団地の新しい出発
最近、強く巻き起こっているアメリカの畜産物輸入開放圧力によって国内の畜産業が危機を迎えているが、定着村の立場から見ると、その危機はまさに皮膚で感じられる程にまでになっている。京城農場でも定着とともに畜産業を自分たちの天職と考えながら、それまで少しずつ貯めて来た金を畜産に投資して資産を伸ばして来たのだが、やがて畜産景気の不況が訪れると多くの試練に直面するようになった。さらに産卵鶏が主流を成しているのにもかかわらず、鶏卵の生産過多現象によって価格が下落してしまい苦戦を強いられているが、当場は損害を見ても景気が回復するまで待ちながら、弛まず努力をしている。これまでにも京城農場では首都圏に近いという地理的条件と便利な交通を利用して中小企業を誘致して行けるという若干の心理的余裕を持っていたが、それも現実にはまだ完全な状態ではないと農場の中堅人士たちは不安気な思持ちでいる。隣にあるコウン農場とカを合わせて畜工団地化が推進されれば、村人の生活にも充分な余裕が生まれるなるかもしれないが、一歩進路を踏み誤れぱ、それまで蟻のように勤勉に生きて釆た村人の誠実性が間違って認識されはしないか、という心配も多分にある。
このように考えるならば、お金に対する価値感が連う事もあるかもしれないが、何よりも安定した土壌を培って行く事が大切な課題であるため、農場の地形的な特性を考慮してこれを適切に造成して行れば、これからもより安定的な対策を立てられるようになるだろう。また、畜産が生業と考える程であるならば、労働力を節減できる機械化や施設の導入などを行ないながら、より積極的な姿勢をもって競争力を育てて行く事が望ましいと思う。

*均等に経済発展
これまで政府のハンセン氏病管理政策の一環として、ハンセン氏病快復者たちの定着事業が進められて来たが、事業開始から四半世紀が過ぎた現在、その間の自由競争によって生活の姿が変わり、貧富の格差が生じて、それが定着村の内部的な葛藤の一要因ともなって来ている。しかし、京城農場は他の地域に比べると、それなりに良い環境を整えている。
すなわち、全ての村人に対して均等に仕事の機会と恩恵を与え、経済基盤に対する平等な位置を確保できるように常に努力している指導者たちの姿勢は、他の地域から多くの関心を引きつけている。そして、このような政策的配慮が農場内に完全に根を下せば、今後、多くの発展の可能性を秘めた村となって行くだろうと、ある関係者は語る。膨大な施設面積と立派な地理的条件、そして広大な周辺環境は今後も充分な発展の余力を残しており、農場指導者たちがカを合わせて仕事を進めて行けば、未来に向かって充分に発展して行けるものと確信する。

*信頼性の回復
しかし、その一方で今でも問題として残っている点もある。対外的な信頼性の回復である。それまで農場を引っ張って来たカン・デミン、キム・テソン氏など一線の指導者たちの努力と献身的な活動は外の人々の認識に多くの変化をもたらしはして来たが、その反面、今でも内部構造には脆弱な点をいくつか抱えているという評価を受けている。現在の農場運営に責任を負っている理事たちも、そのような不名誉な潜入感を一日でも早く掘り落とす事ができるように、果敢なイメージ改善を行なう事が求められている。もちろん、村人の生活について深く分析すれば、皆が完璧さを追い求めて日々熱心に努力をしており、心配するような点は一つも見られないが、外の人々が村に対してそのように憂慮しているという事実は、つまり、それまで農場自体の歴史の中に横たわっていた暗い陰が今だに京城農場のイメージとして残っている事を意味しているからだと思う。
個々人の利益よりは村全体の公益のために熱心に努力し、キリストの愛をもって熱い兄弟愛を発揮する時に初めて、対外的なイメージも改善されて行くだろうし、また、その道を進む事こそが自力で立ち上がるための唯一の方法となるであると思う。

*愛で一つになった農場
「自分の目には梁があるのに、どうして兄弟に向かって、あなたの目から塵を取らせて下さいと言えようか」という言葉が聖書にはあるが、これはこの社会を生きる全ての人々にとって真の教えとなるような教訓であると思う。幼くて軟弱な人間の知識は、自分自身の欲望を満たそうとするあまり、いつも相手を誹り非難しがちになるが、まず自分自身の虚物を悟って譲歩しようとする時に始めて人間の欲望では満たす事ができない愛が生まれるのだ。満たせない渇きを癒そうとして、むやみやたらにあれこれ食べて飲んで生きて行くならば、人はさらにひどい渇きを感じるようになるだけである。キリストの真の愛で一つになり、人情と喜びであふれる村として京城農場がこれからも発展して行く手を心から願っている。

[原典:「韓星」(韓星協同会発行)、日本語原典:「灯の村」菊池義弘/訳・編]

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