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ハンセン病療養所医療過誤訴訟、2005.1.31東京地裁判決全文

平成17年1月31日判決言渡
平成15年(ワ)第8896号損害賠償請求事件
口頭弁論終結日 平成16年10月4日

  判決

当事者の表示  別紙当事者目録記載のとおり

  主文

1 被告は、原告に対し、5000万円及びこれに対する平成15年5月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 この判決の第1項は、本判決が被告に送達された日から14日を経過したときは、仮に執行することができる。

  事実及び理由

第1 当事者の求めた裁判

1 請求の趣旨

(1) 被告は、原告に対し、5000万円及びこれに対する平成15年5月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(2) 訴訟費用は被告の負担とする。

(3) 仮執行宣言

2 請求の趣旨に対する答弁

(1) 原告の請求を棄却する。

(2) 訴訟費用は原告の負担とする。

(3) 担保を条件とする仮執行免脱宣言

第2 事案の概要

本件はハンセン病の患者であった原告(昭和13年2月4日生まれ、女性)が、昭和56年ころから平成4年ころまでの間に被告の開設する国立療養所多摩全生園(以下「被告療養所」という。)の担当医師らから受けた診療に過誤があったために、後遺障害を負ったなどと主張して、被告に対し、診療契約の債務不履行、不法行為(使用者責任)又は国家賠償法に基づき、逸失利益等の損害のうちの一部についての賠償を求める事案である。

1 前提事実(証拠を揚げない事実は当事者間に争いがない。)

(1) 被告療養所

被告療養所は、明治40年に公布された法律第11号「癩予防ニ関スル件」に基づく道府県連合立癩療養所の一つとして明治42年に開設され、その後、被告に移管された施設であり、その後の法改正を経て、昭和28年に公布されたらい予防法(昭和28年法律第214号。平成8年4月1日廃止)に至るまで、それらの法規に根拠を持つ医療行為が行われていた(乙B1,B2,B9)

(2) らい予防法

らい予防法によれば、国及び地方公共団体は常にハンセン病の予防及びハンセン病患者の医療に努めなければならないものとされ(2条)、国はハンセン病患者に必要な療養を行うために国立療養所を設ける(11条)一方、医師はハンセン病患者と診断したときの都道府県知事への届出を義務付けられ(4条)、都道府県知事は、ハンセン病を伝染させるおそれのあるハンセン病患者について、ハンセン病予防上必要があると認めたときは、ハンセン病患者を国立療養所に入所させる事を勧奨し、ハンセン病患者がこの勧奨に応じないときにはこれを命じることができることとされており(6条)、入所したハンセン病患者は、原則として外出が禁じられていた(15条)。

ハンセン病患者の完全隔離を基本原則としていたらい予防法の下では、ハンセン病の診療は、若干の大学病院における外来を除いて、療養所においてでなければ受けられないのが原則であり、保険診療の対象ともなっていなかった(乙B1、B2、弁論の全趣旨)。

昭和52年当時におけるハンセン病患者の診療施設としては、国立療養所が全国に13か所、国立大学(いずれも研究施設)が3か所、私立療養所が3か所、医療刑務所が1か所あるのみであった(乙B2)。

その後、らい予防法の廃止に伴って、ハンセン病の診療は、一般医療機関でも行われることになり、保険診療として取り扱われるようになった(乙B1、弁論の全趣旨)。

(3) ハンセン病

ハンセン病は、抗酸菌の一種であるらい菌に感染することによって発病する慢性の細菌感染症であり、主として皮膚と末梢神経が侵される疾患である(乙B1、B2)

ア ハンセン病の病型分類

ハンセン病の臨床症状は、らい菌とそれに対する生体免疫反応との相関によって異なったものとなるため、これをいくつかの病型に分類して把握することが提唱されている(甲B16、B17、乙B1、B2、B9、B13、B26)。

(ア) リドレーとジョプリングの分類

現在、ハンセン病の病型分類として一般的に用いられているのは、昭和41年ころにリドレーとジョプリングによって提唱された分類であり、これは、ハンセン病の病型をI群(未定型群)、TT型(類結核型)、LL型(らい腫型)、B群(境界群)とに分類するのもである(甲B16、B17、乙B1、B9、B13、B26)。

リドレーとジョプリングの分類においては、ハンセン病の発病初期にはI群が見られ、らい菌に対して強い細胞性免疫が働くと、治癒するか、TT型に移行するかし、らい菌に対する細胞性免疫が機能せずにらい菌が増殖すると、LL型に移行するとされている(乙B1、B9、B26、証人和泉)。また、B群は、TT型とLL型との中間に属する病型とされ、TT型とLL型の要素をどの程度有しているかによって、BT型、BB型、BL型とに細分類されている(甲B16、B17、乙B1、B9、B26、証人和泉)。

(イ) マドリッド分類

リドレーとジョプリングの分類が提唱される以前は、昭和28年の第6回国際らい学会議で決定されたマドリッド分類が一般的に用いられており、これは、ハンセン病の病型をI群(不定型群)、T型(類結核型)、L型(らい腫型)、B群(境界群)とに分類するものであった(乙B2、B9)。

なお、マドリッド分類のT型はリドレーとジョプリングの分類のTT型に属し、マドリッド分類のL型はリドレーとジョプリングの分類のLL型に属するものである(乙B9)。

(ウ) WHOの分類

WHO(世界保健機構)では、昭和56年以降、治療方法の簡便な決定のために、ハンセン病の病型をMB型(多菌型)とPB型(少菌型)との2種類とする分類を用いている(平成9年からは、SLPB型(単一病変少菌型)を加えた3種類の分類となった。)(乙B1、B13)。

イ ハンセン病の臨床像

(ア) 菌検査、菌指数、菌形態指数

ハンセン病の診断方法の一つに、皮疹部位等をメスで切開する事によって採取した組織汁をスライドグラスに塗沫して乾燥させ、これを染色した後に、顕微鏡を用いてらい菌の有無、個数等を検査する塗抹菌検査がある(乙B1、B2、B9、B13)。

塗抹菌検査によって認められたらい菌の個数を7段階の指数(らい菌が発見されない場合が陰性(−)、らい菌が発見された場合には、その個数に応じて1+から6+まで)で表したものが菌指数である(乙B1、B2、B9、B13)。また、らい菌は、抗ハンセン病剤によって桿状から断裂状、顆粒状へと破壊されるところ、塗抹菌検査によって認められるらい菌のうちの桿状の菌の割合を示したものが菌形状指数であり、抗ハンセン病剤の効果の指標とされている(甲B13、乙B1、B2、B9、B10)。

(イ) LL型ハンセン病

LL型ハンセン病は、らい菌に対する細胞性免疫が機能せずにらい菌が増殖した場合の病型であり、らい菌の増殖に伴って、多数のらい菌を含む細胞から構成される肉芽腫であるらい腫が形成される(乙B1、B2)。

皮膚症状としては、皮膚にらい腫が浸潤して拡大するため、早期には、肉眼的にははっきりしないことが多いものの、左右の手足と顔面を中心に、境界が不明瞭で表面に光沢を有する淡紅色の斑様の皮疹が多発し、病勢が進行すると、皮膚が瀰慢性に肥厚して浸潤性となったり、褐色の丘疹や結節が形成されたり、それらが混在したりするとされている(甲B19、乙B1、B2、B13)。皮疹部では脱毛が生じ、眉毛、睫毛、頭髪の脱落に至ることもある(甲B19、乙B1、B2、B9、B13)。

末梢神経症状としては、早期には、末梢神経の肥厚の顕著ではなく、明瞭な症状は現れないものの、肘窩、膝窩、腋窩、鼠径、指間等の皮膚温度の高い部位を除いた全身の皮膚表面の知覚鈍麻や、顔面筋、小手筋、前脛骨筋等の麻痺が生じるとされており、末梢神経の障害が進行した場合には、上下肢においては、知覚障害に起因する二次的損傷が加わるなどして、筋萎縮、皮膚や間接の拘縮、骨の吸収や破壊等が続発し、鷲手、垂足等の変形が生じることがあり、顔面においては、顔面神経の障害によって、兎眼等の症状を呈することがあるとされている(甲B19、乙B1、B2、B9、B13)。らい反応

ハンセン病は、通常は慢性の経過をたどるが、ときに急性の炎症性変化が生じることがあり、らい反応と呼ばれている(甲B8、B12、B16、乙B1、B2、B13、B26、証人和泉)。

らい反応は、らい菌抗原に対する細胞性免疫反応の変動によって生じる境界反応(I型らい反応)と、らい菌抗原に血清中の抗体と補体とが結合してできる免疫複合体が血管壁や組織内に沈着することによって生じるENL(らい性結節性紅斑、?型らい反応、らい腫らい反応)とに大別される(甲B8、B12、B16、乙B1、B9、B13、B26、証人和泉)。

a 境界反応

境界反応は、一般にB群ハンセン病に生じるとされ、らい菌の死菌成分が増加して細胞性免疫反応の変動が生じることに原因があり、細胞性免疫が上昇してTT型の方向に移行するアップグレーディング反応(リバーサル反応)と細胞性免疫が低下してLL型の方向に移行するダウングレーディング反応の2種類があるとされている(甲B8、B12、B16、乙B1、B9、B13、B26、証人和泉)。

もっとも、ダウングレーディング反応については、臨床的にどのような症状を示すのかが明確とされていないこともあり、一般的に境界反応という場合には、特に注記のない限り、アップグレーディング反応をさすとされている(乙B26、証人並里、同和泉)。

境界反応は、B群の経過中の様々な時期に生じるが、ハンセン病の治療が終了した後に見られることもあり、遅発性の境界反応と呼ばれている(甲B15、乙B26)。

境界反応を発病すると、皮膚症状としては、新しい皮疹の出現や、既存の皮疹の発赤増強、腫脹、隆起が生じるとされており、末梢神経症状としては、急激な抹消神経炎が引き起こされ、末梢神経の腫脹、圧痛、機能低下が生じ、知覚麻痺や運動麻痺によって不可逆的な後遺障害がもたらされることもあるとされている(甲B8、B16、乙B1、B13、B26)。

末梢神経病状を伴う境界反応に対しては、免疫機能抑制作用のあるプレドニゾロン(ステロイド剤)の投与が絶対的適応とされている(なお、プレドニンは、プレドニゾロンの商品名である。)(甲B3、B16、B17、乙B1、B7、B13、B26、B35)。

b ENL

ENLは、主としてLL型ハンセン病に生じるとされている(甲B8、B12、B16、B19、乙B1、B2、B13、B26、証人和泉)。

ENLにおいては、らい菌抗原が存在するあらゆる部位において急性の炎症が生じ得るとされ、皮膚症状としては、有痛性発赤を伴う硬結や紅斑が現れ、自壊して膿疱や潰瘍となることがあり、末梢神経症状としては、浮腫性腫脹と疼痛を伴った抹消神経炎を生じ、鷲手変形が引き起こされることもあり、また、眼症状としては、虹彩毛様体炎や上強膜炎を生じ、充血、眼痛、羞明、視力低下を来すことがあるとされている(甲B8、B12、B16、B19、乙B1、B2、B13、B26、証人和泉)。

ENLに対しては、サリドマイド、プレドニン、クロファジミンの投与等が有効とされている(甲B3、B11、B12、B16、B17、乙B1、B2、B13、B26、B47、証人並里、同石井)。

ウ ハンセン病に対する化学療法

ハンセン病に対する治療としては、従前から、早期かつ適切に化学療法を開始したかどうか、またそれに良く反応したかどうかがその予後を大きく左右するといわれている(乙B2)

ハンセン病に対する化学療法は、昭和16年にアメリカ合衆国ルイジアナ州のカービルの療養所においてハンセン病患者にプロミンが投与されて劇的な治療効果を挙げたことに始まるとされ、昭和23年ころからは日本国内の療養所でもプロミンが用いられるようになった(甲B12、B13、乙B2、B9、B10、B20)。

その後、静脈注射薬であるプロミンの基本化合物であるDDS(ジアフェニルスルフォン)が口径薬として用いられるようになり、さらに、クロファジミン(CLF、B663)リファンピシン(RFP)、オフロキサシン(OFLX、タリビット)等の抗ハンセン病薬が用いられるようになった(甲B2、B11からB13まで、乙B1、B2、B9、B10、B13、B14、B20、B22、B46)。

(ア)DDS

DDSはらい菌の葉酸代謝を阻害してその増殖を阻止する薬理作用を有しており、らい菌に対して静菌作用を示すとされている(甲B2、B12、B13、乙B1、B10、B13)。

(イ)クロファジミン

クロファジミンは、その正確な作用は明らかでないものの、らい菌のDNA複製を阻害する薬理効果を有しており、らい菌に対する静菌作用や弱い殺菌作用を示すほか、炎症反応を抑制する効果があるとされている(甲B2、B12、B13、乙B1、B10、B13、B20、B46)

クロファジミンの副作用としては、色素沈着、皮膚乾燥、魚鱗癬、皮膚掻痒等が挙げられている(甲B2、B12、B13、乙B1、B10、B13、B15、B46)。

(ウ)リファンピシン

リファンピシンは、らい菌のRNA合成を阻害する薬理作用を有しており、らい菌に対して強い殺菌作用を示すとされている(甲B2、B4、乙B1、B13)。

リファンピシンの副作用としては、肝障害、腎不全、貧血、ショック様症状等が挙げられている(甲B12、乙B1、B13)。

(エ)オフロキサシン

オフロキサシンは、らい菌のDNA複製を阻害する薬理作用を有しており、らい菌に対して殺菌作用を示すとされている(乙B1、B13)。

オフロキサシンの副作用としては、非ステロイド消炎剤との併用による痙攣誘発等が挙げられている(乙B1、B13)。

(オ)MDT(多剤併用療法)

昭和30年代後半から、DDSやリファンピシンに対する耐性菌が発現し、それが世界各地に広がったことを受けて、WHOでは耐性菌の発生を防ぐための研究及び討論が不断に続けられていたが、昭和56年10月、WHOの化学療法研究会によって複数の抗ハンセン病剤(DDS、クロファジミン及びリファンピシン)を併用するMDTが勧告され(複数の抗ハンセン病剤を併用する事により、特定の抗ハンセン病剤に耐性を持つ菌があっても他の抗ハンセン病剤で対応することができる。)以後、治療内容等の改正を経ながら、世界各地においてこれが実施されるようになり、ハンセン病患者の減少に寄与してきた(甲B2からB4まで、B12からB14まで、B17、乙B8からB10まで、B13、B19からB21まで、B23、B24、B29、B30)。

エ ハンセン病患者数

日本におけるハンセン病の新患者発生数は減少の一途をたどり、昭和56年には47人であったものがさらに減少し、平成4年にはわずか9人となっているが、患者総数は、昭和44年には1万3000人と推定され、そのうち、未発見の潜在患者を除くと、約9割の8929人が国立療養所におり、平成8年でも約5400人がいる(乙B1、B2)。

これに対し、平成8年における全世界のハンセン病患者は、WHOによれば、ハンセン病撲滅のための努力にもかかわらず、なお126万人いるものと推計されている(乙B1、B20)。

(4)原告の診療経過等について

ア 被告診療所診察以前について

(ア)原告は、昭和28年8月にハンセン病と診断されて、鹿児島県鹿屋し所在の国立療養所星塚敬愛園(以下「星塚敬愛園」という。)に収容され、以後、プロミン、DDS等の投与を中心とする治療を受けていた(乙A2・15頁から44頁)。

(イ)その後、原告は、昭和38年10月に静岡県御殿場市所在の私立療養所である財団法人神山復生病院(以下「神山復生病院」という。)に転院し、昭和45年3月に同病院を退院するまで、DDSの投与を中心とする治療を受けていた(甲A1、乙A2・45頁から50頁まで)。

イ 被告診療所における治療経過

(ア)原告は、神山復生病院を退院した後、昭和45年5月から断続的に東京都東村山市所在の被告療養所の外来診療を受診して、定期検査やDDSの処方を受けるようになった(このころ、原告と被告との間で、原告のハンセン病の治療に関する診療契約が締結された)。

なお、原告のハンセン病については、神山復生病院を退院して以降、菌指数が陰性の状態が続いていた(乙A1・2頁から4頁まで)。

(イ)a本件において、原告は、昭和56年ころから平成4年ころまでの間の被告診療所の担当医師らの診療に過誤があったと主張するものであるが、この期間を含む昭和55年4月24日から平成4年10月27日までの間の被告療養所における原告の診療経過は、別紙「診療経過一覧表」記載のとおりである(当事者の主張の相違する部分を除き、争いがない。なお、後気2(1)(原告の主張)記載のとおり、原告は、昭和55年4月24日から昭和60年10月25日までを「第1期」、昭和60年10月26日から平成2年4月24日までを「第2期」、平成2年4月25日から平成4年10月27日までを「第3期」とした上で、各期ごとに被告療養所の担当医師らの診療上の過失を主張するので、以下、この時期区分を用いることとする。)。

b 第1期から第3期までの間、被告療養所において原告の診療を担当していたのは、左奈田精孝医師(以下「左奈田医師」という。)、小沢利治医師(以下「小沢医師」という。)、岩田誠医師(以下「岩田医師」という。)、小関正倫医師(以下「小関医師」という。)らであり(以下、「被告療養所の担当医師ら」というときには、これらの医師及び第1期から第3期までの間に原告の診療に加わった被告療養所の他の医師も含む。)、昭和57年7月30日以降は、主として小関医師が原告の診療を担当していた(乙B43、証人小関、弁論の全趣旨)。

(ウ)平成4年10月27日、原告が被告療養所の村山國男副園長(以下「村山医師」という。)に対して担当医の交代を願い出たことが契機となって、原告の担当医が小関医師から並里まさ子医師(以下「並里医師」という。)に変更された。

以後、原告は並里医師による診療を受け、平成5年には、被告療養所を退室し、園内の舎から被告療養所の外来診療に通って治療を受けるようになった(甲A1、B1、B18、乙A1・49頁、53頁、A2、548頁、B37、証人並里)。

2 争点

(1) 被告療養所の担当医師らの原告に対するハンセン病の診療に過誤があったことによる債務負履行又は不法行為の成否

(原告の主張)

原告は、第1期から第3期までの間に被告療養所の担当医師から受けたハンセン病の一連の診療に過誤があったため、四肢を始めとする全身の運動機能障害や顔面醜状といった後遺障害を負ったものである。

ア 第1期の診療について

(ア) 原告には、昭和56年ころから末梢神経症状が現れているが、この症状は、後に原告の塗抹菌検査の結果が陽性になったこと等の臨床経過に照らすと、明らかにハンセン病(LL型)の再発によるものであった。

(イ) ハンセン病の治療を終えて一定期間を経過した後に現れる末梢神経病状については、再発のほかに、境界反応を原因とする場合もあるところ、境界反応に対しては、それとは逆に、らい菌を抑える治療が必要とされているから、ハンセン病の治療を終えて一定期間を経過した後に末梢神経病状を呈した患者に対しては、その病状の原因が再発と境界反応のいずれにあるのかを識別しない限り、正しい治療を行うことはできない。

そして、末梢神経病状の原因が再発と境界反応のいずれにあるのかを鑑別するには、皮疹や知覚脱出部の皮膚面から組織汁を採取してと塗抹菌検査を実施したり、境界反応に対して適応があるプレドニンを十分に投与してその効果を確認したりするなどといった方法がある。

(ウ) ところが、被告療養所の担当医らは、原告が再三にわたって顔面の末梢神経病状を訴えていたにもかかわらず、顔面から組織汁を採取することなく塗抹菌検査を続け、また、プレドニンの投与も中途半端なものに終始したため、原告にハンセン病が再発していることを診断できなかった。

(エ)第1期においては既にDDS耐性菌の出現が国際的に認識されていたところ、仮に、被告療養所の担当医師らが、原告にハンセン病が再発していることを適切に鑑別していたならば、DDS耐性菌の出現を念頭に置きつつ、クロファジミンやリファンピシンを併用投与したり、DDSを増量投与したりすることによって、原告のハンセン病は程なく治療し、後遺障害も生じなかったはずである。

イ 第2期の診療について

(ア) 原告には、昭和60年に皮疹が出現し、昭和61年には塗抹菌検査の結果が陰性となるなどの症状が見られたが、被告療養所の担当医師らも、第2期において、原告にハンセン病が再発しているとの診断を下すに至った。

(イ) 第2期においては、MDTが国際的に推奨され、日本においても広く知られるようになっていたのであるから、被告療養所の担当医師らとしては、ハンセン病が再発した原告に対して、DDS耐性菌が出現している可能性を十分に考慮しながら、MDTを採取するか、あるいはMDTの理念を踏まえて複数の抗ハンセン病剤を併用投与するなどの治療を実施すべきであった。

(ウ) ところが、被告療養所の担当医師らは、原告に対してNDTやMDTの理念を踏まえた複数の薬剤の併用を実施するどころか、昭和61年10月にDDSの投与を中止したまま抗ハンセン病剤を投与することはなく、その一方で、免疫を抑制してらい菌の増殖を促すプレドニンの投与を継続するという、およそ治療とはいえない行為に終始するのみであり、原告のハンセン病をENLが多発するような状態にまで悪化させてしまった。

(エ) 仮に、第2期の診療において、原告に対してMDTやMDTの理念を踏まえた複数の薬剤の併用が実施されていたならば、原告のハンセン病はより早期に治療し、後遺障害の程度も軽度のものにとどまっていたはずである。

(オ)なお、被告は、境界反応が認められた場合には、抗ハンセン病剤の投与を中止し、プレドニンを投与する事によって境界反応の鎮静化を図り、境界反応が鎮静したならば、速やかにプレドニンの離脱と抗ハンセン病剤の投与再開を行うべきであったところ、原告が外泊を繰り返したために、その実現が不可能になったと主張する。

しかし、そもそも原告にはハンセン病が再発していたのであって、境界反応が生じていたわけではないから、何よりもまず菌の増殖の阻止を優先すべきであったし、仮に原告に境界反応が生じていたのだとしても、境界反応時にも抗ハンセン病剤の投与は中止しないというのが当時の世界標準の治療方法であったのであるから、被告療養所の担当医師らの採った治療方法は誤りであったといわざるを得ない。

また、抗ハンセン病剤の投与は、通院治療においても十分に可能であるから、原告の外泊が多かったことを理由に抗ハンセン病剤の投与ができなかったなどという主張は失当である。ちなみに、原告が外泊をしたのは、医師らによるセクシュアル・ハラスメントや酒気を帯びての診療等の被告療養所における異常な事態を目の当たりにしたためである。

ウ 第3期の診療について

(ア) 被告療養所の担当医師らは、原告に対し、らい菌に対する静菌作用や殺菌作用が弱いため、単剤での投与は治療の遅延を招くとされているクロファジミンを、平成2年8月から平成4年10月までという長期にわたって単剤で投与し続けたが、これにより、原告のハンセン病の治療は停滞し、重篤な後遺障害が引き起こされることになった。

(イ) 第3期においては、既にMDTが定着していたのであるから、被告療養所の担当医師らとしては、クロファジミンに加えてリファンピシンをも併用する治療を実施すべきであり、そうしていたならば、原告のハンセン病の治療期間はより短くなり、後遺障害の程度も軽度のものにとどまっていたはずである。

(被告の主張)

原告の主張は争う

ア 第1期の診療について

(ア) a 原告は、第1期においてハンセン病が再発していたことを前提として、被告療養所の担当医師らに診療上の過失があったと主張するが、昭和57年当時は、再発の概念や診療基準をどのように画するかはいまだ流動的であったことに照らすと、原告に対する治療内容の当否は、原告の具体的な病状に応じた適切な治療がされていたか否かをいう観点から判断されるべきであり、原告がハンセン病を再発していたか否かによって左右されるべきではない。

b なお、原告がハンセン病を再発していたか否かという点に関しては、原告は、境界反応に対して適応があるプレドニンを十分に投与してその効果を確認する事によって再発であるのか境界反応であるのかを鑑別する方法があると主張するが、このような方法は、平成6年発行の『Leprosy』第2版(乙B40)には記載されているものの、昭和60年発行の第1版(乙B41)には記載されていないことからすると、第1期当時の医学水準の及ぶところではなかったというべきであって、当然にこの方法を採るべきであったとする原告の主張は失当である。

また、被告療養所の担当医師らが、原告の顔面の菌検査を行わなかったのは、顔面には皮疹がなかったからであり、特に顔面の皮膚生検は顔面に傷が残ることを考えて行わなかったものである。(イ)a 以上を前提に第1期における原告に対する治療内容をみると、被告療養所では、原告の昭和57年当時の症状について神経内科医である岩田医師が境界反応と判断したことを受けて、末梢神経病状の治療のためにプレドニンを投与するとともに、さらに、再発の可能性をも考慮してDDSの平行投与も実施しており、原告の病状に対応した適切な治療が行われていたことは明らかである。

原告には、当時、菌指数陰性となるなどといったハンセン病の再発及びその増悪による病状は臨床上は認められていなかったため、被告療養所の担当医師らは、本格的なハンセン病治療を考えなければならない時期とは考えず、DDS投与のほかに、DDSと同様の静菌作用を有するクロファジミンや強い殺菌作用を有するリファンピシンを重ねて投与する必要を認めなかったのである。

b なお、再発の可能性をも考慮していながらプレドニンを投与したことについては、日本では、従来から、ハンセン病そのものの治療、すなわち、らい菌の消滅のさることながら、患者の社会復帰後の生活を考慮し、神経障害や視力障害を起こさせないことを重視して、末梢神経症状に対してはプレドニンの投与を行ってきたものであって、その治療法が適切ではなかったとはいえない。

c ところで、被告療養所の担当医師らは、原告の病状の推移を見ながらDDSやプレドニンを増量することを考えていたが、原告の受診態度が非常に不規則であったため、これを実施することができなかった。

すなわち、DDSの増量は余儀なくされるが、プレドニンの増量はプレドニン依存症等の副作用を生じさせ、さらに急速にプレドニン投与を中止することによるプレドニン離脱症状等が懸念されるため、これらの薬剤投与は、患者のらい反応の状態を観察しながら、その増量の要否及び程度を決していく必要があり、それには、定期的に患者の状態を観察することが不可欠であったのに、原告の診察態度が不規則であったため、このような薬剤の増量をすることができなかったのである。

イ 第2期の診療について

(ア) 第2期における原告に対する最も適切な治療方法は、その末梢神経症状に照らすと、視力や運動機能に障害をもたらす境界反応の鎮静を最優先にして、抗ハンセン病剤の投与を再開することであった。

(イ) ところが、実際には、原告が頻繁に外出したために、プレドニンを離脱させる計画は頓挫してしまい、それに伴って、抗ハンセン病剤の投与を再開する計画も頓挫してしまったのである。

(ウ) なお、原告は、第2期において、MDTやMDTの理念を踏まえた複数の薬剤の併用を実施すべきであったと主張するが、末梢神経病状がある場合にはDDSやリファンピシンの服用を中止すべきと考えられていたことから、被告療養所の担当医師らは、末梢神経病状が認められた原告に対して、昭和61年10月にDDSの投与を中止したほか、リファンピシン等の抗ハンセン病剤の投与も実施しなかったものである。

ウ 第3期の診療について

(ア) 平成3年発行の『今日の治療指針 1991年版』(乙B14)には、多菌型に対してはDDSにリファンピシン又はクロファジミンを併用して投与すべきであると示されているが、被告療養所の担当医師らも、この記載と同様の認識を有しており、クロファジミンの単剤投与は好ましくないと考えていた。

(イ) しかし、被告療養所の担当医師らは、DDSについては、すでに耐性菌が出現しているであろうし、リファンピシンについては、不規則に内服した場合には、ショック症状や失明といった重篤な副作用がある上に、急性腎不全の副作用の症状があり、また、らい菌に対する殺菌作用によってENLを引き起こし、かえって虹彩炎を悪化させる危険性すらあるために、外泊を繰り返し、不規則な内服歴を有する原告に投与することは適切ではないと判断し、いかに神経障害を少なくするか、いかに重篤な障害である視力障害、四肢の運動機能障害を軽減するかに重点を置き、よむなくクロファジミンの単剤投与を実施したのであって、医師の裁量を逸脱するような診療行為を行ったわけではない。

(ウ)なお、被告療養所の担当医師らによるクロファジミンの単剤投与によっても、菌形態指数が改善されるなどの、抗ハンセン病効果は現れていた。

(2)損害

(原告の主張)

ア 休業損害及び逸失利益

原告は、昭和62年5月11日に被告療養所に入室して以来、現在に至るまで、17年間にわたって就労できない状態が続いているが、賃金センサス昭和61年女子労働者の産業計企業規模計学歴計の平均収入は238万5000円とされているところ、その後の賃金上昇を考慮すれば、原告は、平均して毎年250万円以上の収入を喪失してきたものというべきであり、その総額は4000万円を超えている。

さらに、原告は、被告療養所の担当医師らの医療過誤によって、両手指の機能全廃、両下肢の著しい運動機能障害、両眼の瞼の著しい運動機能障害、顔面醜状等の後遺障害を負ったものであるが、その後遺障害等級は、併合1級(労働能力喪失率100パーセント)に相当するから、今後の一切の収入の道を絶たれたというべきであり、その逸失利益も無視することのできない額である。

イ 慰謝料

(ア)入通所慰謝料

原告は、第1期から第3期までの長期間にわたって、小関医師を始めとする被告療養所の担当医師らによるおよそ治療とはかけ離れた行為等に耐え続けながら被告療養所に入通所してきたものであるが、これによる精神的苦痛を慰謝するに足りる金額は、500万円を下ることはない。

(イ)後遺障害慰謝料

また、原告は、被告療養所の担当医師らによる医療過誤によって、前記のとおり重篤な後遺障害を負ったものであるが、これによる精神的苦痛を慰謝するに足りる金額は、2500万円を下ることはない

ウ まとめ

上記ア、イのほか、弁護士費用等の損害も発生していることを考慮すれば、原告が被告に対して5000万円を超える損害賠償請求権を有していることは明らかである。

よって、原告は、被告に対し、診療契約の債務不履行、不法行為(使用者責任)又は国家賠償法1条1項に基づき、上記損害賠償請求権のうち5000万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成15年5月17日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める

(被告の主張)

原告の主張は争う。

(3)診療契約の債務不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効の成否

(被告の主張)

ア (ア)消滅時効は権利を行使することができるときから進行する(民法166条1項)ところ、権利を行使することができるとは、権利行使について法律上の障碍のない状態をいう。

(イ)債務不履行に基づく損害賠償請求権については、原則的には、本来の履行請求権と法的に同一性を有するから、その消滅時効は、本来の債務の履行を請求しえるときから進行を開始するというべきであるが、診療契約の債務不履行に基づく損害賠償請求権については、診療契約における注意義務違反により消極的に生じた損害についての賠償を求めるものである点で、本来の債務と法的な同一性を有するものと見ることはできないから、その消滅時効は、債務不履行及びそれと相当因果関係にある損害の発生があったときから進行を開始すると解するべきである。

イ 本件では、平成4年10月27日に原告の主治医が小関医師から並里医師に交替されているから、原被告間の診療契約の債務不履行に基づく損害賠償請求権の執行時効の起算点は同日であると解すべきである。

そうすると、平成14年10月27日の経過を持ってその時効期間は満了しているから、本件訴えが提起された平成15年4月23日の時点では、原被告間の診療契約の債務不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効は既に完成していたものといわざるを得ない。

ウ そこで、被告は、原告に対し、平成15年12月25日の本件口頭弁論期日において、上記消滅時効を援用するとの意思表示をした。

なお、原告が帰国療養所で治療を受けていたことは、損害賠償を請求するについては何ら妨げとなる事情とはいえないから、このことを理由に消滅時刻の援用が権利濫用、信義則違背となるものではない。

(原告の主張)

被告の主張は争う。

ア 債務不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効は、損害賠償請求権を行使できるときから進行する(民法166条1項)ところ、診療契約の債務不履行に基づく損害賠償請求権については、損害が確定されない限り、被害者はこれを行使できないから、進行性の疾患を適切な治療を行わないことにより増悪させたような場合には、その疾患の増悪の進行が治まり、病状が固定するまで消滅時効は進行しないものと解するべきである。

イ 本件では、平成4年10月27日の時短では、原告はなお被告療養所において治療を受けていて、損害を確定することは不可能であったから、原被告間の診療契約の債務不履行に基づく損害買収請求権を行使することはできなかったといわざるを得ない。

なお、原告の症状が固定したと考えられるのは、被告療養所を最後に退室した平成13年3月30日であるが、原告の症状が末梢神経麻痺に伴う二次的障害によって生涯を通じて悪化し続けるものであることを考えると、いまだに症状は固定していないといっても過言ではない。

ウ さらに、ハンセン病の治療は、原則として被告の設ける国立療養所でしか受けられないところ、被告療養所で診療を受けている原告には、被告を相手方をして損害賠償請求権をすることなどまったく期待できなかったというべきであるから、被告が原被告間の診療契約の債務不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効を援用することは、権利の濫用又は信義則違背であって許されない。

エ いずれにせよ、平成4年10月27日を起算日とする原被告間の診療契約の債務不履行に基づく損害賠償請求権の消滅時効の主張には理由がない。

(4)不法行為(使用者責任)又は国家賠償法に基づく損害賠償請求権の消滅時刻の成否

ア 不法行為又は国家賠償法に基づく損害賠償請求権の消滅時効は、被害者が損害及び加害者を知ったときから進行する(民法724条、国家賠償法4条)ところ、民法724条にいう損害を知るとは、現実に損害が発生したことを知ることで足り、その損害の程度を具体的に知ることまでは求められていないと解すべきである。

イ(ア)原告は、本件に先立つ証拠保全申立事件(東京地方裁判所八王子支部平成13年(モ)第3162号)において提出した陳述書(乙B36)に、「私が多摩全生園で小関医師から受けた治療の問題点を指摘されました。そこで、私は、このまま小関医師の治療を受けていては絶対治ることはないと確信し、当時の多摩全生園の副園長であった村上医師に申し入れて、担当医師を小関医師から並里医師に替えてもらったのです。」、「並里先生に診療してもらうようになってから、……小関医師らは、らい反応を恐れて、治らい剤での治療をやめてプレドニゾロンだけを投与したりその後も1種類の治らい剤しか投与しなかったりしたため、どんどん症状を悪化させ、このように取り返しの付かない後遺症を私の体に残してしまったということを知り、私は心の底から怒りと悲しみを覚えました。」と記載している。

このことからすると、原告は、平成4年10月27日には、被告療養所の担当医師らによるハンセン病の治療に過誤があり、それによって損害を受けたとの認識を有していたと認められるから、不法行為(使用者責任)又は国家賠償法に基づく損害賠償請求権の消滅時効の起算点は同日であると解すべきである。

(イ) また、原告は、本件訴状において、平成9年ころにおおむね症状が固定したと主張しているし、また、並里医師らによる原告の症状分析の論文が平成7年5月に日本皮膚学会誌に掲載されているから、不法行為(使用者責任))又は国家賠償法に基づく損害賠償請求権の消滅時効は、遅くとも原告の症状がおおむね固定した平成9年ころから進行するというべきであった。

(ウ) したがって、平成4年10月27日から、又は平成9年ころから、本件訴えが提起されるまでには、既に3年以上の期間が経過しているから、不法行為(使用者責任)及び国家賠償法に基づく損害賠償請求権は、時効により消滅しているといわざるを得ない。

ウ そこで、被告は、原告に対し、平成15年12月25日の本件口頭弁論期日において、上記消滅時効を援用するとの意思表示をした。

なお、原告が被告療養所で治療を受けていたことは、損害賠償を請求するについては何ら妨げとなる事実とはいえないから、このことを理由に消滅時効の援用が権利濫用、信義則違背となるものではない。

(原告の主張)

被告の主張は争う。

ア 不法行為又は国家賠償法に基づく損害賠償請求権の消滅時効は、損害及び加害者をしったときから進行する(民法724条、国家賠償法4条)が、ここでいう損害を知るとは、損害を被ったことを知るだけでは足りず、不法行為により損害が生じたこと、その損害の程度及び加害者の行為と損害との間に因果関係があることも知る必要がある。

イ 原告は、被告療養所に入所して以来、その症状が改善しないばかりか悪化する一方であることに対して、疑問を持っていたが、ハンセン病の治療内容はきわめて専門的なものであるため、平成4年10月27日又は平成9年ころの時点では、被告療養所の担当医師らの医療行為に過誤があったなどとは知り得る術もなかった。

なお、原告が、被告療養所の担当医師らの医療行為に過誤があり、自らの症状悪化がその医療行為に起因するものであることを認識したのは、平成13年5月に熊本地方裁判所においていわゆるハンセン病国家賠償訴訟の判決が下されたことを契機に原告代理人らに本件についての相談をし、証拠保全手続きを依頼することにした平成13年11月30日ころのことであった。

ウ さらに、ハンセン病の治療は、原則として被告の設ける国立療養所でしか受けられないところ、被告療養所で治療を受けている原告には、被告を相手側として損害賠償請求をすることなどまったく期待できなかったというべきであるから、被告が不法行為又は国家賠償法に基づく損害賠償請求権の消滅時効を援用することは、権利の濫用又は信義則違背であって許されない。

エ いずれにせよ、平成4年10月27日又は平成9年ころを起算日とする不法行為又は国家賠償法に基づく損害賠償請求権の消滅時効の主張には理由がない。

第3 判断

1 論点(1)(被告療養所の担当医師らの原告に対するハンセン病の診療に過誤があったことによる債務不履行又は不法行為の成否)について

原告は、第1期から第3期までの各期における被告療養所の担当医師らの診療に過誤があったため、両手両足を始めとする全身の運動機能障害や顔面醜状といった後遺障害を負ったと主張する。

(1)第1期の診療について

原告は、将は56年ころから原告に現れた症状はハンセン病(LL型)の再発によるものであったのであるから、被告療養所の担当医師らとしては、この鑑別診断をつけた上で、リファンピシンやクロファジミンの併用投与やDDSの増量投与等の際はつい対する治療を実施すべきであり、そうしていたならば、原告のハンセン病は程なく治療し、後遺障害が生じることもなかったと主張するので、これについて検討する。

ア 認定事実

前期前提事実、証拠(各認定事実の後に揚げる。)及び弁論の全趣旨によれば、第1期の診療に関して、以下の各事実が認められる。

(ア)第1期に至る経緯

a 原告には、昭和28年8月にハンセン病と診断され、鹿児島県鹿屋市所在の星塚敬愛園に収容された(前記前提事実、乙A2・15頁)。

このときの原告には、全身の浸潤性皮疹、四肢の主たる神経と両大耳介神経の肥厚、左母指球の萎縮、眉毛脱落傾向等の症状が認められており、原告のハンセン病の病型はL型と認定された(乙A2・15頁から21頁まで)。

原告は、星塚敬愛園入所中、プロミンやDDSの投与を中心とした治療を受けたが、その間、ENLの出現が認められた(前記前提事実、乙A2・22頁から44頁まで)。

b その後、原告は、社会復帰を希望するようになり、それに備えた治療を受けるため、昭和38年10月、静岡御殿場市所在の神山復生病院に転院した(前期前提事実、甲A1,乙B36)。

原告は、神山復生病院において、DDSの投与を中心とした治療を受け、昭和45年3月に同病院を退院するに至り、まもなく東京に就職先を得て、上京した(前期前提事実、甲A1,乙B36)。

c 上京後の原告は、昭和45年5月以降、断続的に東京都東村山市所在の被告療養所の外来診察を受診して、定期検査やDDSの処方を受けるようになった(前期前提事実、甲A1、乙B36)。

被告療養所においても、原告のハンセン病の病型はL型と認定されていたが、このころの原告については、神山復生病院入院中の昭和45年3月23日に実施された塗抹菌検査で2+(顔面)が認められたのを最後に菌指数陰性の状態が続いており、また、昭和47年ころ以降は、特定の異常所見も認められておらず、ハンセン病が沈静化した状態が保たれていた(前期前提事実、乙A1・1頁から4頁まで、A2・50頁)。

(イ)第1期の診療経過

第1期においても、原告は、引き続き、被告療養所の外来診療を受診していた(診療経過一覧表)。

a 原告は,昭和55年4月22日に佐奈田医師の診察を受けたが,昭和55年4月24日には,菌指数陰性が保たれていて,特段の異常所見もなく,また、昭和56年4月22日には,両手指屈曲と左前腕萎縮が認められたことのほかに異常所見がなかったことから,両口とも,1口当たり1錠(25ミリグラム)のDD3が処方されるのみであった(診療経過一覧表)。

b 昭和57年2月17日の佐奈田医師による診察の際,原告が,昭和56年の夏のころから主として鼻の周囲に突っ張る感じがあり,左手の動きもだんだん悪くなったと訴えたところ,佐奈田医師は,これらの訴えに対して正確な判断を下すには神経内科医の診察が必要と考え,原告に岩田医師の診察を受けさせることにした(診察経過一覧表,乙B11,B43,証人小関)。また,同日,原告は眼科の診察も受け,虹彩炎と診断された(診療経過一覧表)。

佐奈田医師は,原告のこれらの症状がハンセン病の再発によるものでる可能性も考慮して,同日以降,DDSの1日当たりの投与量を1錠(25ミリグラム)から2錠(50ミリグラム)へと増量した(診療経過一覧表,乙B43,証人小関)。

c 昭和57年2月20日の岩田医師の診察では,原告について,顔面筋及び左前腕屈筋群の筋力が低下してる一方,両大耳介神経は肥厚しているが圧痛は認められず,三叉神経にも圧痛が認められない等の診断が下された(診療経過一覧表)。

岩田医師は,これらの所見から,原告の筋力低下は境界反応によって末梢神経障害が再発したことに原因があると判断し,境界反応の抑制のため,原告に対してプレドニンを投与すべきであると提案した(乙B11,B12,B43,証人小関)。もっとも,原告の診療録には,「reactiveなものと考えられる」と記載されたのみで,境界反応(reversal reaction)を示す記載はされなかった(乙A1・12頁,13頁)。

佐奈田医師は,岩田医師のこの提案を受けて,原告に対して,従前からのDDSの投与に加えて,新たに1日当たり15ミリグラムのプレドニンの投与を開始することにした。(診療経過一覧表,乙B11,B12,B43,証人小関)。

d その後,原告は,昭和57年3月3日には佐奈田医師から,同月20日には岩田医師から,同年6月30日には佐奈田医師からそれぞれ診察を受けたが,その間,鼻の周囲の突っ張り,ムズムズ感に変化は見られず,ブレドニンの1日当たりの投与量が5ミリグラムに減量されるなどしたものの,DDSとブレドニンを服用する治療が継続された(診療経過一覧表)。

なお,同年6月30日の診察では,原告の末梢神経圧痛が全くないことが確認された(診療経過一覧表)。

e 昭和57年7月30日の小関医師の診察の際,原告について血液検査が実施され,CRP(C反応性蛋白)3+,IgM(免疫グロブリンMクラス)242等の結果が出たことから,小関医師は,原告にハンセン病の再発によってらい菌の増加が生じているのではないかとの疑いを抱いたが,直ちに多剤による治療が不可欠とまでは考えず,DDSとブレドニンによる治療を継続することにした(診療経過一覧表,乙B43,証人小関)。

f 昭和57年12月28日の小関医師の診察の際,原告の顔面には神経痛が認められた(診療経過一覧表)。

小関医師は,原告にハンセン病が再発してる可能性も考慮して,同日,原告に対する塗抹菌検査を実施したが,その結果は,菌指数陰性を示すものであった(診療経過一覧表,乙B43)。もっとも,この塗抹菌検査は,耳介と両上肢から採取された組織汁によるものであり,原告の顔面からの組織汁の採取は行われていなかった(乙A1・15頁,証人小関)。

なお,小関医師は,ブレドニンの副作用等を考慮して,同日以降の原告に対するブレドニンの投与を中止し,新たに末梢神経症状の治療薬としてメチコバール(ビタミンB12)の投与を開始することにした(診療経過一覧表,乙B43)。

g その後も,原告は,昭和58年から昭和59年にかけて,継続的に小関医師,小沢医師らによる診察を受け,DDS,メチコバール等の処方を受けたが,顔面神経痛の症状は治まらなかった(診療経過一覧表,乙B43)。

なお、昭和58年4月5日及び昭和59年5月8日の診察の際には,原告に対すると塗抹菌検査が実施され,いずれの検査においても菌指数陰性との結果が示されたが,これらの検査では,昭和57年12月28日に実施された塗抹菌検査と同様に,耳介と両上肢から採取された組織汁によるものであり,原告の顔面からの組織汁の採取は行われていなかった(乙A1・16頁,18頁,証人小関)

(ウ)第1期後(第2期)の経過

a 昭和60年10月26日の小関医師の診察の際,原告には,従前からの顔面神経痛に加えて,両頬部の掻痒を紅斑,背部の掻痒感が認められた(診療経過一覧表)。

b 昭和61年4月1日の小関医師の診察の際には,原告の背部に紅斑が出現しており,同部位から採取された組織汁による塗抹菌検査では菌指数2+との結果がでた(診療経過一覧表乙A1・22頁,B43)。

もっとも,小関医師は,同日の時点では,塗抹菌検査の結果が出ていなかったことから,従前どおり,原告の症状を境界反応によるものと判断していた(診療経過一覧表,乙B43,証人小関)。

c その後,昭和61年11月22日の岩田医師の診察の際には,原告の顔面には浮腫状の紅斑が認められた(診療経過一覧表)。

d 原告は,昭和62年5月11日に被告療養所に入室したが,その際に実施された塗抹菌検査では,顔面から採取された組織汁から菌指数2+(左腕のものからでは4+)との結果が出ており,そのころには,被告療養所の担当医師らは,原告の症状をハンセン病(L型)の再発によるものと判断していた(診療経過一覧表,乙A1・27頁,B43,証人小関)。

第1期における原告のハンセン病の再発の有無

原告は,第1期における顔面神経痛,顔面及び左腕の筋力低下等の症状は,ハンセン病(LL型)の再発によるものであったと主張する。

そこで,原告が第1期において既にハンセン病を再発していたといえるかどうかを検討する。

(ア) ハンセン病(LL型)の初期症状については,肉眼的に明瞭皮膚症状が現れないことが多い一方,末梢神経症状として,皮膚温度の高い部位を除いた全身の皮膚表面の知覚鈍麻や,顔面筋,小手筋,前脛骨筋等の麻痺が生じるとされている(前記前提事実)。

これを本件についてみると,昭和56年の夏ころ以降に原告に現れた症状は,主として,鼻周囲の突っ張り感,顔面神経痛,顔面及び左腕の筋力低下等であるから(前記ア),ハンセン病の初期症状に合致するということができる(甲B18,証人並里,同和泉)。

また,第2期には,顔面や背部に紅斑が出現し,菌指数が陽性となるなどした結果,原告にハンセン病(L型)が再発しているとの診断が下されたが,この経緯から遡って考えると,第1期において既に原告はハンセン病を再発していた可能性が高いと考えられる(甲B6,B18,証人和泉)。

(イ) これに対し,被告療養所の担当医師らは,第1期の原告の症状を境界反応によるものと診断していた(前記ア)。

  しかし,境界反応については,皮膚症状として,新しい皮疹の出現や,既存の皮疹の発赤増強,腫脹,隆起が生じ,末梢神経症状として,急激な末梢神経炎が引き起こされ,末梢神経の腫脹と圧痛,機能低下が生じるとされている(前記前提事実)ところ,原告には,末梢神経の機能低下を窺わせる症状は現れていたものの,数度にわたって末梢神経に圧痛がないことが確認されているのであって(前記ア),原告の症状は境界反応の症状とは必ずしも合致していない面がある(証人並里)。

また、仮に第1期において原告に境界反応が生じていた場合,それがLL型の方向に移行するダウングレーディング反応であったとしてないと,第2期において原告にハンセン病(L型)の再発が認められたことと整合しないが,証拠上,第1期において被告療養所の担当医師らが原告の症状をダウングレーディング反応であると疑った形跡は全く認められない(一般に,特に注記のない限り,境界反応はアップグレーディング反応と同義とされている(前記前提事実)。)。

したがって,第1期における原告の症状については,これを境界反応によるものであるとするには疑義が残るといわざるを得ない。

(ウ) そうすると、昭和56年の夏ころ以降に原告に現れた症状はハンセン病の再発によるものであったと認めるのが相当であり(甲B6,B18,証人並里,同和泉,同石井。なお,小関医師自身も第1期における原告の症状が実際にはハンセン病の再発によるものであった可能性を否定していない(証人小関)。),原告は第1期において既にハンセン病をは再発していたものというべきである。

ウ 被告療養所の担当医師らの診断上の過失の有無

 以上によれば,被告療養所の担当医師らは,原告にハンセン病が再発していたにもかかわらず,これを再発ではなく境界反応と診断していたことになるが,これについて,原告は,被告療養所の担当医師らには診断上の過失があったと主張する。

 そこで,被告療養所の担当医師らが原告の症状を再発ではなく境界反応によるものと診断したことに過失が認められるかどうかを検討する。

(ア) 鑑別診断の重要性

   ハンセン病(LL型)が再発した場合も,境界反応が生じた場合も,知覚麻痺や運動麻痺といった末梢神経を伴うという点では,その臨床症状は共通している(前記認定事実)。

しかし,再発の場合に見られる末梢神経症状は,細胞性免疫が機能せずにらい菌が増殖することに原因があるのに対し,境界反応(アップグレーディング反応)の場合に見られる末梢神経症状は,細胞性免疫が上昇して自己の末梢神経を破壊することに原因があるとされており,細胞性免疫の作用の観点からは,両者は正反対の機序に基づいているということができる(前記前提事実,甲B6,証人和泉)。

そして,このような機序の違いにより,再発に対しては,抗ハンセン病剤と投与によって増殖したらい菌を抑えることが原則とされる一方,境界反応に対しては,細胞性免疫の反応を抑えるために免疫抑制作用を持つブレドニンの投与が必要とされる場合もあるとされており,両者の治療には全く逆の考慮が要求されている(前記前提事実,甲B6,証人和泉)。

そうすると,知覚麻痺や運動麻痺といった末梢神経症状を呈した患者に対しては,その症状が再発と境界反応とのいずれによるものであるかを鑑別しない限り,正しい治療を行うことは不可能といわざるを得ない(証人並里,同和泉,同石井)。

(イ)鑑別診断のための検査方法

  もっとも,臨床的には,再発と境界反応との鑑別診断は困難である場合も多いとされており(甲B6,B15,乙B26,証人和泉), どのような検査に上れば再発と境界反応とを鑑別することができるかが問題となるが,ハンセン病(LL型)がらい菌の増殖をその病態としている(前記前提事実)一方,境界反応においてはらい菌の増殖がないとされている(甲B15)ことからすると,再発と境界反応との鑑別は,らい菌の検出の有無によるのが相当と考えられる(甲B15,証人並里,同和泉,同石井)。

そして,一般に,らい菌の検出のためには,皮疹部位あるいは定位置として耳介,前額,顎,前腕伸側,背,臀部,指背などの皮膚面をメスで切開(深さ3ミリメートル,幅3ないし5ミリメートル程度)し,メス刃面で皮膚割面を擦過して組織汁を組織汁を採り,塗抹菌検査を行うなどの手段を尽くすべきとされている(乙B1,B2)ところ,とりわけハンセン病(LL病)については,初期には肉眼的に明瞭な皮膚症状が現れないことが多く(前記前提事実),正常に見える皮膚からも菌が検出されることがある(証人和泉)のであるから,再発が疑われる患社2について再発と境界反応とを鑑別するためには,皮疹部はもとより,末梢神経症状が現れている部位から組織汁を採取して塗抹菌検査を実施する必要があるというべきである(甲B6,証人並里,同和泉,同石井)。

(ウ) 被告療養所の担当医師らの診断

   以上を前提に,被告療養所の担当医師らが原告に対して行った診断について検討する。

a まず、佐奈田医師は,昭和57年2月17日の診察の際に,原告にハンセン病が再発可能性を疑ったものの,その診断は神経内科医である岩田医師に委ねており、岩田医師は、同月20日の診察において、末梢神経症状等の所見から、原告に境界反応が生じているとの診断を下している。

しかし、前記のとおり、再発と境界反応との鑑別所診断は臨床的に困難である場合も多いとされているのであるから、左奈田医師としては、ハンセン病の治療を専門的に担当している医師として、原告にハンセン病が再発した可能性を疑った以上は、神経内科医に判断を仰いでその意見を参考とすべきであるとはいっても、その意見に盲従するのではなく、これを踏まえて、より客観的で確実な判断を下すべく、原告に対して塗抹菌検査を実施すべきであったというべきである(証人和泉)。

b また、同年12月28日には、原告にハンセン病が再発していることを疑った小関医師によって、第1期において初めて塗抹菌検査が実施されているが、原告の顔面からは組織汁が採取されておらず、その後、昭和58年4月5日及び昭和59年5月8日に実施されていない(前期ア)。

しかし、前期のとおり、再発と境界反応とを鑑別するためには、皮疹部はもとより、末梢神経はもとより、末梢神経症状が現れている部位から組織汁を採取して塗抹菌検査を実施する必要があるところ、原告には、当時既に鼻の周囲の突っ張り感や顔面神経痛といった症状が認められていたのであるから、小関医師としては、原告に対して塗抹菌検査を実施する以上は、顔面からも組織汁を採取する必要があったというべきである(甲B6、証人並里、同和泉)。

これについて、小関医師は、顔面には皮疹が現れていなかったし、顔面の皮膚生検は顔面に傷が残るので組織汁の採取は行わなかったと証言するが、前記のとおり、ハンセン病(LL型)の初期には肉眼的に明瞭な皮膚症状が現れないことが多く、正常に見える皮膚からも菌が検出されることがあり、早期にハンセン病の再発の有無を診断して治療を開始すれば、兎眼や顔面神経麻痺等の顔面の症状を始めとする全身の重篤な症状の発生を回避することができるのに対して、顔面切開の程度は上記のとおり軽微なものであることからすれば、小関医師が原告の顔面から組織汁を採取しなかったことは、検査の方法として不十分であったといわざるを得ない。

c ところで、さきに認定したとおり、昭和56年の夏ころ以降には既に原告はハンセン病を再発していたものであるが、その末梢神経症状が主として顔面に現れていたことからすると、仮に左奈田医師や小関医師が原告の顔面から組織汁を採取して塗抹菌検査を実施していたならば、その結果が菌指数陽性を示すものであった可能性は極めて高く(証人和泉、同石井)、その時点で、原告にハンセン病が再発していることを正しく診断できたものと考えられる(なお、小関医師は、当時の被告療養所では、菌指数陽性に加えて皮疹が認められる場合に再発と診断するとの見解が採られていたと証言するが、その一方で、小関医師は、皮疹の認められていなかった原告に対してもハンセン病が再発している可能性を考慮して塗抹菌検査を実施していた(前記ア)のであって、実際には、被告療養所においても、菌指数が要請であるか否かをハンセン病の再発の診断のための決定的な要素としていたものと認められる。)。

d したがって、被告療養所の担当医師ら(とりわけ左奈田医師と小関医師)には、遅くとも昭和59年5月8日ころまでには、原告に対して塗抹菌検査を十分に行うべきであったのに、これを怠り、不十分な検査方法による結果を前提に、原告の症状を再発ではなく境界反応によるものと診断した過失があるといわざるを得ない。

エ ハンセン病の再発の診断がされていた場合の治療内容

以上によれば、被告療養所の担当医師らに診断上の過失があったことは明らかであるが、原告は、仮に被告療養所の担当医師らが原告のハンセン病の再発を適切に診断していたならば、DDS耐性菌の出現を念頭に置きつつ、クロファジミン、リファンピシンの投与や、DDSの増量投与等の治療方法が採られるべきであったと主張するので、これについて検討する。

(ア) 第1期当時のハンセン病治療に関する知見

ハンセン病に対する治療に関しては、昭和30年代後半以降、世界各地においてDDS耐性菌の出現が見られるようになり、WHOでは耐性菌の発生を防ぐための検討が続けられていたところ、昭和51年には、ハンセン病専門委員会によって、定期的にDDS治療を受けているLL型の患者が臨床的に再発した場合にはDDS耐性菌の存在を疑うべきであり、DDS耐性菌に対しては、DDSの1日当たりの投与量は100ミリグラムとし、これとクロファジミン、リファンピシンのうち少なくとも2種類の併用投与を行うことが推奨される旨の報告がされ、昭和56年にはWHOの科学両方研究会によって、軽度のDDS耐性菌に対して1日当たり100ミリグラムのDDSの投与が有効であるが、DDS耐性菌の蔓延を防止するには複数の抗ハンセン病剤(DDS、クロファジミン及びリファンピシン)を併用するMDTが推奨される旨の勧告がされていた(前記前提事実、甲B2、B3)。

日本国内においても、昭和50年代初めには既に、DDSを長期間にわたって単剤で投与するとDDS耐性菌が出現することが指摘されており、DDS耐性菌に対するクロファジミン、リファンピシンの投与も行われていた(甲B6、B12、B13、乙B10、B42、証人並里、同和泉、同石井)。また、リファンピシンに優れた治療効果があることや、WHOがDDS耐性菌の出現に対してクロファジミン、リファンピシン等の併用を推奨していることについての報告もされていた(甲B11、B12、乙B28)。

(イ) 原告に実施すべき治療内容

以上を前提に、第1期において原告のハンセン病の再発が診断された場合、どのような治療方法がとられるべきであったのかを検討すると、原告は、星塚敬愛園入所中から長期間にわたってDDSの単剤投与を受けており、その上でハンセン病を再発したものである(前記ア)ところ、DDSを長期間にわたって単剤で投与するとDDS耐性菌が出現することは既に指摘されていたのであるから、被告療養所の担当医師らとしては、原告にDDS耐性菌が出現していることを念頭に置いた治療を行う必要があったといえる(甲B18、証人並里、同和泉)。

そして、当時は既に、日本国内においても、DDS耐性菌に対してクロファジミンやリファンピシンの投与が行われており、とりわけリファンピシンについてはその優れた治療効果が報告されていたのであるから、原告に対しては、少なくともリファンピシンを投与する治療が行われるべきであった(リファンピシン耐性菌の出現を予防する観点からは、リファンピシンと他の抗ハンセン病剤を併用投与することが望ましいとも思われるが、いずれにせよ、リファンピシンの投与は不可欠であった)というべきである(甲B6、B18、証人並里、同和泉)。

これに対し、被告は、日本においては、再発の診断がされた患者に対しても、患者の社会復帰後の生活を考慮して、神経障害や視力障害を起こさせないことを重視して、プレドニンの投与を行ってきたものであると主張し、小関証人及び石井証人もこれにそう証言をするが、当時原告に現れた症状自体は重篤なものではなかったから、末梢神経症状を軽快させる治療を優先すべきであったとはいい難く、いかにプレドニン投与によって境界反応を抑制しても、ハンセン病の再発に対しての治療を行わない限り、その進行を止めることができないのであるから、再発の診断がされた以上は、適切な量の抗ハンセン病剤を投与すべきことは明らかであった、被告の上記主張及びこれに沿う各証言は採用することができない。

(ウ)被告療養所における実際の治療内容

ところで、被告は、被告療養所の担当医師らの原告に対する治療内容の当否については原告の具体的な症状に応じた適切が治療がされたか否かという観点から判断すべきであるとした上で、被告療養所の担当医師らは、原告に対して、この末梢神経症状を境界反応によるものと診断してプレドニンを投与するとともに、再発の可能性をも考慮してDDSの併用投与も実施しており、症状に対応した適切な治療を行っていたと主張するので、第1期における被告療養所の担当医師らが実際に行った治療内容についても検討しておくこととする。

a プレドニンの投与

まず、被告療養所の担当医師らが、原告に対して、その抹消神経症状を境界反応によるものと診断してプレドニンを投与した点について検討する。

前記のとおり、抹消神経症状を呈した患者に対しては、その症状が再発と境界反応とのいずれによるものであるかを鑑別しない限り、正しい治療を行うことは不可能というべきであるが、仮にその鑑別を誤ったとしても、誤った診断に基づく治療を正しく実施すれば、その効果が得られないことによって診断の誤りが明らかとなり、その時点で改めて正しい診断を下すことも可能となるから(甲B6、証人和泉)、被告療養所の担当医師らが原告に対して行ったプレドニンの投与が、境界反応に対する治療として正しいものであったか否かが問題となる。

この点、被告療養所の担当医師らの原告に対するプレドニンの投与量は、1日当たり15ミリグラムから始まり、その5ミリグラムに減量されたものである(前記ア)が、一般に、境界反応の治療には、40ミリグラム以上のプレドニンを投与すべきとされている(乙B13、B26、B40.第1期以前に発行された「ハンセン病の反応状態とその治療」(甲B16)においても、20ミリグラムから30ミリグラムのプレドニンを投与すべきとされている。)ことからすると、原告に対して投与されたプレドニンの量は、境界反応に対する治療としては明らかに不足していたものといわざるを得ない(甲B6、証人和泉)。

なお、岩田医師は、原告には、発熱のような全身症状がなく、神経幹の圧痛も見られなかったので、プレドニンの投与量を1日当たり15ミリグラムに減じたと述べる(乙B12)が、上記証拠に照らすと、その投与量が適切であったと認めることはできない。

仮に、被告療養所の担当医師らが、境界反応に対する治療として十分な量のプレドニンを投与していたならば、ハンセン病(LL型)が再発していた原告にはその効果が現れず、それによって境界反応との診断が誤っていたことが明らかとなった可能性もあった(甲B6、証人並里、同和泉)というべきである。

b DDSの投与

次に、被告療養所の担当医師らが、原告に対してハンセン病の再発の可能性をも考慮してDDSの投与を行った点について検討すると、前記のとおり、境界反応とハンセン病の再発とは、細胞性免疫の作用の観点からは、両者は正反対の機序に基づいているのであるから、そもそもその双方を念頭に置いた治療を実施すること自体、不合理なもの(一方に対する治療が他方に対する治療の効果を打ち消すものとなる。)といわざるを得ない(証人和泉)。

また、被告療養所の担当医師らの原告に対するDDSの投与量は、昭和57年2月17貝以降、1目当たり50ミリグラムであったが、前記のとおり、原告のハンセン病の再発に対しては、DDS耐性菌を念頭に置いた治療をする必要があり、仮にDDSの単剤投与をするとしても(本来であればリファンピシン等の投与が必要であることは前記のとおりである。)、その投与量は1日当たり100ミリグラムとすべきである(なお、小関医師自身も、ハンセン病の再発であるとすれば75ミリグラム又は100ミリグラムの投与量が望ましいと考えられると証言している(証人小関)。)から、被告療養所の担当医師らの原告に対するDDSの投与量は、原告のハンセン病の再発を考慮したものとしては、明らかに不足していたといわざるを得ない(甲B6、証人並里、同和泉)。

これに対して、小関医師は、再発と診断したわけではなく、再発のおそれがあるに過ぎなかったから、DDSの投与量を1日当たり50ミリグラムにとどめたと弁明する(証人小関)が、再発を恐れていながら、再発には対応できない投薬をすることはおよそ合理的とはいえず、小関医師の弁明は採用することができない。

また、被告は、原告の受診態度が不規則であったため、DDSの増量を控えたと主張するが、小関医師がそのような事情を考慮してDDSの投与量を調整していたことを窺わせるような診療録上の記載や原告に対する説明は認められないし、仮に小関医師がそうした考慮をしたのであれば、むしろ医学的知識の乏しい原告にそのような事情を説明し、適切な治療を受けるように指導を尽くして治療を行うべきであった。

したがって、原告の受診態度が不観則であったという事情は、何ら小関医師の薬剤投与が不十分であったことについての責任を免れさせるものではない。

c 小括

以上によれば、第1期において、被告療養所の担当医師らが原告の症状に対応した適切な治療を行っていたとは到底いえないことは明らかであり、被告の主張は失当といわざるを得ない。

オ 適切な診療がされた場合の予後

最後に、原告は、仮に、第1期において原告に対して適切な診療がされていれば、原告のハンセン病は程なく治癒し、後遺障害も生じなかったはずであると主張するので、第1期において原告に対してリファンピシシを用いた治療が実施された場合の予後について検討する。

この点、第1期における原告のハンセン病の症状は、皮膚症状は肉眼的には確認されず、末梢神経症状も顔面神経痛、顔面及び左腕の筋カ低下等にとどまっており、ENLは生じていなかった(前記ア)のであって、かなり初期のものであったものと認められる(証人和泉)。

そして、リファンピシンについては、投与後5、6週間で菌形態指数が0パーセントになったとか、投与後2,3年で菌指数陰性になったなどといった報告がされるなど、ハンセン病に対して優れた治療効果を上げるとされでおり、MDTにおいてもリファンピシンは不可欠とされている(甲B4、B11、B12、乙B28)のであって、このようなリファンピシンのらい菌に対する有効性からすると、第1期の時点で原告に対してリファンピシンの投与がされていたならば、原告のハンセン病はその病勢を進行させることなく、治癒に至ったものと認めるのが相当である。

なお、ハンセン病については、適切な化学療法によって感染症としてのハンセン病を治癒することに成功したとしても、らい反応による後遺障害がもたらされる場合もあるとされている(乙B26)が、第1期においては、原告のハンセン病は、耳介と両上肢からの組織汁による塗抹菌検査では陰性であり、またENLを生じるほどには進行していなかったことからすると、早期かつ適切な化学療法による治療の結果、治癒したにもかかわらずなお後遺障害が残るというような事態には至らなかったものと推認するのが相当である(30年以上にわたってハンセン病一筋に臨床、研究及び調査に携わってきた和泉証人は、当法廷において、昭和56年当時のハンセン病医学の水準でも、原告のようなかなり初期のL型の再発患者であれば、後遺障害を全く生じさせずに治癒させることができたと断言する。)。

カ 小括

以上によれば、被告療養所の担当医師らには、遅くとも昭和59年5月8目ころまでには、原告にハンセン病が再発していることを適切に艦別した上で、その治療のために、少なくともリファンピシンの投与を実施すべき義務があったところ、原告の症状が再発と境界反応のいずれによるものであるのかの鑑別診断を尽くさず、原告に対してリファンピシンの投与を実施しなかったのであるから、診療上の過失があったといわざるを得ず、これによって原告に生じた損害について、被告は不法行為(使用者責任)に基づく損害賠償責任を負うものというべきである。

(2)第2期、第3期の診療について

ア 第2期の診療における被告療養所の担当医師らの過失の有無

(ア)認定事実

前記前提事実、証拠(各認定事実の後に掲げる。)及び弁論の全趣旨によれば、第2期の診療に関して、以下の各事実が認められる。

a外来診療期間の診療経過

(a)昭和60年10月26日の小関医師の診察の際、原告には、第1期以来の顔面神経痛に加えて、両頼部の掻痒感を伴う紅斑、背部の掻痒感が認められたが、小関医師は、背部の掻痒感は老人性皮膚掻痒症であると診断し、痒み止めの薬剤であるアタラックスを処方するなどしたほか、従前どおり1日当たり2錠(50ミリグラム)のDDSの投与による治療を継続した(診療経過一覧表、乙B43、証人小関)。

また、同日、原告に対する塗抹菌検査が実施されたところ、菌指数陰性を示す結果か出た(診療経過一覧表)。もっとも、この菌検査は、第1期における塗抹菌検査と同様に、耳介と両上肢から採取された組織汁によるものであり、原告の顔面からの組織汁の採取は行われていなかった(乙A1・21頁、証人小関)。

(b) 昭和61年4月1日の小関医師の診察の際には、原告の背部に紅斑が出現しており、同部位から採取された組織汁による塗抹菌検査では、菌指数2+との結果が出た(診療経過一覧表、乙A1・22頁、B43)。

もっとも、小関医師は、同日の時点では、塗抹菌検査の結果が出ていなかったことから、原告の症状を境界反応によるものと判断し、DDSに加えて、1日当たり5ミリグラムのプレドニンの投与を再開することとした(診療経過一覧表、乙A1・21頁、B43、証人小関)。

(c) 昭和61年5月12目の小関医師の診察では、原告の症状に改善が認められなかったことから、小関医師は、原告に対するDDSの投与を中止することも検討したが、再発の可能性も考慮した結果、1日当たりの投与量を2錠(50ミリグラム)から1錠(25ミリグラム)に減量することとした(診療経過一覧表、乙B43、証人小関)。

(d) 昭和61年10月6目の左奈田医師の診察では、顔面神経痛等の症状が重くなっていたことから、原告に対するプレドニンの1日当たりの投与量が20ミリグラムに増量された(診療経過一覧表、乙B11、B43)。

(e) 昭和61年10月17目の左奈田医師の診察の際には、原告の左下腿にも紅斑が現れていることが認められ、塗抹菌検査によって菌指数3+との結果が出た(診療経過一覧表)。

同日、左奈田医師は、原告の境界反応による末梢神経症状がさらに悪化したものと判断し、DDSの投与によって境界反応がより悪化することを懸念して、原告に対するDDSの投与を中止することとした(診療経過一覧表、乙B11、B43、証人小関)。

(f) その後、原告は、昭和61年10月25日、同年11月22日、同年12月20日に岩田医師の診察を受けたが、顔面の神経痛、筋障害、紅斑などの症状は続いており、プレドニンの1日当たりの投与量を15ミリグラムに減量するなどの処置が採られるのみであった(診療経過一覧表、乙B11、B12、B43)。

(g) 原告は、昭和62年4月28目に小関医師の診察を受けたが、その際、小関医師は、原告の末梢神経症状が悪化していたことから、原告の症状が境界反応によるものかどうかについて疑いを持つと同時に、ハンセン病(LL型)の再発による症状の悪化を考え、今後、プレドニンの投与によって境界反応の鎮静を図り、その後、プレドニンの離脱と抗ハンセン病剤の投与を速やかに行う必要があるが、それはもはや外来診療では対応できないと判断した(診療経過一覧表、乙B43、証人小関)。

b 被告療養所入室後の診療経過

(a) 原告は、昭和62年5月11目に被告療養所に入室した(診療経過一覧表)。

このときの原告の症状は、顔面全体に浮腫が見られ、皮疹部は紅潮してピリピリ感を伴い、両眼は充血して、眼痛、羞明感が認められ、四肢にも浮腫が見られるなどというものであった(診療経過一覧表)。同日に実施された塗抹菌検査では、顔面から採取された組織汁から菌指数2+、左腕から採取された組織汁から菌指数4+との結果が出た(診療経過一覧表、乙A1・27頁)。

小関医師は、プレドニンの投与によって末梢神経症状を鎮静化させ、その後、プレドニンの離脱と並行して抗ハンセン病剤を投与するとの治療方針を立てた(乙B43、証人小関)。

(b) そして、原告に対しては、昭和62年5月12目以降、1日当たり30ミリグラムのプレドニンの投与が開始された(診療経過一覧表)。

その後、浮腫や神経痛の軽減等に応じて、プレドニンの投与量は少しずつ減量され、同年11月20日には、1日当たりの投与量は5ミリグラムとなったが、その後は、第2期を通じて、原告に対する1日当たり5ミリグラムのプレドニンの処方が継続された(診療経過一覧表、乙B43)。

その間、原告には、継続的に口唇の痺れが見られるなどしたため、メチコバールの投与も行われたが、抗ハンセン病剤が投与されることはなかった(診療経過一覧表、乙B43)。

なお、同年6月12日の塗抹菌検査では菌指数4+、同年8月4日の塗抹菌検査では菌指数3+とのけっかが示され、また、同年10月14日の金医師の診察の際には、左肘頭部に結節様皮疹が続いていることが認められ、金医師は原告にENLが生じていることを疑った(診療経過一覧表、乙B43)。

(c) 原告は、昭和62年の夏ころ以降、数日間の外泊を繰り返すようになっていたが、昭和63年になると、外泊の頻度と期間が増すようになり、夏ころ以降は、月に1、2回程度の頻度で被告療養所の診察を受けるほかは外泊を継続するという生活を送るようになった(診療経過一覧表、甲A1、乙B43、証人小関、原告本人)。

同年における原告の症状は、顔面の浮腫、紅潮、上眼瞼の腫脹、口唇の痺れ等が続いていたほか、同年6月には左腕にENLが認められ、また、同年1月21日、同年9月7日、同年12月1日に実施された塗抹菌検査ではいずれも菌指数5+との結果が示され、同年4月20日に実施された知覚検査では全身に広範な知覚障害があるとの評価が下されるというものであつた(診療経過一覧表、乙A2・194頁)。

なお、小関医師は、同年1月21日の塗抹菌検査の結果を受けて、同月28目の診察の際に、原告に対して、いずれ1日当たり2分の1錠(12.5ミリグラム)のDDSの投与の開始を検討することとしていたが、第2期を通じてその実行に踏み切ることはなかった(診療経過一覧表、乙A1・36頁、B43、証人小関)。

(d) 平成元年以降も、原告の外泊は続いた(診療経過一覧表)。

原告には、顔面の浮腫、紅潮に加えて、同年6月以降は、両手指に薄い黒紫色の浮腫が現れたり、鼻周囲にENL様の発赤疹が生じたり、左腕にENLが認められたりするようになり、激しい脱毛も見られるようになった(診療経過一覧表)。

(e) また、同年8月7日の塗抹菌検査では菌指数3+、同年10月25日、同年12月6日の塗抹菌検査ではいずれも菌指数6+との結果が示された(診療経過一覧表)。

(イ)ハンセン病の再発に対する診療上の過失の有無

a 前記のとおり、原告は、第1期において既にハンセン病(LL型)を再発していたところ、被告療養所の担当医師らは、これを境界反応が生じたものと誤診したものであるが、その誤診は、第2期になってからも続き(もっとも、第2期になってからは、昭和61年4月1日には背部の紅斑部から菌が検出されるなどしていたのであり、それでもなお被告療養所の担当医師らが原告の症状を境界反応と診断したことは、重大な過誤というべきである。この点、小関医師は、原告の境界反応がダウングレーディング反応であったから菌が検出されても不思議ではない旨の証言をするが、当時の診療録上には、小関医師自身の手によって、アップグレーディング反応を示す「Reversal Reaction」との記載がされている(乙A1・21頁、26頁)のであって、小関医師の証言は信用できない。)、昭和62年5月11目に原告が被告療養所に入室したころになって、ようやく被告療養所の担当医師らによって,原告がハンセン病を再発しているとの診断が下された(前記(ア))。

その上で、被告療養所の担当医師らは、昭和61年10月17日にDDSの投与を中止したまま、第2期を通じて抗ハンセン病剤を投与することをせず、プレドニンの投与を継続したものである(前記(ア))。が、これについて、原告は、被告療養所の担当医師らは、原告にハンセン病が再発しているとの診断をしたのであるから、原告に対して、MDTを採用するか、あるいはMDTの理念を踏まえて複数の抗ハンセン病剤を併用投与するなどの治療を実施すべきであったにもかかわらず、抗ハンセン病剤を投与することなく、プレドニンの投与を継続したことは、およそ治療とはいえないと主張するので、これについて判断する。

b まず、ハンセン病の再発の場合に行うべき治療方法についてみると、さきに認定したとおり、昭和50年代には既に、WHOによってDDS耐性菌への対策としてMDTの採用が勧告されており、日本国内でも知られるようになっていたのであるから、第2期においては、ハンセン病の再発に対してMDTを実施するのが原則であったというべきである(もっとも、WHOも、MDTの構成薬剤を修正することを容

認しており(甲B4)、複数の抗ハンセン病剤を併用することにより、特定の抗ハンセン病剤に耐性を持つ菌があっても、他の抗ハンセン病剤で対応することができるというMDTの理念に反しない限り、必ずしもWHOの勧告どおりの薬剤構成を操る必要はなかったものと考えられる。)(証人並里、同石井)。

とりわけ、ハンセン病(LL型)は、らい菌に対する細胞性免疫が機能せずにらい菌が増殖した場合の病型であり、皮膚症状や末梢神経症状はらい菌の増殖に由来するものである(前記前提事実)から、抗ハンセン病剤の投与なしには、その症状の根本的な治療はできないというべきである(甲B18、証人並里、同和泉)。

なお、ハンセン病の専門医である石井証人、国立療養所大島青松園園長の長尾榮治医師及び国立療養所長島愛生園皮膚科医長の尾崎元昭医師はWHOのMDTが日本において標準的治療法として確立したのは昭和60年代以降であると指摘する(乙B19、B23、B42、証人石井)が、WHOの提唱する内容によるMDTはともかくとして、多剤併用というその理念自体が昭和50年代に既に確立した知見であったという前記認定を妨げるものではない。

c そうすると、被告療養所の担当医師らとしては、原告にハンセン病が再発していると診断した以上は、MDTやMDTの理念を踏まえた複数の薬剤の併用よる治療を行うべきであったといわざるを得ず、それにもかかわらず第2期を通じて抗ハンセン病剤を一切投与しなかったことは、らい菌が増殖しているにもかかわらず、それに対して何ら対応しなかったことを意味するのであって、ハンセン病の治療の放棄に等しいというべきである。

その一方で、被告療養所の担当医師らは、原告に対してプレドニンを継続的に投与しているが、プレドニンは免疫機能抑制作用を有している(前記前提事実)ところ、これをらい菌に対する細胞性免疫が機能せずにらい菌が増殖している状態にあった原告に継続的に投与することは、むしろハンセン病の進行を促進する行為といわざるを得ない(甲B6、証人和泉)。

d 以上によれば、第2期における原告のハンセン病の再発が診断された後の被告療養所の担当医師らの診療行為は、末梢神経症状への対症療法に終始し、原因疾患に対する一切の治療を怠った(さらに、対症療法自体が原因疾患を悪化させることになった。)ものであって、およそ合理性がなく、被告療養所の担当医師らに診療上の過失があったことは明らかというべきである。

(ウ) 被告療養所の担当医師ら(主として小関医師)の診療方針

a ところで、小関医師は、被告療養所入室後の抗ハンセン病剤が投与されていないままの原告に対して、プレドニンの投与によって末梢神経症状を鎮静化させ、その後、プレドニンの離脱と並行して抗ハンセン病剤を投与するとの治療方針を立てたものである(前記(ア))が、これについて、『今日の治療指針1987年版』(乙B22)が、抹消神経症状が現れた場合にはDDS、リファンピシンの投与を中止し、ステロイド剤を投与すべきとしているのに合致すると述べる(証人小関)。

また、左奈田医師も、その陳述書(乙B11)において、「プレドニンは、末梢神経がらい反応によって、障害されるのを予防するために投与されており,らい反応の危険がないという確証が得な'ければ投与を続けるべきであると考える。治らい剤服用の強行はらい反応を増悪し、失明及び四肢の弛緩性麻痺を生じることになり、これによって、患者の日常生活をあるいは社会生活を奪い去るのである。」との見解を示しており、抹消神経症状が現れた場合には抗ハンセン病剤の投与を中止し、ステロイド剤を投与すべきとする発想は、小関医師と共通するものと窺える(証人小関)。

b これについて、小関医師は、当時の日本における標準的なハンセン病医学の教科書は『今日の治療指針1987年版』(乙B22)であり、その内容が当時の日本の医療水準であったとして、自らは当時の日本の医療水準どおりの診療を実施したと証言する(証人小関)が、同文献は、明らかにその読者層を一般医療従事者としているものであって(証人並里)、これがハンセン病医学についての当時の標準的な教科書であり、日本の医療水準を示すものであったということには疑問がある。

仮に、同文献が当時の日本におけるハンセン病治療の現場において一般的に行われている診療内容を記載したものであったとしても、らい予防法の下においては、被告は、ハンセン病患者の医療に努める義務を負い、そのために国立療養所を設け、法的な強制カを背景にそこに大部分のハンセン病患者を集めた結果、日本におけるハンセン病の診療活動をほぼ独占するに至ったものであるから、国立療養所においては、常にハンセン病の治療のために最新の医学的知見に基づく治療を行う義務があるというべきところ、日本におけるハンセン病患者は数千人の規模に過ぎないのに対し、世界におけるそれは100万人を超えるものであり、その治療のための研究活動がWHOを中心に世界的規模で不断に続けられていること(前記前提事実)に照らすと、被告療養所においては、その当時における世界的な知見をも踏まえた最新の医学的知見に基づいた治療を行う義務があると解するのが相当であって、小関医師が、上記文献の記載に則り、当時の日本において一般に行われていた方法に従った治療を行ったからといって、それだけでは、被告療養所におけるハンセン病の治療に当たる医師としての責任を免れるものではないというべきである。

c そこで、第2期当時の世界的な知見についてみると、既に、昭和51年のハンセン病専門委員会による報告(甲B3)や、昭和52年に発行された『らい反応状態とその治療』(甲B16)、昭和56年のWHOの化学療法研究会による勧告(甲B2)、昭和60年に発行された『Leprosy』(甲B17)などにおいて、化学療法の基本原則は感染源の排除であって、らい反応(境界反応、ENL)時であってもDDSの投与を中止すべきではないとの見解が公表されていた。

そして、日本においても、昭和50年代には、ハンセン病(LL型)は、らい菌に対する細胞性免疫が機能せずにらい菌が増殖していることに原因があるため、抗ハンセン病剤の投与を中止して、プレドニンの投与をすることは、かえって末梢神経症状を悪化させるだけであるとの認織を持つ医師が現れていた(証人並里、同和泉)。

そうすると、第2期当時においては、抹消神経症状が現れた場合には抗ハンセン病剤の投与を中止し、ステロイド剤を投与すべきとする発想は、世界的にはもはや根拠のないものとされていたといわざるを得ない。

d したがって、小関医師が、被告療養所入室後の抗ハンセン病剤が投与されていないままの原告に対して、プレドニンの投与によって末梢神経症状を鎮静化させ、その後、プレドニンの離脱と並行して抗ハンセン病剤を投与するとの治療方針を採ったことは、仮にその内容が『今日の治療指針1987年版』(乙B22)の記載内容に合致し、あるいはまた、当時の日本の医療水準に合致していたとしても、これを正当なものとして容認することはできないというべきである(石井医師は、「世界の流れをいかに日本の療養所にいた先生方あるいはもちろん皮膚科の医者が吸収して、かつ日本の治療法がどのくらい優位なものであるかというその辺の比較、検討というのは本来すべきところでありましたけれども、現実的にはやはり日本における治療学というのはハンセン病に関しては非常に遅れておった。」と証言し、自らも反省の念を示している(証人石井)が、日本における治療学そのものが遅れていたからといって、被告療養所の担当医師らの過失が否定されるわけではない。世界的には、化学療法の基本原則は感染源の排除であって、らい反応時であってもDDSの投与を中止すベきではないとの見解が広く知られるようになっていたにもかかわらず、日本においては、小関医師を始めとして、抹消神経症状が現れた場合には抗ハンセン病剤の投与を中止し、ステロイド剤を投与すべきであるとして、対症療法を採用する医師が依然として存在したことについては、らい予防法が国立療養所に日本におけるハンセン病の診療活動をほぼ独占させたことにより、日本におけるハンセン病医学の研究及び診療が、外部からの批判にさらされる機会や、新しい情報を積極的に取り入れる機会の乏しい閉鎖的な環境の下にとどまった結果、その歩みを停滞させてしまったという法制度に由来する構造的な問題がその背後に横たわっていたものと考えられる。)。

(エ)原告の外泊

なお、被告は、第2期における原告に対する最も適切な治療方法は、その末梢神経症状に照らすと、視力や運動機能に障害をもたらす境界反応の鎮静を最優先にして、抗ハンセン病剤の投与を中止し、プレドニンの投与を行い、境界反応が鎮静し次第、速やかにプレドニンの離脱を行い、それに並行して抗ハンセン病剤の投与を再開することであったが、原告が頻繁に外泊をしたために、プレドニンを離脱させる計画は頓挫してしまい、それに伴って、抗ハンセン病剤の投与を再開する計画も頓挫してしまったと主張する。

a たしかに、原告は、昭和63年以降、外泊を継続する生活を送るようになった(前記(ア))が、さきに認定したとおり、そもそも被告療養所の担当医師らが採った診療方針自体がハンセン病の再発に対する治療として全く誤っていたのであるから、原告の頻繁な外泊によって被告療養所の担当医師らの診療上の過失が否定されることはないというべきである(仮に原告が全く外泊をすることなく被告療養所において診療を受けていたとしても、プレドニンを投与されればされるだけハンセン病の病勢は進行するのであるから、いつまで経ってもプレドニンの離脱ができない状態にあることには変わりはない(甲B18、証人和泉)。)。

b さらに、被告療養所の担当医師らとしては、仮に原告が外泊を継続するとその治療が不可能となる場合には、原告に対して、外泊を継続する限り治療が不可能となることを理解させるだけの説明を尽くさなければならなかったというべきであるが(説明を尽くしたにもかかわらず、それでもなお原告が外泊を継続した場合には、被告療養所の担当医師らの過失を否定し得る。)、原告が、昭和61年に菌指数が2+や3+を示していた事実も聞かされておらず、ハンセン病が再発していることを認識したのは平成になってからであったが、もし再発しているとの説明を受けていたならば、言われるとおりに頑張って治療を受けたなどと供述する(原告本人)ことからすると、被告療養所の担当医師らが、第2期におけるその症状の重篤さを理解させるだけの説明を原告にしていたとは考えられない(なお、診療録には、平成4年10月27目に原告が「今迄この病気の事は何にも知らなかった」と述べた旨が記載されており(乙A2・419頁)、被告療養所の担当医師らが原告に対してハンセン病についての説明を尽くしてこなかった事実が窺われる。)のであって、いずれにせよ原告の外泊の事実をもって被告療養所の担当医師らの責任を否定することはできない。

イ 第3期の診療における被告療養所の担当医師らの過失の有無

(ア)認定事案

前記前提事実、証拠(各認定事実の後に掲げる。)及び弁論の全趣旨によれば、第3期の診療に関して、以下の各事実が認められる。

a 第3期の診療経過

(a) 第3期になっても、原告に対しては、1日当たり5ミリグラムのプレドニンを投与する等の治療は継続されたが、原告の症状は、平成2年4月25目の金医師の診察の際には、額に10個を超える結節が認められ、同年6月8日の小関医師の診察の際には、鼻や両前腕にも結節が多発していることが認められるといった経過をたどった(診療経過一覧表、乙A2・457頁、B43)。

(b) そのような中、平成2年7月26目の診察の際に小関医師から継続的な入室を前提とした治療を開始したいとの意向を伝えられた原告は、同年8月12日、改めて被告療養所に入室した(診療経過一覧表、甲A1、乙B43、証人小関、原告本人)。

なお、同年7月26日には、眼科において原告の両眼に軽度の虹彩炎が生じていることが診断された(乙A2・197頁)。

(c) そして、平成2年8月13日以降、原告に対して、1日当たり50ミリグラムのクロファジミンを週6日、1日当たり5ミリグラムのプレドニンを週4日、1日当たり4錠のメチコバールを連日投与するとの治療が開始された(診療経過一覧表)。

(d) 平成2年8月16日及び同年11月16日には、原告に対して塗抹菌検査が実施され、両日ともに菌指数6+との結果が出た(診療経過一覧表)。

(e) 平成2年12月6日の診察の際には、原告の皮膚に色素沈着が確認された(診療経過一覧表)。

(f) 平成3年1月13日の診察の際には、原告の右前腕、左右大腿に疼痛を伴うENLが散在していることが認められ、同年2月14日の診察の際には、ENLが腫大化し、全身性のものとなったことから、小関医師は、原告に対して1日当たり50ミリグラムのサリドマイドの投与を開始することとした(診療経過一覧表、乙B43)。

(g) その後もサリドマイドの投与が断続的に続けられた結果、平成3年夏ころまで散見されたENLは、同年末には消退化の傾向を示すようになった(診療経過一覧表)。

この間、原告には、同年5月23日及び同年10月24日に塗抹菌検査が実施され、それぞれ菌指数5+、3+との結果が出た(診療経過一覧表)。

また、平成3.年を通じて、原告には虹彩炎の症状が慢性的に生じていた(乙A2・277頁、279頁、292頁、301頁、306頁、308頁、316頁、333頁、351頁)。

なお、同年11月16日には、末梢神経症状が消退したとして、原告に対するプレドニンの投与が中止された(診療経過一覧表)。

(h) 平成4年になってからも、原告のENLの発症に応じてサリドマイドの投与が行われるなどの治療が続けられた(診療経過一覧表)。

同年4月16日、同年7月30日及び同年9月2目には塗抹菌検査が実施されたが、その結果は、それぞれ菌指数3+、(一)、3+というものであった(診療経過一覧表)。

(i) 平成4年9月17日の診察の際、小関医師は、原告に対するクロファジミンの投与を同月20日で打ち切り、翌21日から1日当たり1錠(25ミリグラム)のDDSの投与を開始することとした(診療経過一覧表)。

b 主治医の交替

(a) 一方、原告は、被告療養所に入室してからも、脱毛、全身の知覚鈍麻、顔面筋の麻痺が進行することに対し、絶望感と小関医師に対する不信感を抱くようになり、平成4年夏ころに、意を決して、患者の間で熱心な医師であると評判の高かった並里医師に、果たして自分が治癒するのかどうかについて相談を申し入れた(甲A1、B18、証人並里原告本人)。

並里医師は・以前から著しい色素沈着と持続する虻彩炎を患う原告の存在に気付いていたが、その原告から直に相談を申し入れられたことから、これまでの原告の診療録を調査することとした(甲B18、証人並里)。

並里医師は、原告の診療録を検討した結果、医師による記載がほとんどされていないものの、検査数値や投薬内容等に照らすと、原告に対して一般医療の常識から大きく外れた医療行為が行われている疑いがあると考え、被告療養所の副園長である村上医師に相談を

申し入れた(甲B18、証人並里)。

村上医師は、ハンセン病治療の専門家に自己の判断の是非を確認したいと打ち明ける並里医師に対して、岡山県邑久郡所在の国立療養所邑久光明園(以下「邑久光明園」という。)の原田禹男園長(以下「原田医師」という。)と小原安喜子医師(以下「小原医師」という。)を紹介した(甲B18、証人並里)。

並里医師は、原告の臨床経過の概略を持って、邑久光明園を訪れ、原田医師、小原医師と面談をしたところ、原告に対して行われている診療が適切でないことの説明を受け、それが治療の名に値しないものであることを再認載した(甲B18、証人並里)。

(b) その後、原告は、並里医師から、邑久光明園で相談したことを聞き、平成4年10月19目、自ら邑久光明園を訪れ、原田医師の診察を受けた(甲A1、B18、乙B32、証人並里、原告本人)。

このときの原告の症状は、頭髪は頭頂部と側頭部は薄く、眉毛と睫毛は脱落しており、顔面はクロファジミンによる色素の沈着が高度であり、両目は兎眼となり、両鼻翼は萎縮して鼻開気味であり、左手は垂手となり、四肢には知覚障害や筋萎縮が現れているという

ものであり、5か所から組織汁を採敢して実施した塗抹菌検査では、菌指数の平均が4.4という結果が出た(乙B32)。

このような原告の症状を目の当たりにした原田医師は、村上医師に宛てて、主治医を変更しない限り原告の治療は望めない旨を記した手紙を書き、原告に手渡した(甲A1、証人並里、原告本人)。

(c) 原告は、原田医師の診察を受け、被告療養所入室当時と比べて菌指数の数値が改善されていないことを知らされてショックを受け、小関医師の治療の問題点を指摘され、このまま小関医師の治療を受けていたのではハンセン病が治らないものと考えた(甲A1、原告

本人)。

そこで、原告は、被告療養所に戻ると、村上医師に対して、原田医師の書いた手紙を渡すとともに、担当医の交替を願い出た(甲A1、原告本人)。

(d) これを受けて、平成4年10月27日、村上医師は、原告の主治医を小関医師から並里医師へ変更することを指示した(診療経過一覧表)。

c 並里医師による診療

(a) 原告の主治医となった並里医師は、原告を診察したところ、ほぼ全身に黒褐色の色素沈着があり、皮膚の乾燥が著明で、四肢に魚鱗癬様の角化が生じていることを認め、また、全指趾は短縮、屈曲し、

ほぼ全身に知覚麻痺、発汗障害が生じており、全表情筋の機能を失い、重度の兎眼があり、虹彩炎を患っているなどの症状を確認した(甲B1、B18、乙B37、証人並里)。

(b) 並星医師は、原告の症状を確認した上で、1日当たり1錠(25ミリグラム)のDDSの投与を中止するとともに、新たにリファンピシンとオフロキサシンを規則的に投与する治療を開始することとした(甲B1、B18、乙B37、証人並里)。

また、リファンピシンとオフロキサシンの投与開始後、原告には、大腿部を中心にENLが多発するようになったが、並里医師は、リファンピシンとオフロキサシンの投与を中止せず、サリドマイドを投与することで対応した(甲B1、B18、証人並里)。

(c) 並里医師による治療開始後、原告の虹彩炎の症状は軽減し、また、クロファジミンによる色素沈着も徐々に軽減するようになり、平成5年11月4目には、原告は、被告療養所を退室し、園内の舎から被告療養所の外来診療に通って治療を受けるようになった(甲A1、

B1、B18、乙A1・49頁、53頁、A2・548頁、B37、証人並里)。

(d) 並里医師の診療を受けるようになって約4年が経過したころには、原告の活動性の病変は収拾に向かい、平成9年ころには、菌指数もおおむね陰性を示すようになった(証人並里、弁論の全趣旨)。

(e) その後も、原告は、並里医師による診療を受け続け、背部の不快な掻痒感に対してサリドマイドの処方を受けるなどした(証人並里)。

   また,原告は,平成10年8月17日から同年10月22日まで右足骨髄炎の治療のために,平成13年3月22日から同年30日まで,両兎眼手術のために,被告療養所に入室した(乙A2・551頁から606頁まで)。

(イ) クロファジミンの長期投与の当否

上記の認定のとおり,被告療養所の担当医師らは,原告に対して,第3期の大半の期間を通じて,クロファジミンの単剤投与を行ったものであるが,この点について,原告は,第3期においては,既にMDTが定着していたのであるから,被告療養所の担当医師らとしては,クロファジミンに加えてリファンピシンをも併用する治療を実施すべきであったとし,らい菌に対する静菌作用や殺菌作用が弱いクロファジミンを,平成2年8月から平成4年10月までという長期にわたって単剤で投与し続けたことは過失に当たると主張するので,これについて検討する。

 a  さきに認定したとおり,第3期においては,ハンセン病に対する治療としてMDTを実施するのが原則であったというべきである。

とりわけ,クロファジミンは,らい菌に対する殺菌効果が弱いとされている(前期前提事実,甲B6,承認並里,同和泉,同石井)。

 b これに対して,被告は,すでに耐性菌が出現しているであろうDDSや,ショック症状や失明といった重篤な副作用がある上に,らい菌に対する殺菌作用によってENLを引き起こし,かえって虹彩炎を悪化させ,ショック症状や急性腎不全の副作用を引き起こす危険性すらあるリファンピシンを原告に投与することは適切でなく,クロファジミンの単剤投与はやむを得なかったと主張する。

  しかし,小関医師自身,平成4年9月21日からクロファジミンに替えて1日当たり1錠(25ミリグラム)のDDSの投与を開始している(前記(ア))のであって(なお,ハンセン病の再発に対しては,1日当たり100ミリグラムの投与をすべきであるから,この投与量はハンセン病の再発に対するものとして明らかに不足しているといわざるを得ない。),DDS耐性菌の存在を理由としてDDSの併用を行わなかったとの主張を採用することはできない(なお、DDS耐性菌への対策として推奨されたMDTにおいても、DDSはその構成薬剤とされていることは前記のとおりである。)。

  また、第3期の直後から原告の診療を担当した並里医師は、原告に対してリファンピシンの投与を行っており、ENLが生じた場合にもリファンピシンの投与を中止することなく、サリドマイドの投与によってこれに対応することができているのである(前記(ア))し、ショック症状や腎不全といった副作用についても特にその発症を懸念すべき事情も窺われないから、リファンピシンを原告に投与することが適切でないとの被告療養所の担当医師らの判断を合理的なものということはできない。

  したがって、被告療養所の担当医師らが原告に対して長期にわたってクロファジミンの単剤投与を実施したことに合理的な理由はないといわざるを得ない。

 c よって、第3期において、被告療養所の担当医師らには、原告に対して長期にわたってクロファジミンの単剤投与を実施した点で、診療上の過失があったというべきである。

 ウ 小括

   以上によれば、本件は、第1期における被告療養所の担当医師らの診療に過失があったために原告に損害が生じたというべき事案であるが、第2期、第3期においても、被告療養所の担当医師らの診療には過失が認められるのであって、原告に対する医療過誤は第1期から第3期まで途絶えることなく続いていたものといわざるを得ない。

2 争点(2)(損害)について

  前記のとおり、被告療養所の担当医師らには、第1期における原告に対する診療に過失があり、被告は、これによって原告に生じた損害について不法行為(使用者責任)に基づく損害賠償責任を負うものというべきであるが、次に、原告に生じた損害について検討する。

(1) 休業損害及び逸失利益

ア 前記のとおり、被告療養所の担当医師らが、遅くとも昭和59年5月8日ころまでには、原告にハンセン病が再発していることを適切に鑑別した上で、その治療のために、少なくともリファンピシンの投与を実施していたならば、原告のハンセン病は後遺障害を生じさせることなく治癒に至ったものと認められるところ、その治癒に至ったであろう時期については、確実にこれを認定することは困難であるものの、並里医師が第1期よりも病勢の進展した原告の症状を約4年で収拾に向かわせることができたこと等に照らせば、遅くとも昭和63年ごろまでには治癒していたであろうと推認するのが相当である。

イ ところが、実際には、原告は、昭和62年5月11日に被告療養所に入室したことによって就労の機会を失い、さらに、被告療養所入室中に受けた診療に過誤があったために、第3期の末期には、全指趾の短縮・屈曲、ほぼ全身の知覚麻痺・発汗障害、全表情筋の機能の喪失、兎眼等の重篤な後遺障害を負うに至った(なお、これらの後遺障害については、ハンセン病に直接に起因するものと知覚障害等に起因する二次的なものとを区別することは困難であるが、いずれにせよ、原告に生じた後遺障害はすべて被告療養所ぼ担当医師らの診療上の過失に起因するものである。)のであって、このころには労働能力を完全に喪失したものと認められる。

  そして、原告については、並里医師の治療によって原告の活動性の病変は収拾に向かい、平成9年には、一応の症状固定と見得る状態には至ったものの、後遺障害には著名な改善が見られないままであり、現在もなお、就労可能性を絶たれたまま、終生にわたって治療を受ける必要がある状態が続いている(甲A1、証人並里、原告本人、弁論の全趣旨)。

 ウ したがって、原告は、昭和63年(50歳)から一応の症状固定時といえる平成9年(59歳)までの9年間にわたり、休業損害を被ったものであり、また、それ以降は、就労不能のために逸失利益の損害を被ったものというべきである。

  そこで、賃金センサス昭和63年年女子労働者の産業計企業規模計学歴計の50歳から54歳までの平均年収269万3400円を基礎収入として、9年間の休業損害を計算すると、2424万0600円となり、平成9年以降の原告が67歳に達するまでの8年間の逸失利益を、賃金センサス平成9年女子労働者の産業計企業規模計学歴計の59歳から64歳までの平均年収344万0700円を基礎収入として、ライプニッツ係数(6.4632)を用いて中間利息を控除して算出すると、2223万7932円となり(344万0700円×6.4632=2223万7932円)、以上の合計は4647万8532円となる。

(2) 慰謝料

ア 入通所慰謝料

  原告は、被告療養所の担当医師らが誤った治療を行い、かつこれを継続したことによってハンセン病の再発が進行し、このため、昭和63年以降、被告療養所への入通所を余儀なくされたものであるが、これによる精神的苦痛に対する慰謝料としては500万円が相当である。

イ 後遺障害慰謝料

  原告は、被告療養所の担当医師らが誤った治療を行ったため、適切な治療を受けていれば後遺障害が残らずに治癒したと考えられるにもかかわらず、全指趾の短縮、屈曲、ほぼ全身の知覚麻痺、兎眼等を含めた顔面醜状等のハンセン病特有の後遺障害を王に至ったものであるところ,こうした後遺障害を負った者は,その障害それ自体によっても著しい精神的苦痛を受けていると認められるのみならず、その障害の存在からハンセン病患者であったことが容易に看取されるため、しばしばいわれのない差別や偏見を受け、さらに精神的苦痛を重ねてきたことも明らかである。

  原告の被ったこうした重大な精神的苦痛に対する慰謝料としては、2500万円が相当である。

(3) 小括 

 上記(1)、(2)の合計額は、7647万8532円であるから、原告の被告療養所に対する損害賠償請求権が5000万円を超えて存在することは明らかである。

 よって、被告は、原告に対し、不法行為(使用者責任)に基づき、5000万円及びこれに対する不法行為の日の後である平成15年5月17日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払い義務を負う。

3 争点(4)(不法行為(使用者責任)または国家賠償法に基づく損害賠償請求権の消滅時効の成否)について

 以上に対し、被告は、平成4年10月27日には、原告は、被告療養所の担当医師らによるハンセン病の治療に過失があり、それによって損害を受けたことを認識していたし、平成9年ころには、原告の症状はおおむね固定していたのであるから、これらの時点から既に3年以上の期間が経過した以上、原告の被告療養所に対する不法行為(使用者責任)に基づく損害賠償請求権は時効により消滅していると主張するので、これについて検討する。

(1)ア 不法行為に基づく損害賠償請求権について、民法724条は、被害者が損害および加害者を知ったときから3年間行使しないときには時効によって消滅すると規定するところ、同条にいう損害および加害者を知ったときとは、被害者において、加害者に対する損害賠償請求をすることが事実上可能な状況の下に、それが可能な程度に損害および加害者を知ったときを意味すると解されるが、ここでいう損害とは、他人の不法行為によって発生した損害を指すから、損害を知ったというには、単に結果として損害が発生したことを知るのみでは足りず、加害行為が加害者の故意または過失に基づくものであることおよび加害行為と損害発生との因果関係の存在の認識をも要するというべきである。

イ そこで、平成4年10月27日において、原告が、被告療養所の担当医師らの診療内容について、被告療養所に対して不法行為に基づく損害賠償請求権を行使することが事実上可能な程度の過失の存在を認識できていたかどうか検討する。

   原告は、平成4年10月19日に邑久光明園において原田医師の診察を受けた際に、被告療養所において小関医師から受けた治療の問題点(抗ハンセン病剤の単剤投与等)を指摘され、このまま小関医師の診療を受けていては絶対に直ることはないと確信したと述べて(乙B36)おり、従前から小関医師に対して抱いていた不信感をあらためて実感したものとは認められる。

   しかし、前記のとおり、当時の日本におけるハンセン病治療は最新の世界水準に照らすと立ち後れていると評価されるような状況にあって、その知見については日本における専門家の間でも意見が分かれる状況にあったのであるから、ハンセン病医療についての専門知識を持ち合わせていない原告が、原田医師から説明を受けて、単剤投与しかしなかった小関医師の治療上の問題点を指摘されたからといって、それだけでは、国立療養所に長年勤務してハンセン病患者の治療に当たっていた専門家である小関医師の診療内容について,不法行為に基づく損害賠償請求権を行使することが事実上可能な程度に過失の存在を認識するに至ったとは考えられない。

   また、原告は、平成4年10月27日、並里医師から、それまでの診療内容についての説明を受けてはいるが、それは、新しい治療方法を開始するに当たって、従前の治療方法を確認しただけのものに過ぎず(乙A2・419頁)、原告に被告療養所の担当医師らの診療に過失があったと認識させる性質のものではなかったというべきであるし、原告自身、同日、看護師に対して、 「今は誰をうらむでない,自分の病気がこうしたと思う。」と話していることからすると、同日の時点で、原告が、被告療養所の担当医師らの診療内容について、被告療養所に対して不法行為に基づく損害賠償請求権を行使することが事実上可能な程度の過失の存在を認識していたとは認められない。

 ウ 次に、平成9年ころにおいて、原告が、被告療養所の担当医師らの診療内容について、被告療養所に対して不法行為に基づく損害賠償請求権を行使することが事実上可能な程度に過失の存在を認識できていたかどうか検討する。

  原告は、並里医師の診療を受けるようになってから、小関医師が、らい反応を恐れて抗ハンセン病剤での治療をやめてプレドニンだけを投与したり,その後も1種類の抗ハ ンセン病剤しか投与しなかったりしたために、ハンセン病の症状が悪化し、取り返しのつかない後遺障害を負うことになったことを知ったと述べる(乙B36)が、並里医師の原告に対する説明は、小関医師の診療の問題点を指摘することに主眼があったわけではなく、あくまで並里医師自身の実施しようとする診療内容の説明の一環としてされたに過ぎないというべきであって、ハンセン病医療についての専門知識を持ち合わせていない原告が、並里医師からの説明を受けたのみで、小関医師の診療内容について、不法行為に基づく損害賠償請求権を行使することが事実上可能な程度に過失の存在を認識するに至ったとは考えられない。

   また、平成7年5月には、並里医師は原告の症例を検討した論文を発表している(甲B1、乙B37)が、原告が当時この論文の内容を了知していたと認めるに足りる証拠はないし、仮にこの論文に原告が触れていたとしても、ハンセン病医療についての専門知識を持ち合わせていない原告にとっては、このような専門的文献によって小関医師の診療内容について不法行為に基づく損害賠償請求権を行使することが事実上可能な程度に過失の存在を認識することができたとはいい難い。

   その他、平成4年10月27日の時点から平成9年ごろまでに、被告療養所の担当医師らの診療に対する原告の認識が、損害賠償請求権を行使することが事実上可能な程度に過失の存在を把握するまでに変化したことを窺わせる事情は一切なく、平成9年ごろの時点でも、原告は被告療養所の担当医師らの診療内容について、被告療養所に対して不法行為に基づく損害賠償請求権を行使することが事実上可能な程度に過失の存在を認識していたとは認められない。

 エ そうすると、平成4年10月27日または平成9年ころを起算日とする不法行為に基づく損害賠償請求権の消滅時効の主張には理由がないといわざるを得ない。

(2) さらに、前記のとおり、被告は、明治40年の 「癩予防ニ関スル件」以降らい予防法が廃止される平成8年に至るまでの約90年間にわたり、被告の解説する国立療養所に大部分のハンセン病患者を集め、法的な強制力を背景に、結果として日本におけるハンセン病の診療活動をほぼ独占するに至ったものであり、新規患者の激減やハンセン病患者の減少ともあいまって、らい予防法が廃止された現在でもなお、一般の医療機関はハンセン病診療の十分な経験がなく、依然として国立療養所が、それまで集積してきた臨床経験をもとに、引き続き数少ないハンセン病の専門的な診療機関である状況が続いている(この点は、並里医師の証言、原告本人の供述および弁論の全趣旨からも明らかであるし、また、被告療養所における診療行為に過誤があったと主張して本件訴訟を提起している原告自身が、将来身寄りのない状態に立ち至ったときには,再び被告療養所に戻るしかないとの危惧を表明していることからも十分に窺われるところである。)。

このように、被告が、長年にわたり法的強制力を背景にハンセン病の診療機関をほぼ独占して、ハンセン病の専門的な診療を事実上ほぼ独占する状況を作り出したことによって、原告は、被告の開設する療養所での診療を余儀なくされるという特殊な状況に置かれてきたものであって、こうした状況の下において、被告の過去の診療行為に過誤があったと主張して被告に対する法的請求に及ぶことを一介の患者に過ぎない原告に期待することは困難を強いるものというほかはなく、原告が、自らの疾病に対する治療行為が確実に行われることを最優先にして、そのためにその治療を担当している療養所を開設している被告に対する法的請求にまで及び得なかったからといって、軽々しく権利の上に眠るものなどとしてその法的救済を拒むことは、時効制度の趣旨にそぐわないというべきである。

 また、強制隔離主義を採用したらい予防法等の法制度の下で、ハンセン病患者および元患者に対するいわれのない差別や偏見が助長されてきたものであり、熊本地方裁判所が平成13年5月11日に言い渡した判決等を契機に、被告がこれらの差別や偏見の除去のための最大限の努力を尽くすことを表明したことは広く知られているところではあるが、それにもかかわらず、現在なお社会の随所においてハンセン病患者及び元患者に対する心ない差別や偏見が根強く残り、社会生活を送る上でもさまざまな障害に遭遇していることもまた、眼をそむけることのできない現実なのであって、このような状況の下で、原告が、不当な差別や偏見にさらされることを覚悟しながら、被告に対して損害賠償請求に踏み切るという当然の権利行使に及ぶことすら、なみなみならない決意に基づくものであったであろうことは、容易に想像しうるところである(実際、原告は、本件訴訟において、戸籍名ではなく仮名を使用せざるを得なかった。)。

 こうした事情に照らすと、原告の被告に対する不法行為(使用者責任)に基づく損害賠償請求権の消滅時効期間が仮に形式的には経過しているとしても、原告がその期間内に被告に対する損害賠償を請求しなかったのは、権利の上に眠っていたからではなく、らい予防法のためにハンセン病の専門的な診療が事実上被告にほぼ独占され、また、ハンセン病患者及び元患者に対する差別や偏見が助長された結果によるものというべきであって、そうであるならば、そのような状況を生み出す基となったらい予防法等の制定主体そのものである被告が,原告の損害賠償請求権の消滅時効を援用することは、時効制度の趣旨に反するものとして、権利の濫用に当たるというべきである。

(3) 以上によれば、平成4年10月27日又は平成9年ころを起算日とする不法行為に基づく損害賠償請求権の消滅時効の主張には理由がなく、被告は、原告に対し、不法行為(使用者責任)に基づく損害賠償責任を負う。  

4 結論

 よって、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は理由があるからこれを認容し(なお、仮執行宣言の効力発生時期については、本判決が被告に送達された日から14日を経過したときとする。)、主文のとおり判決する。

 なお、仮執行免脱宣言については、相当でないので、これを付さないこととする。

 東京地方裁判所民事第30部

    裁判長裁判官 佐藤陽一

       裁判官 角田ゆみ

       裁判官 川嶋知正

[2005年2月12日]

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