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ハンセン病の歴史:ヨーロッパとアフリカ、そしてモロッコ王国

今私たちが「ハンセン病」と呼んでいるのは、人類史上最も古くから知られている疾患の一つで、一般にはレプロシー(らい)の病名が長く使用されてきました。ノルウェーの医師アルマウエル・ハンセンが、1873年患者さんの病変部からたくさんの「らい菌」を証明して報告したことにより、当時の遺伝病か感染症かの大論争に決着をつけました。現在日本での正式な病名は「ハンセン病」ですが、ここでは古い時代のことを述べる場合には、所々でらいの名称を使います。

古い記録は、紀元前6世紀のインドの文献に見られるそうです。パミール高原がその発症地の候補にあげられていますが、アフリカ大陸を発祥地とする見方もあり、また世界に広く伝播している事実から、複数の発祥地があったのではないかとも考えられています。しかし太平洋に散らばる小さな島々の中には、近世になるまでこの病気が無かった島がたくさんあります。

欧州への伝播はギリシャに始まり、これはAlexander大王がインドへの遠征(BC 327〜326年)から持ち帰ったことによると言われています。いったんギリシャに入ると、その後は商人や兵士の往来とともに徐々に地中海沿岸諸国に拡大したと考えられています。ローマ時代になると、それまでくすぶっていたこの病気が勢いを増してイタリアで流行病となり、さらにポンペイの戦い(B.C. 62年)以降、兵士の帰国に伴って蔓延したようです。BC 4世紀には患者収容のための病院が設立され、相当数の患者がいたと考えられていますが、さらに11世紀になると、十字軍の帰還兵が、それまでの有病率を一気に高めたと考えられています。中世の13〜14世紀にはピークに達し、南部ヨーロッパでは、人口1000人あたり3,4人にも達する有病率が推測されています。

しかしその後、欧州のらいは急速に減少し、近世には事実上消失してしまった経過については、医学的に興味深いさまざまな推察がなされています。ただ北欧ノルウェーでは、19世紀初頭になってから、短期間に爆発的に増加して、その後急速に減少した時期があります。これはこの疾患の疫学を知る上で極めて興味ある現象ですが、これについての紹介は別の機会に譲ります。

現在ハンセン病の分布は主に熱帯地域に偏在し、中でも開発途上国と称される国々に偏っています。しかし上記の歴史からも明らかなように、本来熱帯に特有な病気ではありません。欧州がかつてはハンセン病の蔓延地域であった歴史的事実を、今なおハンセン病を克服できない多くの国々に投影してみると、この疾患と人類とのダイナミックな係わりの一端に触れることができます。

アフリカ大陸では、エジプトで発掘された紀元前6世紀のミイラの遺体に、らい特有の障害が認められており、さらに紀元前200〜300年頃の遺体からも、この疾患の痕跡が証明されています。その後他の地中海沿岸諸国と同様、Alexander大王の遠征に伴ってさらに伝播したと考えられるでしょう。一方スーダンやエチオピアには古代かららいが存在し、アフリカにおける発祥地の一つとも目されていますが、一般に古代のアフリカ大陸で、らいが重大な問題になっていたとは考えにくく、まずは北から始まったであろうとする意見が多いようです。ともあれアフリカ諸国における有病率の変化については推測の域を出ませんが、内陸部や西アフリカへの伝播はずっと遅く、ソマリア、タンザニアへは8世紀、モザンビークには10世紀ごろ、アラブの商人とともに入ったと考えられています。また西アフリカへは、15世紀以降のポルトガル人の入植とともに広がった経路も考えられます。このように、サブサハラの国々にはこの病気が古代から存在したというよりは、むしろもっと遅くに外部から入ってきたと考える方が自然のようです。そして今なおアフリカ大陸の幾つかの国々では、ハンセン病が重大な公衆衛生上の問題として残っています。

モロッコ王国のハンセン病

アフリカの北西端の国モロッコにおけるハンセン病は、近隣のエジプトから、あるいはサハラ経由で、または海を渡って伝播したと想定されています。ハンセン病についての最も古い記載は10世紀に遡りますが、いずれのルートで入ったにせよ、7世紀以前に遡ることはないようです。16世紀始めの文献より、旧都フェズやマラケシュ、エル・ジャディダには、ハラートと呼ばれるらい者の集落のようなものがあったようです。

国立病院(CNL)の病室の1つで、これは男の子たちの部屋の入り口です。質素ですが、ベッドはきちんと整理されています。
モロッコは、かつてはイベリア半島を支配するほどの勢力を誇った国です。しかし近世の内乱に続いてヨーロッパ諸国の侵略を受け、波瀾の数世紀を経た後、モハメッド五世の英知のもと、1956年、当時の宗主国であったフランスから遂に独立を果たしました。この国におけるフランスの影響は今もいたるところに見られますが、とりわけハンセン病対策は、フランス人の医師ベルナール・ロリエの貢献によるところが極めて大きいと言えます。1950年以降現在に至るまで、ロリエの築いた臨床記録の保存システムが生きています。経過観察の仕方や、彼の考按したカルテの記載様式は、今も立派に使えるものです。

独立後の経済発展は著しいものの、貧富の差は今も大きく、国全体としての識字率の低さもあって、保健衛生への取り組みは充分とはいえません。しかしハンセン病に関しては興味深い独自の対策を行ってきました。私たちは1996年度からこの国のハンセン病コントロールの実態を調査してきましたので、その一端を紹介します。

1950年、国立ハンセン病病院(Centre National de Leprologie-Casablanca: CNL) が作られ、1960年、現在のアイン・ショク(カサブランカ)に移って以来、ここが活動の中心となっています。また国内に分散する15個所の施設(Service Regional de la Lepre: SRLとService Provincial de la Lepre: SPL)が、治療中の患者や、患者家族の追跡調査、新患者発見活動等の基地となっています。

男子部屋でのお昼時間。一番楽しいひと時です。これからお料理が配られます。

ハンセン病の治療は、かつてはDDS(ダプソン)の単剤治療が主体であり、当国でも同様でしたが、1981年この国独自の多剤併用治療(PCT)を、多菌型と呼ばれる患者に試行しました。これも前記のロリエ医師とその後継者達の考按によるものです。10年後に行った効果判定で、かつてのDDS単在治療に比して極めて有効であることを確認し、1991年には国の方針としてハンセン病の全患者に適応されることになりました。これは、1982年に国際保健機関(WHO)が発表したMDTに足並みを揃えたものと思われますが、むしろ世界の流れに一歩先んじた独自の対策であったと私達は考えています。

女性部屋の中の仲良し4人。真ん中の2人は、ハンセン病の患者さんではありません。顔に大きな変形があるのは、乳児期にノマ(水癌)という病期に罹って一命を取り留めたためです。この2人は、幼児期にこの病院(CNL)の門前に捨てられていました。その後はずっとここで暮らしています。私がカメラを構えると、一番初めに、しかも真ん中に並ぶのはこの二人です。

ハンセン病対策は、早期発見・早期治療により、感染源を絶って新患者の出現を抑えることに最も重点が置かれます。しかし世の東西を問わず、この病気に対する偏見・差別は大なり小なりどこにもあったようで、古くからハンセン病に係わってきたロリエの高弟であるセカット先生によると、モロッコにおいてもかつてはらいに対する強い偏見・差別があったそうです。社会が患者を差別する以上、患者がすすんで受診することは期待できません。この国では、独自の多剤併用治療(PCT)を導入すると同時に、患者とその家族を全面的にサポートする戦略を打ち出しました。

その結果、1989年以降は、新患者のほぼ安定した減少傾向が見られるようになり、今ではWHOの基準によるところの、「多発国」では無くなっています。この成功は、PCTと呼ばれる治療法が優れていることによるのは当然ですが、AMAAF(Association Marocaine d'Application Agricole et de Formation:モロッコ農業・職業訓練組織)と呼ばれる国内NGOの貢献が無ければ、実現できなかったと思います。この組織は、1950年、モロッコ国内の篤志家たちによるハンセン病患者の救済活動に始まりました。その後1964年以来、スイスに基盤を持つNGOのALES(Emmaus-Suisse) がこれに参加しましたが、前者は今も、最も重要な援助母体となっています。AMAAFは、主として患者の職業訓練に力を注いでおり、読み書き等の基礎教育の他に、裁縫、木工・農業指導等を行っています。また特筆すべきことは、患者家族も援助の対象となっていることです。すなわち患者とその家族の社会的ステイタスを安定させることにより、ハンセン病患者に対する劣等意識を消滅させようというのが、AMAAFの狙いです。

AMAAF農場で、トマトの収穫です。忙しいときには、近所の住民がアルバイトで応援に来ます。

これらの活動は、PCTの拡大に平行して本格的なものとなりました。小児患者は、治療が終わった後もそのままCNLに寄宿させて、病院内に設置された小学校で4年間の初等教育を受けます。年長になると、午前は小学校、午後は職業訓練を受けます。

ここまでのサポートをするには、それなりの理由があります。現在モロッコで一番ハンセン病がたくさん出るのは、リーフ山地と呼ばれる、地中海に面した北の山岳地帯です。荒れた土地で、農作物の栽培は中南部に比べてかなり劣ります。農家の家畜を見ると、そのやせ具合でよくわかります。ここでは小学校がまばらにしかなく、山道を何キロも歩かないと通えません。必定、就学率はきわめて低くなってしまいます。そのようなわけで、この地域からきた小児患者を、そのまま大きくなるまで大都会のカサブランカで育てようということになったわけです。何とおおらかな発想ではありませんか。

1980年の統計では、国の北部を中心にハンセン病の有病率は極めて高いことを示しています。しかしその後の対策が成功して、1990年代の半ばには、WHOの基準によるよころの「多発国」ではなくなりました。現在では、北部を中心に年間100人足らずの新患者が診断されています。

国全体の平均識字率が半数に満たない(世界の統計:1996年)当国の現状に照らし合わせると、AMAAFのサポートは、平均的なレベルを遥かに上回るものであると言えます。失業率16%(1992年)の同国において、職業訓練は患者および患者家族の生活レベル向上に、大きく貢献しています。前回CNLを訪れた時にも、ここで大きくなった16歳の男の子が、就職が決まったと喜んでいました。

しかしこのシステムを維持するためには、相当な資金が要るはずです。その大部分はAMAAFの管理する農場からの収入によっていますが、国内の財閥も何人かが援助しているようで、イスラム国のチャリティー精神が、こんなところにも生かされているのを知りました。

[並里まさ子(国立療養所栗生楽泉園副園長) 2003年1月13日]

個人の写真撮影と公開については、本人とモロッコ・国立ハンセン病病院(CNL)院長の承諾を得ています。

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