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永湖農場を訪ねて

菊池義弘

全羅南道にある永湖農場は、FIWCとジョナフェ(忠南大学のサークル)が1988年の夏にワークキャンプを行なった村である。あれから4年の歳月が流れた。その後、村はどう変わったのだろうか。お盆休みを利用してソウルから全羅道への旅に出た。
光州から市外バスを乗り継ぎ1時間半。全羅道のどこまでも広がる田園の風景は黄金色の稲穂を風に揺らせながら、豊かな、実り多い秋の色に染まっていた。
「もうすぐ永湖農場だよ…。」
9月の青空に抄けるように白くぼんやりと浮かぶ月出山を指で指しながら、友人の朴君は私の肩を叩いた。朴君は永湖農場の隣村に住んでいながら、訪ねるのはこれが「生まれてから2度目」だと言う。子供の頃は「ナビョン(ハンセン氏病)患者の村だ」と言って、怖がって近寄らなかったのだそうだ。
永湖農場。山がちな慶尚道の定着村に比べて、平地に立つ全羅道の定着村の風景は少し意外に見えた。68世帯、250名が現在、この村に住んでいる。25年前、小鹿島(国立ハンセン氏病院)から快復者20世帯の人々がこの地に入植した時、村人は初め、大地に桑の木を植え育てながら、農場を少しずつ少しずつ切り拓いて行ったという。そして今、村は養鶏・畜産を中心に運営されている。しかし、近年の畜産不況の影響からか、牛よりも、やはり鶏の方に主流が切り替えられているようにも見受けられた。
この村の会長はカク・クンナムさんという方で、村の創立以来、ここで働いている、明るくて、とてもきさくな人である。私が4年前の夏のワークキャンプについて尋ねると、「覚えていますよ。」と言って、日韓の学生たちがワークで作り上げたバス停の待合室を案内してくれた。今でも一年に二度ずつ、ソウルからキリスト教関係の学生たちがこの村に医療奉仕活動に来るという。
「奉仕団の皆さんが来ると、村でも多少負担になるのだけれども、ありがたいと思っています。逆に、こちらが十分にもてなせなくて申し訳ない気になります。」
会長さんははにかみながら、そのように言った。

永湖農場を初めて訪ねた時、私は近隣のうらさびれた村々の姿とは対象的に、大きくて、小ぎれいな農家の多いことにまず目を奪われた。これは一般の農家では米作を中心にしているが、永湖農場では養鶏や畜産を中心に行なっているためである。もちろん、村の中では貧富差もあった。生活が苦しい家々は政府から生活保護を受けながら暮らしているという例もある。しかし、会長さんの場合は、養鶏で月に200万ウォンの収入があるという。これは大学教授の月収並の額である。では、なぜ近隣の村々は養鶏・畜産をしないのだろうか。
「家畜を育てる場合、技術や金が必要だし、なかなか難しい。また飼育も大変だし、匂いもすごいために、他の家々の手前、村の中で自分の家だけやるわけにはいかないんだ。たとえ家畜を育てたとしても後継者がいない農村で、この後、誰が代わって面倒をみるのか…。」朴君はそう説明した。
村ぐるみで畜産にとりくんで成功した永湖農場の事例は、一般の農村にはそのまま当てはまらない。
永湖農場から20分ほど歩いたところに「マンスリ村」という小さな農村がある。70世帯、200名の村人が現在住んでいる。朴君の家はこの村にある。村の規模としては永湖農場と変わらない。しかし、この4年間に農業で食べて行けなくなり、見切りをつけて村を去って行った離農者の数ははなはだしかった。学校を卒業しても故郷に働き口がないためにソウルに上がる。昔はそのように農家の子供たちがまず村を離れて行ったのだが、今では、度重なる農業不振から家族単位で離農して行くという。
韓国では昨年1年間で1家屋平均500万ウォンの借金をかかえ、50万人が離農した。ここ全羅南道の霊岩郡全体でも「13万人いた人口が、たった4年間で半分の7万人に減ってしまった。」と地元のタクシー運転手は言っていた。朴君の場合も、高校を卒業した300人の学友のうち、農民として村に残ったのは、たった2人だけだったという。
このように今、食べて行けなくなった農民たちが故郷を去り、ソウルへと(光州を通り越して)集中している。そして、農村には老人たちが残され、村の平均年齢は現在、50歳代だという。
永湖農場の会長さんは言った。
「その昔、ローマ帝国がなぜ滅んだのかわかりますか?それは農作物を他に頼り、自らが生産能力を持たなかったからですよ。人がいて、人が働くからこそ国が成り立つのではないですか。政府は農村保護のための対策をもっと真剣に考えてほしい…。」
農村を担う次世代がいないという悩みは定着村でも変わらない。
「これから20年後の永湖農場はどうなっていますか?」
朴君の問いかけに対して、会長さんは言葉なく、ただ何度も何度もうなずくだけだった。
全羅道を去る時、遠くに月出山の山影がうっすらと見えた。山河は変わらなくとも、わずか4年の間で、人々の生活はこのように変わっていた。その後さらに4年の歳月が流れる時、村々はどのようになって行くのだろうか。

[菊池義弘、1992年11月]

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