フレンズ国際労働キャンプ(FIWC)関西委員会
奈良市大倭町にある「交流の家」は「ライ快復者社会復帰セミナー・センター」*として、1964年〜1967年にかけて大学生を中心としたフレンズ国際労働キャンプ(FIWC)関西委員会の若者が自力で建設しました。
1963年、哲学者の鶴見俊輔氏から東京の宿泊施設でハンセン病快復者が宿泊拒否を受けたという話を聞いたFIWCのメンバーが「誰でも泊まれる家」の建設を発案しました。しかし地元住民の反対を受けたため、建設途中の建物を解体した上で説得にあたり、発案から約4年後の1967年7月に完成しました。
以後、全国のハンセン病療養所から多くの快復者の方々が訪れ、「囲碁将棋大会」や長島愛生園の盲人楽団「青い鳥楽団」の演奏会など、さまざまなイベントが開催されました。
建設から35年以上経ちましたが、現在も交流の家は健在で、FIWC関西の拠点としても多くの若いキャンパーに利用されています。
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*文中に「癩(らい)」や「癩病」、「癩患者」などと表記されていることがあります。ハンセン病のことを癩と呼んでいた時代がありますが、「癩」には差別的な意味合いも含まれるという意見もあり、現在は「ハンセン病」としています。本ウェブサイトでは、過去の文献で表記されている場合や、著者の意向を尊重した場合など、「癩」と表記されている場合があります。「癩」という言葉は、使い方によって差別的な意味合いを含むことがありますのでご注意ください。
[茂木亮、2003.6.26掲載、写真:FIWC関西]