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宇宙世界通信 第7号 1996.6.14発行

Contents
・大分 耶馬渓キャンプ特集
・ワーク報告、お料理教室など・・・
稲葉 充利 服部 雅行 濱島 恭子 荒牧 浩二
・耶馬渓マンガ2「Let's go 耶馬渓!」太田 あや、田中 宇宙
・八王子福祉まつり 報告 田中 宇宙
・清瀬福祉まつり 報告  濱島 恭子
・平和の家キャンプ計画  原田 健一
・全生園訪問   田中 宇宙
大分 耶馬渓キャンプの報告と感想


宇宙世界通信 第7号
大分・耶馬渓オリエンテーションキャンプ 報告・感想
CONTENTS
稲葉 充利、荒牧 浩二、真鍋 康代、小山"SINRY"貴也
松田 浩江、服部 雅行、西村 麻里、浜島 恭子

稲葉 充利
ミレーの「落ち穂拾い」という絵を思い出した。
田んぼにはけっこうそこらじゅうに稲穂がこぼれ落ちていた。それを一つ一つ拾いながら、こつ然とあの絵の中の百姓の気持ちが分かった。そしてミレーがどうしてあのような題材を絵にしたかったのかも。
自分自身が親たちの姿に似てきたとも思った。足が短いのでしゃがみやすい利点も受け継いだ。稲穂を拾うごとに百姓の血が自分にも流れているんだと思った。
わらはやっぱりどう見ても美しい。
地方地方でいろんな稲の掛け干しがあるが東北も美しかったし、北陸だって素晴らしい。九州の鈴木さんちの棚田を見下ろしたとき、ほんとうに感動的に美しかった。
夕方になると家々にのぼる煙。帰る頃には枯れた彼岸花… 風景の素晴らしさ、それだけでなくもっと多くのことが奥深く沈殿している。
パンを焼いて住んでられるお二人のどちらかが「よそでは新しく入ってきた。
人を白い目で見るけど、ここでは黒い目で見る」と言った。その感覚、分かる気がする。
鈴木さんは「どこへ行ってもいい人も悪い人もいる」と言った。
そんな言葉の一つ一つがありがたかった。
親と離れて暮らせば罪悪感がどうしても消えないとか、やっぱり北陸の気候は嫌だとか、九州とか南信州だとか、自分の好きな土地に行きたいとか、そういう問題は解消されたというわけではない。それでも今回の10日間で勇気が出た。余裕もできた。着実にやっていこうと思えるようになった。
10日間の余韻はまだ残っている。どんなに風景が良くたって旅の感動は結局は人。本当に人に恵まれた。

荒牧 浩二
援農キャンプご苦労様でした。
そして、毎度ながら楽しませてもらいました。こういう田舎に暮らしていても、物資的にはほとんど何不自由なく充実しているように感じますが、人と素直に語り合う(特に若い人・女性と)機会が少ないことを日頃寂しく感じている身としては、一緒に汗を流した上で、うまい酒を飲みながらゆっくり話すことができるという事はこの上ない楽しさでした。
特に今回特徴的だったのは、来てくれたメンバーほとんどが何かしら真剣に“求めている”という感じが強かったこと。何を…? それはまぁ人それぞれだけれど、大まかに大げさに言えばその人の人生を…?
夜ミーティングの後焼酎片手に農業のこと、政治のこと、生と死、はたまた恋愛etc.について話したことが、単におしゃべりだったのか、身のある討論だったのか… それは時間が経過してみないと何とも言えないが、少なくともそのときにおいては上っ調子に流れることなく、皆本音でしゃべってくれていたと感じられた。だからきっと何かが残っていくだろうと期待している。(仕事をしながらでももっとゆっくり話しのできる余裕があればもっと良かったけどね)
そういうことを通して、この「明日庄」という農場の一つの方向性もかいま見えた。キャンプでもあった。たった二家族がゆるやかな共同でやっていること、やれていることといったら、まぁ今のところ農場を維持しているのが精一杯という感じだがこの空間を開いていろいろな人たちが来ることで、ここが何かを体得する“現場”として生かせるのではないかと。それだけ今の日本の社会の中で“農業”その中でもさらに効率の悪い“百姓風”のやりかたが、特殊な“場”だということかもしれないが。
自分の個人的な思惑から言えば色々な意味で疎外されることの多い今の子供たちに有効な場となることを強く願っている。
キャンプの終わった後、普段の顔を見せ始めた田中だったが、その彼が「自然を怖いものと感じている神戸の子供たちを連れてきたい」と言っていた。それが実現し少しでも彼らの心が癒せるなら本当に素晴らしいと思う。
実は僕は少ない現金収入を補うために家庭教師を週2回ほどやっている。キャンプの終わった後の話しだが、そのうち1人の子が中学校での色々な出来事を受け止め切れきれなくて、必死で頑張っているのを知った。詳しくは書けないがこの町でもはやく大人たちが子供や学校を一緒に考えていく体制を作る必要を強く感じた。そして今ようやくその動きが地域の中に出て来ている。そういう受け皿を地域の人と一緒に作ってその上で神戸の子やあるいは行きにくく思っている多くの子たち、さらにそれに関わるキャンパーを受け入れて自分たち自身も一緒に成長していけたらと思うのだが。
今後のキャンプの方向としてもぜひ検討してみてください。
これからいよいよ田植えへ向けて頑張り所です。皆がやってくれた苗床の苗も順調に育っています。その前段のトマト・ナス・ピーマンなどの夏野菜の準備をほぼ終了できて本当に感謝感謝。秋には稲をたわわに実らせて頭を垂れて待ってます。ぜひ又来てください。楽しみに待ってるぜと。

真鍋 康代
5/11大分キャンプお疲れ様でした。
このキャンプを提案してくれた宇宙さんはじめ、そこに集った人たちにとてもとても感謝しています。
4年生になって学生と社会の狭間でウォーって感じで自立しなあかんっていうあせりがあってブルーやった。将来自分は何を創造していきたいのか、何の目的に進んでいけばいいのか… 自分の核となるものはあるのだけれどそれに向かう手段が定まらずにもやもやしてた。目標がなかったら前へ進めん性分らしい…
よく人から“そんなにがんばらんでいいんちゃうん”とか“もっと楽に生きたら”って言われるけど、何か私にはいつも切迫感のようなものがあって、絶えず考えて必死に答えを見つけようとしてしまう。一時の楽しさに身をまかせ、物事を考えるのをやめたら何か自分の存在が消えてしまいそうで怖いんよ。
そんな煮詰まった状態の時にこのキャンプに参加した。参加するまでは漠然と自給自足の生活をしたいという思いがあって、その生活を見てみたいという興味と、思いっきりリフレッシュしたいっていう気持ちやった。実際に行ってほんまによかった。自家栽培は確実に私の夢の一つとなった。私の考えからしても、自分の身を守るために自分で生きていく食物を作っていくことは必須や。しかしそれ以上に自然の中で過ごすことがこんなにも気持ちよくて、こんなにも優しい気持ちになれるんやということを知った。
鈴木さんたちは完全無農薬で頑張っているが、それで生活していくには厳しい世の中だ。でも都会で何千万円出しても手に入れることのできない豊かさを感じた。鶏を食べた。私も羽をむしり、さばいた。まだ生暖かい。私が生きるために多くの多くの生きようとする生命を犠牲にしていく。もっと真剣にもっと誠実に生きようと心に誓った。灰谷さんの本の中で「生命はじゅんぐりや」っていう言葉の意味を身を持って痛感できた。都会では生命から切り離された食品が売られている。この東京で大分で学んだ感じたことをいかに取り入れていくかや。
また、キャンプでの人との関わりの中で自分と向かい合うことが多くあった。自分の嫌な面と向かい合うことはとても苦しい。今回皆で議論しているときに小山くんにしゃべらんように私が提案した。とりあえずは私の中で考えがあって、口に出したことなのだけれど、結果的には逆効果になった。議論が終わって小山くんが書いたノートを見て小山くんの気持ちを抑圧してしまったことを感じた。そんでまっちゃんからの言葉が徹底的やった。私は一人の人間の存在を排他的に扱ってしまった。自分の信念に反することを自らおかしてしまったこと悔しい。幸い?!次の日小山くんは全く覚えていなかったのだけれど、私の中の自分自身の問題としてこのことは非常に辛いことやった。これはしっかり自分の胸に刻み込んでおこうと思う。
様々なことを含め、ほんまにほんまに行ってよかった。その気持ちを伝えたくて今考えていることを書いてみました。

小山"SINRY"貴也
今回のキャンプへの参加はオーバーでも何でもなく僕がこれまで生きてきた(といってもたった25年ですが)中で3本の指にはいると言っても過言ではない強烈な体験でした。
そして、5月7日に宮崎に帰ったときの僕の精神状態というの、とにかくやりたいことが山ほどあって仕方ない、あるいは何だってできそうだ、そういうある種異常なくらいハイな状態だったのでした。そして実際、以前に比べるといろんなことにかなり積極的になっていたのでした。(例えば人に手紙を書くとか、音楽とか、勉強とか、家の手伝いとか。)まぁその分ちょっと精神のバランスがアレだったりして、人間が椅子に化ける夢とか、いろいろ変な夢を見ましたが。まぁそれはそれとして、全体的には我ながらなかなかパワフルな生活を送っていたのでした。
それから3週間。正直に告白すると、僕の中の高揚感はすこしずつ薄れ始め、またしても無意味にゴロゴロしたり、なかなか行動を起こさなかったり、夜いつまでも何をするともなく起きてるとか、僕の悪い癖がだんだん顔をあらわしてきたのです。
これからが正念場だと思ってます。あれだけ強烈なパワーをもらったのだから、またもとに戻ってしまうのでは、あまりに惜しい。僕が今心がけているのは常に頭や体を動かしていよう、そして生活が少しでも楽しいものになるように、いろいろ創意・工夫をしようということです。「KP通信」でも「創意工夫」の大切さを学んだと書きましたが、このことは今回のキャンプ全体、ひいては僕のこれからの生活の重要なテーマの一つにしていこうと思っています。
今回のキャンプに参加した人たち一人一人が本当に目がきれいでそしてパワフルでした。皆さんが僕に与えたパワーははかりしれません。本当にありがとう。みんな幸せになってください。また会いましょう。
Keep your soul positive,peaceful & healthy!

松田 浩江
「あまり長い間、自分の<きもち>に知らんぷりをしていたら、いつかあなたは何も感じなくなってしまうかもしれない。自分がなにを感じているのか、わからなくなってしまうかもしれない。」

ある本のこの部分を読むと、いつも焦りを感じる。耶馬渓に行って、カラダとか、普段の基本的な生活とか、そういうものも、<きもち>のところにあてはまると思った。一週間しか居られなかったけれど、その間、そこでの生活をまるごと“実感”していたように思う。大勢でキャンプをしていた、ということもあるだろうけれど、すこしでも農業にかかわることができたことが大きかったのだと思う。例えば「食べる」ということ。いつもは“当たり前”なのに、ここでは、一回一回が無性にありがたい。嬉しい。私などは、ほんの一部(収穫の時だけ)しか、かかわっていないけれど、それでも目の前にあるものが自分の働いた証のような気がしたり。
育てた人の顔が見える、というのは、いいなあと思う。
鈴木さん、荒牧さんは、今日もあそこで働いておられる。次、お邪魔したとき、また、お二人の労働の結晶を、私たちは頂くことになるのだなあとボーーっと考える。でも、普段だって、誰かのつくったものを食べているのに、それを想うことは難しい。そして、だからこそ多くの人は、その人たちに対して無関心なのだろう。
食べることを含めて、“生きていく”上での実感が希薄になってきているような気がする。
  耶馬渓にいる間は、人の生活、天気、植物(作物)、鶏とか、犬がすべてつながっているような感覚があった。帰ってきたら、それらは、それぞれ別のものとして切り離されてしまっている。何か変…と思いつつも、スーーッと自分の日常に溶けていく。
なんなのだろう ???????
「わからない」ことが多すぎる
気付いていきたい、と思う。

服部 雅行
耶馬溪に一番乗り!
去年の秋の稲刈りキャンプに参加するつもりだったが、直前になって大阪から東京に転勤が決まり参加できず。慣れない東京暮らしや新しい仕事へのとまどいも手伝い、ぼくは耶馬溪に行くのを心待ちにしていた。ようやく願いがかなう、農業への興味や仲間と会えることも楽しみだったが、とにかく大分でもう一度自分を見つめ直したかったのだ。一番乗りを目指した。みんなが来る前に鈴木さんの話を聞きたかった。そして何よりも田舎の空気を吸いたかった。
耶馬溪キャンプはぼくが全日参加する初めてのキャンプだった。よし、ワークリーダーでもやってみるか!いろいろ考えたいこともあるけど、とにかく太陽の下にでることだ。
<ワーク内容>
田植え準備 まずは苗床づくり。裏山に土とりにいく。いい土は山頂あたり。冬の間寒さで殺菌された赤土たち。彼らが苗を発芽させる母となる。持ち帰った土はふるいにかけくん炭とまぜ苗床のケースにきれいに詰める。次に種もみを苗床にまく。それを水に入れた田んぼに新聞紙をまいて並べる。今回はここまで。一方田んぼではくろうちを行う。くろうちとはあぜをつくること。鍬を入れてあぜを切る。穴に注意。穴とはもぐらの道。もぐらのつくった道で畑が陥没することもあるという。慣れないぼくらは鍬を何本も曲げてしまった。力みすぎ!慣れると力を入れなくても鍬はザクッと入る。うまくいきだすと結構面白い。リズムにのる。汗をかく。ミミズが飛び出る。キャッキャッ騒ぐ。「愛してるぜ!」と吠える。
<野菜づくり>
鈴木さんちは週二回無農薬野菜を一般家庭に届けている。継続的に続けるには常に次の季節に向けた種まきが必要。今回は夏に向けトマト、ナス、キャベツなど植える。小さいビニール鉢に生えている苗を畑に移植する。土はあったかく赤ん坊の野菜たちを包んでくれる。一方、収穫はチンゲン菜、ゴボウ、ラディッシュ、キクナ、しろ株等。朝積みして計量し、ダンボールにつめて出荷。無農薬野菜が家庭に届くのは作り手として一番の喜びではないだろうか。ぼくらもなんとなくうれしい。
<ビニールハウス>
今回一番大変だったのがコレ。ビニールハウスを一度取り壊し、別ところで組み立てる。ビニールハウスは鉄パイプとビニールでできている。組み直しの時、畑にパイプを突き刺す穴を開けるのが大変。荒牧さんとモグモグの最強コンビ活躍!夏に向けてなぜビニールハウスが必要かといえば、トマトのためである。トマトは雨に濡らせないらしい。病気にかかりやすいデリケートな奴。体質強化のために接ぎ木をした苗もある。根は別の植物で、茎から上がトマト。こうすると病気に強いらしい。
ようやくできあがったハウスの中に定植まで行って一件落着。ご苦労様でした。
鶏小屋 一日のワークの終わりは卵とり。集めた卵はやすりでみがいて見栄えをよくする。割れた卵もある。この数を減らしたいと、鈴木さん。カルシウム強化に何か策はあるか?その他、えさをやる。水をやる。鶏糞をとる。鶏糞は畑の肥やしになる。畑は植物を育てる。その草を鶏が食う。うんこをする。たまごも産む。自然はうまく循環している。そんなことを学ぶ。鶏をさばいた。鉄人・宮田の華麗な包丁さばき!今夜は鶏肉カレーだ。プリンもつくろう!働いて、学んで、腹が減る。
<ワークリーダー>
ワークは楽しい。みんながそう感じていたと思う。だから、リーダーもすごくやりやすかった。土はあたかかく、緑はやさしい。苗も雑草もしっかり生きていて、太陽はさんさんと照り、雨は静かに降る。都会にはない生の鼓動。朝おきて、昼働いて、夜は疲れて寝てしまう。リーダーだからではなく、明日も思いっきりワークがしたくて早寝早起きをした。そして、みんなが楽しく盛り上げてくれたおかげでワークも大成功だった。ぼくらが植えた野菜、夏にはちゃんと実がなるだろうか。ぼくも僕自身の中で育てていきたい。
韓国キャンプで感じる「日本」と「韓国」と同様、このキャンプで「都会」と「田舎」を僕たちは自然に比較していたと思う。自然の豊かさ、都会の食生活の危険さを痛感する一方で、本当にこの生活に飛び込めるのか、いや今の自分の生活は何なのか、自問自答していた。答えはみつかっていない。僕自身はまだ都会の生活の中でやりたいことがあるような気もする。でもいつか田舎での自給自足の暮らしをとも…
とにかく、耶馬溪キャンプ大成功だった。今後の暮らしの中でまたテーマを探し、必ず訪れたい。鈴木さん、荒牧さん、キャンパーのみんなサンキュー!ワークリーダーは楽しいよ!お勧めです。自信を持って!

西村 麻里
とても楽しいキャンプだった。なんて楽しいんだ!こんなに楽しくていいのか?と何度も思った。みんなと共に働いて、食事して、歌って、語って、踊っている人もいた。笑いあり、涙あり。私は、ずっと笑っていた。

大分県の中津駅から、特急バスに揺られて1時間の「裏耶馬渓入り口」に着いたとき、あまりの景色の良さに大喜びだった。ちょうど、たんぽぽが綿毛をつけていたので、たくさん吹き飛ばして遊んだ。迎えの車が来るまで、宮ちゃん(宮田)と共に、「綺麗な空気なので、弾き語りをしよう。」と言いながら歌を歌った。宮ちゃんは、歌が上手い!とても気持ちよかった。

 着いた日の午後から、ワークを始めた。雑草刈をした。真鍋やっちゃんと2人でやった。お日さまがさんさんと降り注いでいた。大きなバッタが怖くて、そーっと草をぬいた。草がたくさん生えているところは、むーっと暖かくて、草が呼吸しているのがよく分かった。二人それぞれ、歌を歌っていた。歌いながら作業すると楽しい。

<苗床作り>
苗床とは、イネの種を植えて苗に育つまでの場所のこと。苗床を作るために、山奥に土を取りに行った。その土は、冬場の霜によって自然殺菌されたもので、人間が新たに手を加えなくても、病気にかかりにくいということだった。自然と上手く共存しているのを知って、嬉しくなった。山の斜面の赤っぽい色の、サラサラした土をそっと削った。
 山を下りる途中、山水が流れていた。鈴木さんが「飲めるよ。」と教えて下さったので、飲んでみた。冷たくておいしかった。つい子供に返って水を掛け合ってしまった。
 山から帰ると、とってきた赤土をふるいにかけた。1メートル四方の大きなふるいに土をのせ、棒に擦り付けて土をふるった。すると、とても細かい赤色の土がさらさらと落ちた。土がある程度できたら、くん炭(鶏の糞を乾燥させたもの)を土の半分くらいと混ぜて、ケースに敷き詰める作業をした。このケースに種籾(たねもみ)をまく。100ケースくらい作った。
作っている途中に、近所のおじさんがやってきて、早い作り方を教えてくれたりした。手際の良くない私たちに、歯がゆそうだった。おじさんは土を豪快に手でつかみ、すごい早さで1ケースを作り上げた。土を触る事になれているのだと感じた。私は、どこかまだ土に慣れる事ができなかった。普段の生活で土に触る事が、ほとんどなかったし、土が少しでもついたら手を洗ったり洗濯したりするのが自然な事だと思っていた。それは、ここではとても不自然な事だと感じた。スコップを使うのをやめて、手で土をいれる事にした。触ってみると土って汚いものではない事が良く分かった。この土によって、米や野菜が育てられるのだ。

<くろうち>
朝から、田んぼに出てくろうちという作業をした。くろうちとは、水を引く前の田んぼに鍬を入れあぜを作る作業。鍬を入れてみると、そこのは穴があいている事がある。それはモグラが作った穴だそうだ。その穴をきちんと塞いでおかなければ、陥没してしまう事があるので、見つけたら必死で埋めた。くろうちの作業は全身を使うので、最初は少しやっただけで疲れて休憩ばかりしていた。
大きなミミズがいるという事をこのとき知った。私はその生き物がミミズだと教えられるまで、小さなヘビだと思っていた。色は紫と青の混ざったような感じで内側が白く、太さは1、5センチ・長さ20センチ以上あった。「ヘビかな?ドジョウかな?」と騒いだら、鈴木さんにミミズだと言われた。こんな大きなミミズが育つなんてすごい。

<あまったれダンス>
耶馬溪には、雨の日だってある。そんな日は鶏舎にスコップを持っていって、鶏糞掻きだ。鶏の糞は肥料として使うそうだ。つくづく無駄が無いなと感心した。でも、この感心も束の間、鶏舎に入り糞掻きを始めるとそのアンモニアの臭いに苦しめられた。臭いのをごまかそうと思って歌を歌ったら、余計にしんどくなった。
途中でいったん鶏舎から脱出した。ボーっと外に立っていると、屋根をつたった雨の雫がポトポト落ちてくる。その雫を落ちてくる順に手に受けて遊んでいた。そしたら、もう一人に脱出者のはっとりん(服部)もそれを始めた。調子にのってきた私達は、雨だれと、自分達の臭いに耐えられなかった根性なしを掛けて、「雨ったれー、甘ったれー、あまったれー」と歌いはじめた。あまったれダンスの出来上がりである。2人は鶏糞掻きをしている人達を横目に踊り続けた。

<歌>
このキャンプはとても歌の溢れるキャンプだった。仕事の合間の休憩の時、宮ちゃん(宮田)や宇宙君がギターを持って、歌い始めたらみんな自然と集まってくる。そして、思い思いに合わせて歌い始める。歌が終わる頃には、みんな歌っていて、合唱になっている。本当にみんなで歌うのって楽しい。
私が帰る前の夜、荒牧さんの家で打ち上げをした。皆でお酒を飲みながら、歌い続けた。その中で、小山君が「真鍋さんの為に、この歌を作りました。」と言って披露してくれた歌「ラブリー」はとても良かった。その歌を聞いていると、温かい気持ちになってきた。その歌に続けて皆で、「まなべーやすべー・・・」とやっちゃん(真鍋)のテーマを歌った、何だかジーンと来てしまった。やっちゃんは泣いていた。その時、あの部屋を包んでいた空気は、とても優しくてあったかくて、お母さんのお腹の中にいるような感じだった。

<感想>
とても楽しかった。生き生き出来た。たくさん笑ったし、いっぱい歌った。とても綺麗なものに出会った。若草色の芽を一面に吹かせた山、蓮華畑、山間を流れる冷たい清水、澄んだ蒼い空に浮かんだ月。そして、人の温かさ。

私は、春キャンプでとても楢ちゃん(楢崎真理)を傷付けてしまった。足湯のことばかり考えて、キャンプの内側のことまで気がまわらなかった。そんな中、KP・事務といったことを一手に引き受けてくれていた、楢ちゃんの大変さを分かろうとせず、楢ちゃんが「こんなキャンプにはついていない。」と言ったときでさえ、自分のことを省みようとしなかった。結局、楢ちゃんのせいにすることで自分を慰めるという方法しかとれず、楢ちゃんはキャンプアウトした。最後の夜、事情があって楢ちゃんを大勢で囲むような形になってしまったとき、楢ちゃんが「こんな状況で、これ以上話すことは出来ない。」と言って泣きながら帰ろうとした事が、今でも忘れられない。社会の偏見や差別と闘ってきた、FIWCの中で私のやったことは、仲間を追いつめてしまうことだった。
この他にも、春キャンプは、私の未熟さ故にたくさんの人に迷惑をかけてしまった。その度に、必死でみんなは助けてくれたのに、私はたくさん思いやりのないことをした。

 そんな思いにうじうじしながら行った耶馬渓で、私はたくさんのものを得た。一番は、やっぱり仲間の温かさ。朝早くから夕方まで共にはたらき、その合間の休憩にはたくさんの歌を歌い、夕食後は、お酒を飲みながら色んな事を議論し合った。昼寝をするときは風の心地よさを体一杯に味わった。
知らなかったことをたくさん知った。自然の美しさ、人の優しさ。一つのものを育て上げるには、長い時間と大きな努力を費やすということ。そして自分が生きていくためには、多くの犠牲を払うということ。それは食べるものだけではなく、周りにいる人達にも。
この先も色んなことがあると思うけど、耶馬渓で感じたことを忘れないでいたい。
くろうちの時、温かい気持ちになっていた私達の口から出てきた謎の掛け声は「愛してるぜー」だった。なんか嬉しかった。
鈴木さん、荒牧さん、そしてその家族の皆さん、キャンパーの人達ありがとう。とても楽しかったね。

浜島 恭子
ビニールハウス構築中の出来事

トマトのビニールハウスを立てていると「おはようございまあす」。朝から大きな朗らかな声で荒牧さんの息子のこうちゃんがやってきた。しばらくみんなの働くところを見ていたが、突然「お仕事って楽しいですねえ」と高らかに叫んだ。みんなしかたなく笑ったが、内心ギクリとしたのではないかと思う。
仕事を続けていると、こうちゃんがまたやってきた。「種を13粒ちょうだい」としきりに言う。鈴木さんの息子のしょうちゃんも来て、渋る鈴木さんからほうれん草の種を13粒奪っていった。
しばし後、真鍋さんが「しょうちゃんとこうちゃんがこんな可愛い畑を作っている!」と興奮して告げた。覗いてみると、ハウスの下の方の細い土地の一角でしょうちゃんが一人前に鍬を振るい、こうちゃんはスコップで土を掘り、小さな小さな畑を耕していた。そこにさっきのほうれん草の種を植えるのだと言う。鈴木さんも荒牧さんも、もう嬉しくってにやにや笑いを隠しきれない顔をしている。きっと「親をやっていて良かった!」と思っているのではないかな。
仕事が楽しいと思えること。自分の働く姿を子に見せて恥じないこと。子が親の働く姿を見て自分もやってみたいと思えること。どれ一つとっても、到底実現不可能な夢だと思っていた。ささやかな奇跡を見せてくれた子どもたちと、彼らを育てた耶馬渓の皆さんに、ありがとうと伝えたい気持ちです。


Copyright Aya Ota 1996

 大分県の耶馬渓にある農場「明日庄」(あしたにしょう)で農作業をしました。野菜の摘み取りや田植えの準備(苗床に種を植える)、ビニールハウスを建てたり、鶏のたまごを集めたり、鶏の首を切り羽をむしり、そして食べました。参加したキャンパーのほとんどが今まで農業に携わったことがなかったのですが、みんなそれぞれに、無意識に日頃食べていたものに対しても関心を持つようになり、植物も含めて生き物の大切さを実感しました。とても気持ちのいい耶馬渓の自然の中で過ごして、生活する上での大事なことがたくさん学べたことと思います。
また、自然に対して恐怖感を抱いている神戸の子供たちをここに連れていきたいという願いもあり、夏に向けてこの計画を進めています。これを実現しようと検討中ですが、資金面などの問題もあります。具体的な意見をお待ちしております。メールにてどうぞ(茂木亮)。


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