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ワークのないワークキャンプ

稲葉充利

「こんなんワークキャンプやない、ただのキャンプですよ。そこら変にどこでもある遊びのキャンプや。オレらワークキャンプやりに来たンでしょ!」

という声が出たのが3日日の夜。
1日目と2日目、ワークは草むしりのみ。しかも午前午後それぞれ1時間のみの作業とした。宿舎のに貼られた「一日のスケジュール表」には、午前午後3時間ずつのワークとあるのに、「午後の仕事は4時までの一時間とします。早く切り上げてみんなで川に泳ぎに行きましょう」と、ワークリーダーである僕が公言し、率先して水浴びに出かける始末。仕事はないんだ、だとしたらそれ以外のことでキャンプを楽しめばいいじゃないか、単純に僕はそう考えていた。いや、やっぱり単純過ぎたかも知れない。

「だって水浴びにキャンプ来たンやないでしょ? 遊びのキャンプやったらなんもこんな韓国の村まで来ることあらへん。何しにここ来てンっすか? オレたち!」
「じゃ、遊びのキャンプじゃ、この村にいちゃいけないのか? ワークキャンプしなきゃここに来ちゃいけないのか?」
「だけどオレ達はワークキャンプの集団なんだぞ!」
その夜は、人が集まってきて議論になった。
「ワークがねえのにワークするなんて嘘くせえ! ワークキャンプなんて潰れちまえばいい。」
正直なところ僕はそう思っていた。ワークリーダー自らワークを放棄していた。
「ワークがないなんてどうして分かる?」
「あるのか?」
「あるんじゃねえのか? 捜してこない前からないなんて決めつけるなよ。」
「捜してこいよ。」
「これじゃ初参加の奴ら戸惑ってるぞ。ワークキャンプ誤解する。もっと働こうぜ。」
「働いて働いてそれで分かることってあるンだからさ。結局この団体の魅力はそこなんだって。働いて働いて、汗たらたら流して、ムチャクチャ疲れて、その時となりの奴に「疲れたな」って話しかける。「疲れた」ってポッと答えが返ってくる。それだけの会話だけどそれって、すごくいいんだよ。わかるでしょ?」
「そうそう、それで疲れてバタンと倒れて、水浴びなんか行く気力も失せて、泥だらけで熟睡。その満足感。その感触が次の年も忘れなくてまたキャンプにきちゃうんだって。初参加の人にも、それ体験させてやりたいじゃない?」
「このままだったらオレ、ほんま不完全燃焼で終わりますよ。今年のキャンプ、なんやったんやろ? で終わりそうですよ。キャンプ、そりゃ楽しいですよ。けど楽しかった、それだけでもっとワークで燃えたいんですよ! 結局オレらが燃えられるものってワークしかないんっすよ!」

みんなのワークに対する想いが激しく伝わってくる。
ワークキャンプの魅力を棄てるな、受け継いでゆけ、みんなが語っている。それでも…。けど、ワークはないんだ。
僕は淡白に答えるしかなかった。
ワークは捜せばあるかも知れないと言うが、はんとにこの村にはあるのだろうか?ワークは、みんなの言う意味で、我々にとっては必要かも知れないが、村にとってはんとに必要なことだろうか?
少なくとも必要としてない所にズカズカやってきて、「ワークやります。仕事ください」では、押し売りならぬ仕事の「押し買い」ではないか。そこがずっと引っ掛かっていた。
その意味で、仕事を捜してくる任務は、とても苦しいものだった。これこれの人数がいて、これだけの日数があって、それに見合うワークを集めてくる(こなければならない)ことは、まさしく「ノルマ」だった。いったいボランティア(志願、自発)に「ノルマ」なんてあっていいの?
しかし、僕はその任務の苦しさから目をそらして、こう話をすり替える。
「たぶんキャンプってのは、毎年毎年違って当然なんだ。昔のキャンプではワークに燃えられたからといって、それにこだわってて、今年のキャンプにそれを投影しても困る。ワークのない今年は、今年なりの違った魅力を発見して楽しめばいい。それができずに不満を言うなら、それはそいつの責任なんじゃないのか。」
初参加の人はどうだったか? むしろ以前のキャンプを知らない、こだわりのない者達のはうが、新鮮に楽しんでたんじゃなかったか? これでいいんだ、今年は今年のキャンプをやればいいんだ。もしそれでも不満があるというのなら、自分から創り変えればいい。「もっと働きたい」という衝動が感じられたのなら、そのボランタリティーで一人ででも働き出せばいい。それに引きずられて他の人も一緒になって働き出すだろう。そういうワークはまさしく「ノルマ」ではない。もちろん、仕事が簡単に見つかれば、の話だが。
「しかし、しかしね、ワークがないなりに楽しもうっても、ワークがなかったらやっぱり淋しいですよ。」
「ワークなかったら、結局宿舎でゴロゴロしてるだけやないっすか? それで唯のおしゃべり会で楽しんでたっていいっすよ。ほやけどその光景、村の人が見てどう思います? なんでこの村にいるんっすか? 村から離れて、自分らだけで楽しんでるのって、やっぱあかんとちゃいます? この村に帰農した青年が言ってたんだけどね、オレは仕事を真面目にする奴は好きだ。だけど真面目にしてない奴は大嫌いだ、帰れ、見たくもない、そう言ってる。」

そうかもしれない。
しかし一方で、村に来てくれるだけで喜んでくれる人達もいる。誰も訪れないハンセン氏病快復者の村に、異国の若者達がはるばるやってきて熱気を創りあげる。それを遠巻きに喜んで見守ってくれる人もいる。去年の相信農場だって、「仕事はないけど次も来てくれ」と言ってくれていた。
「そうはいっても、仕事、だと思いますよ。」
誰かがぽつりと言った。
「村の人の見ている前で一生懸命仕事して、その若さっていうか熱気に、村の人もすごい新鮮なエネルギー感じて、きっと元気になったりするんですよ。やっぱり、オレら、韓国語できないんだし、だとしたら、一生懸命働くことが、唯一オレらにできる『会話』なんですよ。」
先はど僕は、ワークが村にほんとに必要なのか? という穎問を書いた。
ボランティアでもなく「ノルマ」のようなワーク。それでも必要なのか? 本来なら村の人にはハンセン氏病の後遺症が残っていて手助けを必要としている。だからこそ、我々がそこに行くのだと、そんな風な先入観をもって誰もが村に入ってこなかったか?だからこそ、ワークという手助けをすることに意気を感じるものなんだと思っていた。
そうして村に到着し、我々が一番最初にがっかりするのは村の「平穏さ」だ。
「平穏さ」
当たり前ではないか?
貧しかろうが、不自由だろうが、その条件の上で「平穏さ」を保とうとするのが人間社会ではなかろうか。そしてその営みに対し、専敬の念を込めて立ちつくすのみなのが本来の礼儀ではなかろうか。いったい何ができるというのだろう?
しかし、僕らは、村が囁から手が出る程我々の手助けを待っている、という状態を望んでいた。ハンセン氏病快復者の村だからきっとそうだと傲慢に決めっけていなかったか?
そうあれば僕らにはやりがいがあるだろうが、やりがいのある状態ほど村には悲しむべきことなのだ。我々はどこか失礼な考え方をしていないか? そしてもし村が、我々のような都合のよい時期に都合のよい期間だけやってくる大して技術のない連中に、簡単に手助けを必要とされてしまうくらいなら、村としてどうして存続など出来よう。
人の営みは、貪しさや身体の不自由を越えて行かねばならない。その強さを前にして、手伝える、と考えるのは傲慢なことかも知れないと僕は思う。手伝うことなど何もないと僕は思う。
手伝うことがないなら、なぜ村に行くんだ?そう言うかも知れない。
「交流」しに行くんだと思う。
ワークが必要なのではなく、必要なのは「交流」だ。
ワークはそのための、きっかけ作りにしか過ぎない。

さて、キャンプ中盤から、ワークはひととおり揃い始めた。ほれ見ろ、ワーク、ちゃんとあるじゃないか、そう言うかも知れない。
しかし、それらは村人が、ない所から無理やりひねり出してくれた仕事のような気がする0本来、村の生活は自分達だけで間に合わせているし、人を使って何かをしてもらうという経験がないのだろう。戸惑いつつ仕事を出してくれていたように見えた。
たとえば、教会から下りる土のデコポコ道をならすワーク。
これにはかなりの人数と時間を割いたが、結果的に、ならされた道のほうが道として固まっていないために、車がハンドルを取られたりする。最終日、トラックがこの道でハンドルを取られ溝にタイヤを突っ込んでしまった。その脱出に四苦八苦、せっかくならした道がグチャグチャになった。元のままのデコポコ道でほおっておいてよかったのではないか? と考えてしまった。
しかし、仕事が何もないよりはましだ、贅沢言ってられない、仕事の「意味」を考えたら不思議になるが、それでもキャンパーのみんなは一生懸命働き、時に「あ−、いいワークしたぁ」と言ってくれた。
誰だって一生懸命になりたい。
多くの人が、ワークで燃えたいと言ってくれる。
しかし、「意味」の見えないことに、ほんとに一生懸命にはなりようがないものである。今年のワーク、「意味」があっただろうか?
仕事としてはそれはど「意味」がないかも知れない。
しかし、仕事を通じて村人と交流してるという「意味」ではとても大きい。
仕事が何であれ、それは村人とキャンパーをつなぐ、重要な接着剤なのだ。
結果的にワークが揃ったのも、村人の寛容のおかげだ。村人が交流に応じてくれたからこそ、仕事を苦心の挙句ひねり出して協力してくれた。しっこいようだが、我々は村の仕事を手伝っているのではなく、村の寛容なふところに抱かれているだけなのだろう。
たとえば、この団体に一番合っていると言われるセメントの道路舗装のワークにしても、プロの業者に頼めば丈夫で奇麗な道が出来上がる。なのになぜ我々素人集団に任せてくれるのか?
金がないからではないだろう。そんな余裕もないはど村が貧しいわけはない。たぶんそれは、村人が我々のような人間を好きだからだろう。だから我々の来る夏まで待っていてくれ、ヘタクソな道でも喜んでくれる。我々にこそやってもらいたいと思っているのだろう。


これから後は、個人的感想です。

最終日は、午前中のみのワークだった。僕を含めて何人かで、家庭の鶏糞袋詰めの仕事に出かけた。
場所は教会から下りた道を一つはいった家。
顔じゅうにハンセン氏病の症状が残るアジュマ。・・・おぼえていますか?・・・と一緒に作業をした。このアジュマ、左腕に余り力が入らないようで、右腕だけで辛そうにスコップをふるっていた。
山積みの鶏糞は、まだ乾き切っておらず、アンモニアの匂いがツーンと鼻をさす。決して楽な仕事ではなかった。話しによれば、この家の主人も両手に指が全部ないそうでそうするとこの鶏糞の山は、普段じゃあ誰が袋に詰めるんだろう? 片腕しかきかないアジュマだろうか? それとも指のない主人がスコップを持てるんだろうか?
僕はそのとき、ドキッとした。
この家庭こそ、ほんとに我々の手助けに期待していたのではないか?
それが最終日になってやっと仕事を出してくれたのは、村の力関係と遠慮でその声を出せなかったのではないか。ほんとは、この家庭こそ手伝いを求めていた。こういう家庭をこそ手伝うべきだったのに、それを最終日にようやく気づいたということに・・・そうだとしたら、悔しい。
この家庭は、村でもっとも貧しいはうの一つだろう。ワークの休憩で出たおやつで、それがわかるかもしれない。他の家庭ではおやつは、マッコリと桃だったが、ではマッコリはなく水で、桃でもなくパンだった。信愛農場が桃で栄えているのは自明だが、その桃がおやつで出ない家庭は、桃を栽培していない、桃の繁栄に預からない家庭だろう。他の家庭で出される桃には値段がついていないのに、ここで出たパンには200ウォンとあるのが痛ましかった。
もう一つ、この家庭でどうしても書いておきたいのは、子どものことだ。2、3才の髪の毛がくりっとした大人しい子で、いっもアジュマに手をひかれている。
しかし、会う度ごとに「アンニョンハセヨ」と声を掛けても、悲しい頻をしてアジュマの後ろに隠れてしまう。何度話しかけてもそうだった。村の子はみんな明るくて元気なのに、どうしてこのこ一人恥ずかしがるのだろう。誰とも馴染まず淋しそうなのだろう。
それはきっと母親であるアジュマの病の症状が残る顔が、外部の人目に触れることを子供心に気にしているせいだと不遜にも思いこんでいた。そういう母の子であることに引け目を感じているからだと。
この日のワークでも、話しかけるのだが、うつむいて逃げて行ってしまう。
その子がだ。鶏糞袋詰めの作業中、仕事を手伝いだしたのだ。
手伝うといってもまだ2、3才の子だ。おもちゃのスコップをどこからか持ってきて、その小さなスコップにわずかの鶏糞をすくい、母のひろげている袋の中にせっせと詰めこむ。片腕のきかない母を思っての手伝いだったろうか。
しかし驚いたのは、そのときの表情だった。
汚い臭い仕事を、笑いながら手伝っている。
一度も笑ったところを見たことがない淋しげなその子が、今生き生きと笑っている。
その表情に、うたれた。
「この子、唖なのよ。」
アジュマが、たんたんと言った。驚いた。
「唖?」
「そうだったのか?」
話しかけても淋しげにうつむくだけなのも、誰とも遊ばないのも、そうだったのか…。
こんな小さな子にそんな重い運命が背負わされていることを思うと、こうして母の手助けとばかりに楽しそうに働く姿が、笑っている姿が、けなげで痛ましかった。
なぜそんなことに笑えるの?そんな風に純真に笑えるの?
普段笑わないから?
普段子どもは、子ども同志遊びのなかで笑うだろう。しかしこの子は、そんな笑いを知らないから?
しかし、母は顔じゅうに痛の症状が残り、父は両手に指がない、そして子はしゃべれない。そのような家庭が世の中にあるということ突然僕はふと、この3人が食卓を囲んでいる、家庭の団欒の光景を想像してしまった。
どんな会話があり、どんな笑いがあるのだろう。僕は急に胸の奥が支え出し、この人達のことをいとおしく思えた。
なぜか知らないが、好きになれるかも知れないと思った。

さて、最終日のその鶏糞袋詰めのワーク。
時間が昼12時に近づき、ハナフェの一人が(彼は日本語があまりできない)
「もう終わりましょう。」と日本語で切り出してくる。
だが、鶏糞の山は、まだ半分以上残っていた。
「いや、もうしばらくやりましょう。」
僕は彼に答えた。
「しばらく?」
彼はその日本語の意味を知らなかった。
「チョグム(少し)ですか?」
「はい、ではチョグムだけやって終わりましょう。」
いえ、チョグムの意味ではなく、しばらくというのは…。
しばらく、の訳をどう説明していいのか僕は窮していた。
しばらく、というのは、少しの時間かも知れないし長い時間かも知れない。いや、時間の長さが問題ではなく、気持ちの長さなのだ。
もうしばらくやって、これくらいでいいだろう、という気持ちになるまでやり続けましょう、と僕は言いたかった。だって、まだ鶏糞は山のように残っている。なのにもう12時だから終わり、というのでは機械的すぎないか?さっさとこちらの都合で勝手に引き上げて、それでアジュマに誠意が伝わるか?せめてアジュマが「御苦労様。もういいわよ」と言ってくれるまで続けないか。しかもワークはこれで最後じゃないか。
「じゃあもう終わりましょう。」
しかし、ふたたびそういう彼に、自分の気持ちを強制することは出来ないと思った。鶏糞の仕事はさすがに臭く、まだ乾いていないそれをおもいっきり踏んでしまうこともあった。早く体や靴を洗いたい、みんなそう思っていたはずだ。そして、彼の言葉につられてあっさり去って行くキャンパーに、アジュマは何を言うわけでもなかった。
「あの…。」
僕は何か言わねばと思った。
「すいません。」
何とも後味が悪い0これが最後のワーク、もうワークは出来ないというのに鶏糞は山のように残ってる0それを中途で放り出すように我々は去って行く訳だ。
「すいません。午後は『信愛の晩』の準備のためにワークができないんです。ワークはこれで最後でした。余り出来なくて、すいません。」
すっきりしない、言い訳だった。
「ケンチャナヨ(気にしないで)」
アジュマは小さくそう言っただけだった。さみしい、呆気に取られたような声だった。

くるりと振り返ってアジュマに背を向け歩き出したとき、きゅうに涙があふれ出てきてしまった。
最後のワークの後味の悪さ。最後だからすっきりと「ありがとう。御苦労様」と言われ終わりたかった。しかし、その言葉はなかった。アジュマの淋しげな「ケンチャナヨ」がすべてを無にしてしまった気がした。オレたち、ここに、ほんと、なにしに来たんだろ?何もしてないんじゃないか?ほんとに喜ばれたか? もっともっと出来ることあったんじゃないのか?
我々は一番手伝いたかった人達の仕事を見ず、中途半端にし、その声なき声を引き出せず、他のよくわからない仕事に労力を使っていなかったか? アジュマの、表情には出ない、言葉にも出ない、そんな何かに、関わろうとすることは出来なかったか?
僕は先ほど「手伝うことなど何もない」と書いた。
たとえばF恵まれない人達に愛の手を』という運動に対して、冗談じゃない、いったい世の中のどこに恵まれない人がいるんだ、他人を恵まれていないと決めっけるあんたは何様なんだ、大きなお世話だ、と思ってしまうのと同じ反撥で、「手伝いに行くんだ」という思い上がりを責めた。だから「手伝うことなど何もない」と。
しかし、今、このアジュマに「手伝ってあげられなかった」と思ってしまう気持ちを何と説明すればいいのだろう? 同じ思い上がりだろうか? アジュマになぜか「申し訳ない」という気持ちが、涙になって溢れ出てしまった。

教会から下りる道に立つと、眼下に景色がいっぱいに広がっている。川の蛇行が手に取るように見え、川に添って国道が長く続いている。その場所で一人泣いていると、村の子どもがいるのに気づいた。いつもは騒ぐ元気なその子が、今日はやけにしんみょうに、双眼鏡に見入っている。双眼鏡で眼下に広がる景色を見ては、何かぼんやり考え事をしているようだった。
そうか、お前もいつかはこの村を捨て、もっと広い世界に出た行って思うんだろうな。その小さな体に双限鏡は異常にデカかった。

「信愛の晩」
村の長老カ、日本語でスピーチをいただいた。
「遠い日本から、はるばる韓国のこのような田舎の村に来てくれて、うれしいですよ。今は夏休みでしょう? 普通は海や山に出かけるのに、あなた達はこの村で、肌を黒んぼにするまで働いてくれて、ほんとうにありがたいですよ。村の人みんながね、ありがたいと、心から思っているんですよ。」
村の人がこれまでどのような差別を受けてきたかは知らない。しかし、誰も訪れない、村人自らが 「どうしてこんな村に?」と言うその村に、若者たちが来てくれるということがどれはど嬉しいか。
この長老はまた、家庭訪問で訪れたときもこのように話してくれた。
「どれだけ働くか、熱心に働くか、そういう事ではなく、来てくれたことに涙が出ますよ。」
この言葉を聞いたとき、僕は自分達のやっているキャンプの意味が少しだけわかった気がした。しかも、ある者はキャンプを通じて友達をつくってしまうわけだ。キャンプの偉大さを思わざるを得ない。
その長老の言葉に救われたとはいえ、今でもあの最後のワークの後味の悪さは残っている。それに「今年のキャンプはワークが少なかったな」という反省を聞くたび、悔しさがふつふつと湧いてくる。
畜生.来年を見てろ。
来年もし信愛農場だったら(という条件付きであるが)、ぜひもう一度ワークリーダーをさせてもらいたい。
来年こそ、一日8時間以上働かせて、川に水浴びなんか行く気力も時間も奪うくらい働かせて、こんなキャンプ二度と来るか!という捨て台詞を吐いてもらえるような、そんな憎まれるワークリーダーになります。
「ワークはあるものではなく、作るもの」この言葉を肝に命じて。

最後の夜、さっきの場所に一人下りてみる。
村一番の景色の広がりが見渡せるその場所も、夜には一面闇だった。
ふと、闇の中にポツンと光がともり、ふらふら揺れ動いた。
なんだろう?
それは、遠く国道を走る車のヘッドライトだった。
しかし、それは小さな豆拉ほどの光で、ゆっくり動いてゆくさまは、まるで蛍のようだった。
今年のキャンプ。・・・去年の相信農場のような満天の星空は見えなかったけど、蛍を見ることはできたな。
まもなく闇の中にその蛍はいくつも現れてきて、光の粒の行進をかたちづくった。
少し涼しい風が吹いてきた。
闇の中の村の匂いが、ふっと届いた。 

[稲葉充利 1990年、韓国・信愛農場キャンプ・ワークリーダー]

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