1428 | 世宗実録に「癩疾」という病名出現 |
1433 | 郷薬集成方に「大風癩」などの病名出現 |
1445 | 世宗、済州・ジョンウィ、大静、三邑に癩患者収容救療 |
1451 | 文宗、救疾幕を設置して癩患者100名を収容救療 |
1612 | 光海君、江原・忠涌・慶尚道の癩患者を登録収容救療 |
1854 | 西洋医学に大風子油を紹介 |
1873 | 癩菌発見 |
1874 | イギリスで救癩宣教会設立 |
1889.4.25 | ダミアン神父死亡 |
1897 | 第1次国際癩会議(ベルリン) |
癩病が伝染病である事を確認。隔離の必要性の提唱。 | |
1903 | 鼠癩仰菌発見 |
1904.2.10 | 日露戦争勃発 |
1905.11.27 | 乙巳条約 |
1909.2 | ウィルソン、 |
1909.3.30 | エルウィン、釜山癩病院設立 |
1910.8.22 | 日韓併合 |
1911.4.25 | 光州癩病院開設 |
1911.4 | マッケンジー、釜山癩病院引受拡張 |
癩化学療法可能性報告 | |
1912.2.17 | ハンセン死亡 |
1913.3.1 | フレッチヤー、大邱癩病院設立 |
1914.7.28 | 第一次世界大戦勃発 |
1916.2 | 小鹿島慈恵医院設立 |
1917.7 | 小鹿島慈恵医院着工 |
1917.1 | 小鹿島慈恵医院竣工 |
1919.3.1 | 3.1独立運動 |
レプロミン反応発見(光田健輔) | |
1924.5 | 大邱癩病院、大邱愛楽園に改称 |
1926.6.10 | 6.1万歳運動 |
1926.9.19 | 小鹿島慈恵医院拡張反対住民騒攘事件発生 |
1927 | 光州癩病院、麓水に移転 |
1928.4.6 | 朝鮮癩病根絶策研究会発足 |
1931.1.9 | 国際癩会議(マニラ)にて国際癩学会創設を決定 |
1932.12.27 | 朝鮮癩予防協会創設 |
1933.3.13 | 小鹿島慈恵医院拡張のために全島買収 |
1933.3.15 | 全朝鮮癩病患者団体連合会組織 |
1933.9 | 小鹿島慈恵医院、第1次拡張工事着工 |
1934.10.1 | 小鹿島慈恵医院、国立(更生囲)に拡大改編 |
1935.4.20 | 朝鮮癩予防令公布 |
1935.9.15 | 光州刑務所小鹿島支所開設 |
1935.10.21 | 小鹿島、第1次拡張事業竣工 |
1937.7.7 | 日中戦争勃発 |
1937.10.15 | 小鹿島納骨堂竣工 |
1939.9.3 | 第2次世界大戦勃発 |
1940.9.4 | 日本癩学会、小鹿島及びソウルで開催 |
1941.3 | 日帝、釜山癩病院を軍用地として収容 |
1941.12.8 | 太平洋戦争勃発 |
朝鮮総督府、国内患者を13772名と発表 | |
1942.6.20 | 小鹿島更生園長(周防正季)被殺 |
1943 | プロミン治癩効果発表 |
1945.8.15 | 祖国解放 |
1945.8.21 | 小鹿島、内部衝突で患者84名、被殺 |
1945.9.24 | 米軍政府、衛生局を設置し保健行政を警察行政から分離 |
1945.10.15 | 釜山に博愛園を設置し、浮浪患者を救護 |
1945.10.20 | 光州で朝鮮癩病根絶委員会組織 |
1947.3 | 全羅北道金堤郡の患者160名、完州郡に移転しソチュン園と命名 |
1947.6 | 釜山博愛園、龍湖洞に移転 |
ズルフォン剤、試験用として導入 | |
DDS注射開始 | |
レプロミン反応の新抗原発表 | |
1948.5 | ソチュン園、益山郡に移転し、新生園と改称 |
1948.7.13 | 星座会発足 |
1948.7 | 釜山博愛園、道移管に伴い慶尚南道立相愛園と改称 |
1948.8.15 | 大韓民国政府樹立 |
保健厚生部及び労働部を廃止し社会部へ改編 | |
1948.9.1 | 世界保健機構(WHO)発足 |
1948.9.3 | 大韓癩予防協会創設 |
1948.1 | 仁川聖恵園発足 |
1949.5.6 | 小鹿島更生園、中央癩療養所に改称 |
1949.7.29 | 社会部の保健局を保健部に昇格 |
1949.10.1 | 愛生園、大邱市大明洞に発足 |
1949.11.21 | 保健部、政府癩病対策基本政策及び事業年次計画樹立 |
1950.6.2 | ラザロ療養園発足(富川市) |
1950.6.25 | 朝鮮戦争勃発 |
1950.8.5 | 小鹿島、共産軍により占領 |
1950.9.29 | 小鹿島職員11名、敵地下で殉職 |
北韓癩患者99名、小鹿島に到着 | |
1951.7.15 | ラザロ療養薗、現在ある始興郡に移転 |
1951.9.29 | 中央癩療養所(小鹿島)、国立更生園に改称 |
1951.9.29 | 聖恵園、新生園、愛生園を国立へ転換 |
1952.9.25 | 国民医療法公布 |
1953.7.27 | 休戦協定締結 |
1953.1 | DDSを中心としたズルフォン剤を全国的に投与 |
1954.1 | 国立大明救護病院閉院 |
1954.1.31 | フランス、世界癩病の日を制定し、最初の行事 |
1954.2.2 | 伝染病予防法制定公布 |
1954.6 | 大韓ハンセン総連盟建設 |
1954.8 | 韓何雲の詩が不穏であるとして国会などで論乱 |
1955.2.17 | 社会部と保健部を統合し、保健社会部として改編 |
1955.4 | 癩病を素材とした国内最初の劇映画「熱愛」製作 |
1955.9 | 天主教救癩会創設 |
コークリン、国内患者数を15万名以上と推定 | |
1956.3.6 | イギリス救癩宣教会韓国支部発足 |
1956.4.16 | 癩患者保護及び社会復帰に関する国際会議 |
いわゆるローマ宣言を決議 | |
1956.8.21 | 麓水愛養園、財団法人認可 |
1956.10.6 | 大韓癩予防協会、大韓癩協会に改称 |
スウォニー神父、韓国最初の移動診療事業を展開 | |
1957.3.22 | イギリス救癩宣教会、大郎を中心に救癩事業に着手 |
1957.7 | 政府、一個移動診療山地の運営(慶尚北道) |
1957.8.28 | ビトリ事件発生(患者26名被殺) |
1957.12.24 | 国立更生園を小鹿島更生園に改称 |
1958.3 | 政府、一個移動診療班増設(慶尚南道) |
1958.6 | 大田、ピオルス愛育園の児童に対する就学拒否事件発生 |
1958.8.12 | 大韓癩学会創設 |
1958.12.5 | 西ドイツ救癩会創設 |
1959.1.1 | 財団法人安東星座園発足 |
1959.1 | 西ドイツ救癒合、韓国救癩事業支援を開始 |
1959.5.10 | キリスト教宣明会、特殊皮膚診療所を開設 |
1959.6.18 | 聖心薗(現/聖心仁愛病院の前身)設立 |
1959.12.15 | 国立聖恵園、国立大明救護病院を分院として吸収 |
1959.12.8 | イギリス救癩宣教会、鹿北医大付属病院区内に小規模(四病床)の診療施設を備える |
1960.1 | 政府の移動診療班、道に移管 |
天主教大邱教区(カトリック皮膚科医院)救癩事業開始 | |
1960.4.19 | 4.19学生革命勃発 |
1960.6.6 | 小鹿島患者、院長留任運動を展開 |
1960.7.1 | 小鹿島更生園、聖恵園、ソセン薗、愛生国をそれぞれ国立小鹿島病院、国立富平病院、国立益山病院に改称 |
1960.8.23 | 第2共和国成立 |
1960.11.18 | 癩協、京畿支部設置 |
1961.1.1 | 慶南道立相愛園を国立龍湖病院に改編 |
慶尚北道での移動診療を国家管理に還元 | |
1961.4.1 | カトリック中央医療院、慢性病研究所を開設 |
1961.5.16 | 軍事クーデター勃発 |
1961.5.22 | 国家再建最高会議、政党社会団体の解体を命令 |
(癩協の機能停止) | |
1961.9.14 | 政府、WHO及びUNICEFと癩管理事業協定 |
1961.11.14 | WHO、癩病顧問宮を駐韓 |
1961.11.23 | 癩協、機能回復 |
1961.12.30 | 定着示範事業完了 |
(金堤・飛能、仁川・清川、月城・希望農園) | |
1962.3 | 星州聖心医院開院 |
1962.6.1 | 癩協・全羅北道支部、CIDRと診療事業の共同推進協定 |
1962.6 | 国立医療院、国内最初の癩患者整形手術実施 |
1962.7. 4 | 癩患者登録事業、全国拡大 |
1962.7.10 | 小鹿島、五馬島干拓工事着工 |
1962.7.10 | 癩協、忠北(1.6)、全北(2.26)、 |
1962.7.10 | 江原(2.17)、慶北(4.3)、全南(7.3) |
1962.7.10 | ソウル(8.7)の順に支部を設置する |
1962.8.25 | 癩病啓蒙映画「黄土道」開封 |
1962.9.24 | 保健所法制定 |
1962.11.30 | 癩管理協議会(政策諮問機関)構成 |
1963.1.1 | 癩協、プサン支部設置 |
1963.2.9 | 伝染病予防法改定(隔離主義から在家治療に転換) |
1963.2.15 | 啓蒙誌「ソグァン」創刊 |
1963.2 | カトリック皮膚科医院、新築開院 |
1963.3 | 癩協、各支部の理事会を運営委員会に改編 |
1963.4.4 | 政府、総合病院等21ケ機関を特殊皮膚診療所に委嘱 |
1963.4.20 | 慶尚北道月城郡にて一斉検診及び標本調査 |
1963.5.1 | 患者登録治療細則、全国示達 |
1963.6.20 | 洛東更生園、台風で流失 |
1963.9.7 | 大邱愛楽保健病院、整形手術館開設 |
1963.10.21 | 政府、WHO・UNICEFと癩管理事業第1次追加協定締結 |
1963.12.27 | 第3共和国出帆 |
1964.5.21 | 仁川セマウル農場(現/京仁農場)、永宗島干拓事業に着工 |
1964.7.25 | 小鹿島・五馬島干拓事業を韓国定着事業開発興業に移管 |
1964.8.1 | 啓蒙誌「ソグァン」を「セッピッ」 に改称 |
1964.9.5 | 政府、WHO、UNICEFと癩管理事業第二次追加協定により四個の移動診療班を増設 |
1965.5.10 | プサン市民200名、洛東更生院に対する救護物資の輸送を妨害し、警察と衝突 |
1965.5.18 | 金海郡住民1500名、洛東更生園の移住定着反対デモ |
1965.6.22 | 韓日国交正常化 |
1966.1.27 | 金海郡住民1000令名、洛東更生園の定着反対及び糾弾大会にて絶対阻止を決議 |
1966.4.15 | ダミアン財団、救癩事業のため政府と協定締結 |
1966.5.1 | 政府、WHO、UNICEFと癩管理事業第三次追加協定により三個の移動診療班を増設 |
1966.6 | 移動診療事業を共同遂行(政府・九、民間・十個班) |
1966.10.18 | 国産DDSの含量不足を延世大学医学部微生物教室チームが癩学会に報告 |
1966.11.14 | 黎明園住民33名、移住対策に非協力的だとしてハムヤン警察署にて騒攘 |
1967.1.29 | 癩協、国内最初の「世界癩病の日」行事を主催 |
1967.5.1 | 移動診療事業改締、南部六ケ道に癩管理要員を配置 |
1967.5.12 | キリスト教大韓聖潔派、世界癩病の日を救癩主日に決定 |
1967.9.19 | キリスト教大韓長老派、世界癩病の日を救癩主日に決定 |
1967.10.18 | 韓国カトリック癩事業家連合会、創立 |
1968.3.27 | 夫の癩病治療のために娘を殺害する事件発生(慶南) |
1968.7.25 | 癩患者の家屋で放火事件発生(忠南) |
1968.8.3 | 寛水愛養園、「寛水愛養再浦病院」に改称 |
1968.11.8 | 国立小鹿島病院、龍湖病院・漆谷病院を分院として吸収し、国立癩病院に拡大改縮 |
1968.12.17 | 小鹿島、最後の残留日本人患者1名帰国 |
1968.12.28 | 国立益山病院を廃止し、益山農場として発足 |
1969.1 | 政府の移動診療班、道に移管 |
1969.3.31 | 内預部、各保健団体の対民募金協力を中止するよう指示 |
1969.4.7 | 癩協、啓蒙漫画映画を全国で巡回上映開始 |
1969.4.18 | ソウルの大王小学校、患者の子女との共学拒否で休校 |
1969.5.31 | 癩協、募金中断により事実上の解散 |
1969.10.13 | 韓国ハンセン連合会発起総会 |
1969.12.15 | 国立癩病院漆谷分院を廃止し、漆谷農場発足 |
1970.1.1 | リリー会(救癩後援会)組織 |
1970.3.3 | 韓国キリスト教救癩会創立 |
1970.4.10 | 癩協、募金再開 |
1970.4.22 | 政府、セマウル運動を展開 |
1970.12.10 | 保健社会部・癩協共同主幹で韓国最初の癩管理セミナー開催 |
1971.3.28 | ダミアン財団、協定期間満了により解頭 |
1971.5.12 | 癩患者の家屋で放火事件発生へ(忠南) |
1971.6.30 | 救癩宣教会、全羅北道へ移動診療拡大 |
1971.11.13 | 定着場に子豚を分配する事を決定 |
1972.3.23 | 山清聖心薗、聖心仁愛病院に改称 |
1972.6.1 | イリ聖母医院開院 |
1972.8.15 | 癩協、啓蒙誌・月刊「福祉」を創刊 |
1972.12.27 | 第4共和国出帆 |
1973.3.19 | 朴大統領、癩協などの会費募金を中止させ、国費・地方費により補助をする事を内閣に指示 |
1973.11.1 | 癩協、ソウル事務所及び洞診療所を設置 |
1974.6.21 | 癩協ソウル支部、復活 |
1974.8.15 | 陸英修大統領夫人逝去(文世光事件) |
1974.1 | 救癩宣教会、全北移動診療を南原郡に拡大 |
1974.12.9 | 財団法人救癩宣教会創立 |
1974.12.9 | 韓国カトリック救府救癩会、移動診療に参与 |
1975.1.1 | 政府移動診療班、癩協に移管 |
1975.2.13 | 韓星協会、「韓星協同会」に改称し、保健社会部に登録 |
1975.3.31 | 国立癩病院龍湖分院を廃止し、龍湖農場発足 |
1975.10.12 | 在日僑胞患友12名、母国訪問 |
1976.5.6 | 麗水愛養再活病院、移動診療事業を拡大(慶南西部地域) |
1976.6.1 | 大邱愛楽保健病院、移動診療に参与 |
1976.6.22 | 財団法人韓国癩病研究院創立 |
1976.8.1 | 啓蒙誌・月刊「定着」創刊 |
1977.1.1 | 民間癩事業団体協議会結成 |
1977.1 | 栄州・ダミアン皮膚科医院、移動診療に参与 |
1977.3.16 | 国立癩病院、看護補助員養成所敷設 |
1977.3 | 大邱パチマ病院、外来診療開設 |
1977.10.24 | 希望農場(鹿北・月城郡)移住反対デモ |
1978.5.19 | 癩協、本部・ソウル支部共用庁舎竣工 |
1978.5.30 | 韓国癩病研究院、癩化学療法の共同研究を国際会議で主幹 |
1978.10.13 | 栄州・ダミアン皮膚科医院、病棟(24人名)竣工 |
1979.1 | 韓国・日本・タイ・フィリピンの各国、癩化学療法の共同研究推進 |
1979.8 | 月刊啓蒙誌「セッピッ」廃刊 |
1979.9.7 | 聖ラザロ園、京畿道・漢水以北移動診療を分担 |
1979.12 | 天主教救癩会、韓国キリスト教救癩会の移動診療事業を引受 |
1980.9.1 | 第5共和国出帆 |
1981.7 | カトリック皮膚科医院、オーストリア・カトリック婦人会付属カトリック皮膚科医院に改称 |
1981.9.15 | 全大統領、癩病を伝染病管理の最優先にするよう関係長官に指示 |
1982.4.1 | 癩協、韓国癩病研究院を吸収統合 |
1982.10.30 | 聖ラザロ薗、「治癒の家」竣工 |
1982.12.31 | 国立癩病院、国立小鹿島病院に改称 |
1983.5.9 | 在日僑胞患友35名母国訪問 |
12.2 | 伝染病予防法改定(癩病等に対する国庫補助の法的根拠を明示) |
1984.1.20 | 大韓癩協会、大韓癩管理協会に改称 |
1984.5.4 | ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世、小鹿島訪問 |
1984.10.25 | 癩協、ソウル市内の無住宅患者のための移住対策事業(コウン農場)完了 |
1985.1 | 聖ビンセンチォ愛徳姉妹会、聖ラザロ園の移動診療事業を引受 |
1987 | 癩協・済州事務所設置 |
[原典:「韓国癩病史」 (大韓癩管理協会発行)、日本語原典:「灯の村」菊池義弘/訳・編]