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徳村農園

嶺南のカナン 徳村農園

昔の伽羅国の情趣が色漉く漂う慶尚南道・金海・翰林面・龍徳里。広く捕装された道路に治って金海市から進永邑へ車を走らせると、まもなく村いっぱいに立派な鶏舎群が立ち並ぶ徳村農園が見えて来る。樹木が欝蒼と生い茂る野山の下には、透明なガラスのように滑らかな水が流れ、すっと伸びた稲穂が涼しい風にそよぐ中を、鶏舎ではたくさんの鶏たちが餌を啄んで満足そうに背のぴをしている。ここ徳
村農園は、まさに神様からの恩恵に包まれた約束の地カナンのようである。
光復の歓喜の声が韓半島のあちこちでとどろいていた頃、それまでの寂しき人生に挑戦するかのように、ハンセン氏病快復者たちが「定着地へ行こう」という口号の下に現地へと向かい、慎重にその第一歩を踏み出していたが、病苦からの解放感もあってか、乏しい食料で糊口を凌ぐような惨憺たる状況の中に置かれても必死になって生きて行く意欲だけは相当なものだった。腰の紐をきつくしめて飢えを耐え扱き、近隣に住む住民から冷笑を受けながらも、何としてでも自立して定着するんだという固い意志だけはまっすぐに貫き通した。下手くそな腕前だが自分たちの手で鶏舎と豚小屋を作り上げ、そして、小銭を節約してようやく手に入れた家畜を飼えるようになった時の気分は、誰にも味わえないような満足感だった。イギリスの清教徒たちがメイ・フラワー号に乗って未知の大陸アメリカに到着した時、その最初の産物を神様の前に祀って感謝の祈りを捧げたように、彼等もその恩恵に感謝しながら神様に祈りを捧げた。
そして、村が長い貧困との聞いからようやく抜け出せた項、政府の経済開発計画に基ずく工業振興政策に沿って港都プサンが膨張し、新興工業都市・鳥山、昌原が開発されて行き、その波はまもなく養鶏業を営む徳村農園にも大きな変化をもたらし始めた。地理的に見るとプサンと馬山の中間地点に位置した徳村農園は、畜産物の流通において有利な条件を備えていた。プサンであれ馬山であれ、ほんの一時間程あれば行ったり来たりできる大都市生活圏に属していたため、所得増大においても多くの影響を受ける事ができた。
他の定着村の場合、一緒に生活をしていても富が生じて来れば、他人よりもたくさん利益を得ようとして、目に見えない争い事を起こしたりしていたが、徳村農園の場合はキリストの愛によって和合団結を成しており、そのような摩擦はなかった。
現在、八十五世帯、三百余名に近い大家族を率いている徳村農園は心を一つにして団結し、四十余年という長い時間を生きて来ても、今までこれといった紛争が一回もなく、お互い助け合い譲歩し合いながら幸せな生活を送っている。
しかし、そのような徳村農園にも問題がないわけではない。開拓当初から汗水を流しながら働いて、営んで来た畜産業が近年の不況によって欠損が生じたため、次々と発展して行く畜産施設を整えるのに経済的な困難が伴っている。また、良い土地を持っていながらも労働力不足が深刻なため足踏み状態が続いているという問題も抱えている。第一世代の村人たちは既に高齢層に入り労働力を喪失しており、また、ハンセン氏病管理施策が貧しかった時代に断種処置をされために、子供や孫がいない老人たちが多い。そのために現在、村では労働力が落ち、畜産物価格も下落し、そうでなくとも他の事業への転換は不可能な状態の中で、養老対策が大きな問題となっている。行政当局では養老対策のために、それなりに救護糧穀と燃料費などの極めて制限された支援をしているが、それでも授恵対象人員は三十余名であって、現在十二名しか支援を受けていないのが実情である。一方、当局の方もこの事を知っていながら予算上の問題で手を付けられないという。
そんな中、最近では宗教団体、及び慈善団体の方から療養施設を建ててもらって運営しているが、これは対象者の意見や立場が全く考慮されてないまま行なわれている事業であると考えるしかない。なぜならば、ハンセン氏病に対する虐待と強制収容などによって生活環境を極めて制限された時代に多くの被害を被りながらも生きぬいて来た彼等の立場を考えてみると、果たしてどれほど立派な施設が建てられれば好感が得られるのか甚だ疑問であるためだ。強制収容から自由な定着生活へと移り変わりながら半生を生きて来た人々が、体中に流れる血液のように暖かく大切な土地から切り離して見知らぬ土地で生活する事をよぎなくされるというのは、再び過去の悪夢を呼び覚ます事になりはしないだろうか。
ハンセン氏病者を支援する目的で集められた募金ならば、彼等が願う通りの福祉事業のために使われなければならない。それゆえ多くの授恵対象者は一様に現居住地でその恩恵を受けるのが望ましい対策ではないかと考える。その他物足りない点と言えば、畜産経営の発展を図るためには常に最適な環境の中で行なうべきであり、カばかりで推し進めても明瞭な対策は得られないだろうと思う。また、労働力不足を補う方法としては、畜産施設の現代化が最適の方法であると考える。養鶏の場合、近年になって合理的な方法と評価されている施設が五千匹以上の育雛能力があるので、これを導入するのが望ましい。そして、この事業の推進を裏付けるためにもしっかりとした経済力が必要である。
足る事を知らず常に何物かを追い求めるのが人間の欲というものだが、それでも徳村農園では与えられた条件の中で最善を尽くして努力している。現在、産卵鶏三十五万匹、豚一千二百余預、非肉牛六十余演を飼育しており、村は序々に経済的自立を成して行っていると言えよう。今日のような発展した徳村農園に育つまでには、この村のために踏み石となって奉仕して釆た四人の石柱がいる。徳村教会の長老であるチェ・インソン、イ・ジエマン、キム・ウォンギョン、チェ・ユンマン氏である。彼等には個人的な欲という物はなく、常に村全体の利益と和合のために日々献身している。紛争のない村、平和と愛が満ち溢れる教会を発展育成しようとする彼等のそのような献身的な努力があったからこそ今日の徳村農園は成り立ったのだ。
現在、彼等は行政の第一線からは離れ、若い後継者であるチョウ・ビョンソン氏を前に立てて、村の行政を見守りながら裏から激励している。営農後継者として選ばれたチョウ・ビョンソン氏は、三十代前半の若い旗手として営農資金を受けて、現在四百余頭の豚を飼育しているが、徹底した防疫と鶏体管理、品種管理、豚舎管理によって、いつも金海畜産組合の中で最高の競争価格を維持している。また、人一倍の熱意と勤勉性によって、彼は新しい品種の豚を繁殖させ、村の所得増大に大きく貢献している。若い人を前に立て、思う存分働けるように年長の者が轟から支えてあげる徳村農園の斬新な風土が他の村々にも広まって行き、和睦と繁栄がもたらされる事を心から願う。
霊魂の糧食を供給する徳村教会(パク・ホジュン牧師)では、現在八十五世帯が住んでいる村人の内、そのほとんどが出席し、神様の前に祈りを捧げている。定着と同時に設立された徳村教会では、専任教役者であるパク・ヨンギ牧師を日本へ宣教派遣し、海外宣教においてもその一翼を担っているばかり
でなく、近隣の部落に支教会も建てて、福音の伝道に努めている。「サマリヤの地の果てまで私の証人となれ」と言われたキリストの教えを実践している彼等の姿を見ると、徳村農園がこれからもさらに発展し、自立した定着村の見本となって行くものと確信する。

[原典:「韓星」(韓星協同会発行)、日本語原典:「灯の村」菊池義弘/訳・編]

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