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ジョナフェ・キャンプ感想文集

不幸であることは、生への愛着を育てるのか  チョウ・ソンギ

 気の毒な人を見かけると、いつも彼らと一緒になって泣いてくれたベルダよ!自由はとても素晴らしいもので、勝ち取ろうとする者には必ず与えられるものだと言ってくれた。けれど、今の私には、それを掴み取りたいと思う意欲も、持ちこたえて行ける力もない。
しかし、ここにいる、弱く、最も不幸な兄弟姉妹たちからは、自由と生に対しての大変に大きなものを学ぶことができます。
ここの島(※国立小鹿島病院のこと)では、気温も暖かくて、春遅き頃には、たくさんの人々がニンニクの収穫をしています。5月、6月になれば、ニンニクを売る作業がさかんになります。他の地方では、ニンニクを春に植えますが、この村では、春に植えて秋に収穫するのです。
商人たちがやって来て、ニンニクを島の外へと持ち出す時期になれば、雨が降り出したとしても、その時期だけは決して逃がさないようにと、島全体の畑に真っ白な衣に身を包んだ人々が、野良仕事へとぱっと散って行くのです。足がない人は義足をし、指かない人は、その手を擦り合わせながらニンニクを採ります。
その姿から、生きることへの欲望というものが、いったいどれほど強烈なものであるのか、あなたならきっと見当かつくでしょう。
手に鎌を包帯で縛りつけ、ニンニクを探る作業をするのです。目が見えない人は、義足をした人に導かれ、チゲ(※しょいこ)をかついで選びます。ニンニクの収穫期ともなれば、手足に傷ができ、血がにじみ出て来たとしても、気にもかけずに作業を続ける。この人たちの勤勉性。いったい、いかほどのお金を稼ぐため、あのような努力をしているのだろうか。ニンニクを収穫してしまった後の畑にはトウガラシ、ゴマと小豆を植え、再び巡って来る収穫期には、目が見えない人たちが、熟したトウガラシと熟していないものとを分類して摘み取って行く…。
実に驚くべき、生きることへの意地がここにはある。この世の中、全ての人たちがここの兄弟たちのように勤勉ならば、貧しさを克服して行く模範をこの地の人々から学ぶことができることでしょう。
2800名。平均年齢は56歳にもなるというのに、彼らが生命に対して抱いている愛着は、実に大きな意味を持っている。たとえ、身体が不自由でも、還暦を過ぎた齢であっても、家庭を持ちたいという、その小さな願い一つのために結婚する人を見ると、人間というのは、その欲求を満たすためには、どんな大きなものでも望もうとする生き物なのだということを思わずにはいられません。人間の欲求が満たされるためのある方図として、一つの家庭が作られるその経過を見ると、人間の欲望とは、こんなものかと、つい涙が出てしまいます。
しかし、彼らを見ていると、本能的な生を、極めて当然な、あるがままの生と受けとめて生きて行く反面、その中から人間の純粋な一つの断面をも感じることができるのです。
ある女性は、両手の指が一つもなく、一本の足さえない。その彼女の夫は、手足は丈夫でも失明していて目が見えない。それなのに彼らは、今よりもっと良い家庭を作って行くことに同意し合って結婚したといいます。彼らは子供を産むこともできない。けれど、たとえ家庭を営む上では多少の不便があったとしても、お互いに助け合い、小さな夫婦愛を育み合いながら、彼らは生きて行くのだろうと思います。夫の手足は妻の手足の代わりになってくれるのだろうし、妻は夫の目の代わりをしながら、お互いの弱点を補って行くことでしょう。彼らが無数の苦難の中に置かれても、苦労しながら働いて行くのは誰のためでもない。たとえ遅くなったとしても、家庭に対して抱く熱望を感じていたいという欲望から来るものだと思います。
彼らには最小限度の食料と副食が支給されていますが、「もっと良い生活がしたい」という、人間誰しも持つ本能的な欲望は、やはり誰だってあります。これほどまでに苦労しながら働いて、ニンニクを売ったお金でもって、「今年は生活道具を買い、来年はテレビを買おう。その翌年には冷蔵庫を買おう…。」と生活設計をしているのですから。60歳を過ぎ、ようやく家庭を持つようになって、新しいタンスを買いました。彼らは「服でもなんでも、べつに新しく買ったタンスに入れておく物はないし、60を過ぎて、物を残してあげる子供もない」と言いました。
彼らは、ただひたすら「物を持つという喜び」と「何かを儲けてみる」という、そのためだけのために「人生の最後の時間を、実に人らしく、人の役割をしようと、それらを用意したんだ。」と私に言ってくれたのでした。

[チョウ・ソンギ、1990年〜1992年、ジョナフェ・サークル誌]

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