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ニュース ハンセン病 イベント&ワークキャンプ 茂木新聞社

第16回国際ハンセン病学会記

2002年8月上旬、ブラジルのバイア地方、サルバドールで、第16回国際ハンセン病学会が開催されました。

日本からはハンセン病療養所に勤務する医師3名と、ハンセン病研究センターの研究員3名が出席しました。今なお多数の患者を抱える国々で活躍する人々と、久々の再会を喜び合い、世界のハンセン病対策の行く末に思いをめぐらす1週間でした。

国際ハンセン病学会の沿革

第16回国際ハンセン病学会。ブラジル・サルバドール

らい菌の発見(1873年)によって、それまで根強く残っていた遺伝説は破られました。1897年国際らい会議がベルリンで開催され、後にこれが第1回国際ハンセン病学会となったのですが、化学療法の無い当時ですから、この学会では隔離以外に対策のない疾患であると結論されています。日本から土肥慶三(皮膚科医)と北里柴三郎(細菌学)の両氏が出席しました。

第二次世界大戦後は5年に一度の間隔で開催され、化学療法の進歩に伴って、次々と重要な決定がこの学会を通じて出されてきました。第15回は1998年北京で開催されたので、通常ならば2003年の開催となるはずですが、今回は1年繰り上げての開催でした。

第16回学会の背景

ハンセン病の治療も他の多くの感染症と同様、化学療法の進歩と共に大きく変化しています。1943年、アメリカのカーヴィル療養所からプロミン(スルフォン)の有効性が報告され、本格的な治療の歴史が始まりました。その後様々な治療薬とハンセン病医学の発展に伴って、1982年WHO(世界保健機関)はハンセン病の最も効果的な治療として、多剤併用治療(MDT)を世に出しました。現在流行国では、すべての患者さんに無料で配られています。

これによって、世界の患者数は飛躍的に減少しましたが、問題もたくさん残っています。特に流行国では毎年出る新患者数が減らないことです。

またこれまでのところ治療薬の配布が精一杯で、治療中に見られるらい反応にまで目を向ける余裕がないのが現状です。らい反応は早期にうまく治療しないと、手足や顔などに障害を残してしまうことがあります。障害を持つ人は差別の対象となりやすいので、障害を残さないように治療しなければなりません。薬を配るだけでなく、もっと患者さんに目を向けた治療が望まれています。

またWHOは、2002年2月、治療期間をずっと短縮して、6ヶ月で治療を終えようと打ち出してきました。しかし、極めて長期の経過を取る慢性感染症であるハンセン病では、この治療期間では治りきらない例がたくさんあることを、我々臨床に携わる者は日常の診療で十分に経験しています。

今、治療不充分による再発率の増加、治っていない患者さんからの更なる感染などが、懸念されています。そして一向に減少傾向の見られない新患者数は、MDTへの過剰な期待にブレーキをかけています。このままでは世界のハンセン病対策にこれ以上の進展は期待できないのではないかとの不安が、大きなうねりとなっていました。私達が調査しているバゴー(ミヤンマー)でも新患者は後を絶たず、多発国の現場で働く人々の間では、切実な不安となっています。

第16回学会で討議されたこと

このような機運の中で開催された今学会は、まずこれまで推し進めてきた世界のハンセン病対策を振り返ることから始めました。

診断と治療、化学療法、障害防止と障害者のリハビリテーション、疫学的背景とハンセン病対策活動のあり方に大別され、学会期間中、各項目毎に討論されましたが、いずれも新患者数の減少が一向に見られない現実に、真正面から向き合おうとするものでした。

学会の大きな成果として、6ヶ月の短縮治療に対して反対であるということを、学会の統一見解としてWHOに進言することを満場の拍手で決定したことが挙げられます。そして同時に、より良い治療を検討することの必要性を再確認しました。

根拠の無い希望的観測よりも、落ち着いて足元を見ようとする中で、未だ不明なことの多いハンセン病について、我々は何を知っているのか、真摯に振り返り問い直す数日間でした。この学会で、特に興味を感じた話題のいくつかを紹介します。ただしこれらは、ほんの一部であることをお断りしておきます。

1 ハンセン病のような慢性の抗酸菌感染症は、感染と発病の間に大きな隔たりがあります。つまり、感染しても大多数の人は発病しません。この感染と発病の間に何が起こっているのか、ほとんど判っていないのです。発病への鍵を握るのは何か、それが解れば多くの発病が防げるかも知れません。発病を左右する遺伝子についての検討も進んでいます。
2 諸外国のハンセン病対策は、多くの場合既に一般保健サービスに組み込まれていて、単独の対策組織を持ちません。今後は様々な他疾患とのバランスを考慮して、地域ごとに、関連疾患も組み込むなど、より効果的で息の長い対策活動が望まれます。
3 これまで注目してきた登録患者数(治療中の患者数)よりも、新患者数や、その中に占める障害者の割合、治療完了率、小児患者の占める割合等がもっと重視されなければなりません。
4 有病率の低下した地域でも、極めて慢性の経過をたどる疾患であることを考えると、今後も早期発見と早期治療を目指した対策活動の手を緩めることはできません。
5 正確な診断を可能とする検査の開発が望まれています。
6 今なお人口培地では培養できないらい菌に対して、分子生物学的手技を使っての研究は以前から盛んでした。近年らい菌の全遺伝子地図が明らかにされ、ハンセン病の特異な病態を解明する手掛かりが探られています。またこの分野で最も実用化が進んでいるのは、薬剤耐性菌の検出でしょう。ネズミの足の裏に菌を植えて、薬剤感受性(薬剤が効くかどうか)を見る検査は、高額の費用と長期間(普通1年以上)を要します。近年の遺伝子解析による薬剤耐性の検査は、その日のうちに結果を得ることも可能なため、もはや不可欠な検査になっています。私達は、日本の患者さんにみられた薬剤耐性について発表しました。またPCR(遺伝子増幅)による菌の検出が診断に利用できるか否かも、今後の検討課題です。
7 疫学の分野は、特に興味深いテーマがたくさんあります。血清特異抗体価の測定による感染者の把握とその経過観察は、感染から発病への移行を知る手掛かりとなる可能性を秘めています。私の共同研究者は、ミヤンマーの多発地帯で地道な調査を行っていますが、今回の学会で2年間の成果を発表しました。
健康な住民が鼻腔内に持つ菌の検出は環境内のらい菌の存在を示すものですが、これも疫学的な意味は大きく、注目を集めている研究です。

学会最終日、次期学会の開催地はインドと報告されました。2000年11月にインドのアグラで開催されたアジア・ハンセン病学会での記憶が懐かしくよみがえります。

世界の多発地域で活躍する人々との再会を期して、心地よい海風の香るサルバドールを後にしました。

余談

かつて中世のヨーロッパでハンセン病が猛威を振るった歴史や、日本、韓国、中国、ロシアなどの国々では近年まで多くの患者が出ていたことからも明らかなように、本来ハンセン病は、熱帯地域に特徴的な疾患では決してありません。しかし現在のハンセン病は、経済力の乏しい地域にほぼ一致して残存しているため、このような地域でのハンセン病対策は、熱帯病との関連を常に念頭におく必要があります。特に一般保健サービスへの統合を通じてハンセン病コントロールを行う中では、多様な疾患を視野に入れた活動でなければなりません。そしてこれらの多くは、先進国では忘れ去られた疾患(Neglected Diseases)すなわち貧困がもとで起きる疾患(Diseases of Poor)です。現在世界の人口の90%がそのリスク圏内に住んでいるにも係わらず、これらの疾病コントロールを目指した研究に対して、世界にその名を知られた多くの製薬会社は、全研究予算の10%しか割り当てていません。これらの疾患に対するワクチンや薬物の開発・供給などについて、彼らはほとんど興味を持たないように見えます。わずかに見えてきた光明の1つに、国内で一斉に行われるワクチン接種(EPI)を通じて、抗マラリア剤の配布が考えられており、一部では実施されていることが挙げられます。

ブラジルあれこれ

成田空港からNYKまでの飛行時間は約12時間、JFK空港で3時間ほど過ごした後、今度はアメリカ大陸をほぼまっすぐに南下します。日本とNYKの時差は13時間ですが、ブラジルのサンパウロに入ると今度は1時間戻して12時間の時差となり、日本とはちょうど、昼と夜が入れ替わります。続いてサンパウロから国内線に乗り継ぎ3時間ほど飛んで、やっとサルバドールに着きました。日本から休み無く乗り継いで、地球のちょうど反対側まできたことになります。南緯13度くらいに位置し、8月のこの頃季節は冬です。機内放送で現地気温は摂氏25度とのアナウンスでした。

私の外国旅行はほとんどの場合一人旅ですから、旅の途中でいろんな人達との小さな交流を楽しみます。今回は隣の席に二人ずれの老婦人が座りました。ポルトガル語のわからない私と、英語の殆どわからないおばあさんたちとの、身振り手振りを入れての会話?も楽しいものでした。実飛行時間が約26時間に及ぶ空の旅でしたが、エコノミー症候群に陥ることも無く無事に往復できました。

サルバドールに降り立つと、心地よい海風が潮の香りを運んでくる、想像したよりも静かな街でした。地図で見ると、ブラジルはなるほど南米大陸の約半分を占めます。気候も南北で大きく異なり、北には熱帯雨林のアマゾン川流域とブラジル高原が横たわる一方、温暖な気候の南部には、サンパウロ、リオ・デ・ジャネイロ、サントスといった日本でもよく知られた多くの大都市が大西洋に面して点在しています。しかし貧富の差は激しく、この国のハンセン病は、今も鎮静していません。西暦2000年の登録患者は77676人、年間の新患者は41070人と、世界で2番目の多発国です。

サルバドールは、大西洋に突き出た岬をぐるりと縁取るように家々が並んだ都市です。

1549年ポルトガルの総督府が設置されて以来、リオ・デ・ジャネイロへの遷都まで200年以上の間、この国の首都でした。そのリオ・デ・ジャネイロもまた、1960年新たにできた人工の都市ブラジリアに首都の座を譲っています。

サルバドールは、16世紀の奴隷貿易で有名です。推計によると、合計350万人のアフリカ人が祖国を離れてトドス・オス・サントスの港に連れてこられたそうで、これは史上最も大規模な奴隷輸送であったということです。今なおサルバドールは、人種の坩堝であるブラジルの中でも、最も黒人人口の多い地域だそうです。若者達が打楽器を連打して行進するオロドュン、眼を見張る色彩感覚、ビリンバウ(弦楽器)の呻くような音色の中で、彼らの辿ってきた歴史を想い描いていました。

日本からの発表

1 Genomic Diversity in rpoT gene of Mycobacterium leprae and Geographic distribution in Latin America
Masanori Matsuoka, Yoshiko Kashiwabara, Pedro Legua, Carlos Wiens and Mary Fafutis
2 Dendritic cell-mediated production of IL-12 and IFN-γ by Mycobacterium leprae derived cell membrane
Yumi Maeda, Masaichi Gidoh, Norihisa Ishiiand, Masahiko Makino
3 Drug resistance in the Treatment of leprosy; Study in the relapsed cases found in Japan
Masako Namisato, Mamoru Matsubayashi, Masaaki Higashi, Motoaki Ozaki, MasanoriMatsuoka, Yoshiko Kashiwabara, Hideoki Ogawa
4 Serodiagnosis of Mycobacterium leprae infected individuals in highly endemic areas of Myanmar
Khin Nwe Oo, Namisato M., Kashiwabara Y., Fujiwara T., Nwe Nwe Yin
5 Rehabilitation program of JICA on Leprosy in Myanmar
Yutaka Ishida, Hiroko Baba
6 Drug resistant Mycobacterium leprae from relapse or intractable leprosy case
Masanori Matsuoka, Yoshiko Kashiwabara, Motoaki Ozaki and Shinji Maeda
7 A private Buddhist leprosy hospital in late Meiji Japan: Why was it set up and how was it founded?
Trevor Murphy
8 Observation of acid fast bacilli by merge technique of differential interference contrast and polarized microscope
Furuta Mutsuhiro, Hatano Kentaro, Matsuki Takanobu, Okano Yoshiko, Ikeda Takeshi, Nakatani Koichi and Sato Atsuo

[並里まさ子(国立療養所栗生楽泉園副園長) 2002年12月9日]

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