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益山農場

自立へと飛推する 益山農場

湖南高速道路にそって南へ三時間ほど走ると、左右に町を思わせるようなたくさんの家々と天高くそぴえ立つ教会、そして、その間にぎっしりと立ち並んだ養鶏場が目に飛び込んで乗る。そこがまさに益山農場だ。一九四人年七月十五日。「ソチョン園」 という名でこの地に根を下ろした益山農場は、その後、「国立益山病院」と名前を変えて、一九六九年一月一日、四百二十世帯七百二十人が約十五万坪の土地に定着するようになった。そして、ユ・パンジ会長を始めとして、カン・ビョンウォン、カン
・オチョル、イ・ジンフン、イ・ギホ、キム・イルクォン、と会長職を引き繋いで行きながら、農場発展のために弛みない努力を傾け、今日の発展した姿に至った。
エジプトを出たイスラエルの人々がヨシェアの導きによってヨルダン川を渡り、約束の地カナンに至った時の心情のように、益山農場の人々も始めは恐る恐る震えるような気持ちでその第一歩をい踏み出したのだろう。しかし、今日では全国の定着村の声で、最も規模が大きく、最も多くのハンセン氏病快復者の人々が集まっている村となっており、汗水を流してまじめに仕事に取りくんでいる彼等の姿を見ていると、近い将来、経済的にもしっかりと自立できる基盤を築いて行くものと思われる。
益山農場は「王宮福祉園」、「ソセン肥料工場」「韓日基督医院」など、その中にたくさんの機関を持っており、それだけ見ても農場の規模を推し量る事ができるであろう。そこで、その中からまず「王宮福祉園」の現況を見る事にしよう。

*王宮福祉園
この「王宮福祉園」は日本キリスト教救癩会と韓国キリスト教救癩会からの支援を受けて、一生をハンセン氏病によって苦労の中を生きて来て、今は頼る所もなく不遇な立場に置かれている老弱な人たちのために一九七四年十二月二十入日に設立された。一千余坪の敷地に現在、三百七十一名の寄る辺なき老人たちを迎え、彼等の宿飯の世話と余生を見守っている。多くの障害によって思うように活動できない彼等のために、愛と真心をもって献身している奉仕者たちを見ていると、ここは真のキリストの愛が要求される場所なのだという事を実感させられる。世の人々は、何かの記念日かあるいは祝日でもいいから、一度くらいはここの人々の事を考えてみてはいかがかと思う.体が不自由な人々のために、献身し奉仕している彼等の事を考えると、誰もが首を深くうなだれざるをえなくなるだろう。
この王宮福祉園のために関係当局が陰に陽にたくさんの支援をしてくれているのは幸いな事であるが、そのお金はまず給食費に当てられるのが当面の課題であって、管理運営費の方までは考えが及ばないのが実情であるという。絶対的に不足した予算の中で愛の手を切望しているこの施設に対しては、当局の適切な対策とともに各民間団体や宗教団体からの暖かな支援と協力が行なわれなれけばならず、それができないようであれば福祉国家を目指している我が国の発展はとても望みえないものとなろうと思われる。

*ソセン肥料工場
一九七五年八月五日、保健社会部からの支援と農水産部の許可によって建てられたこの肥料工場は、三千余坪の敷地に五棟の建物(建坪、五百二十坪)が立ち並ぶ、定着村の中でもどこにも見られないような大規模工場である。
しかし、一日の配合肥料の生産量を見るとわずか五十トンで、これは益山農場の肥料所要量の二十パーセント分しか充てられないほどの零細規横であり、失望を禁じえない。一日も早く、不充分な施設を拡充して、益山農場はもちろんの事、他の定着村に対しても供給できるようにするのが村人の切なる願いであるのだが、そのために必要な施設を整えて現代化するのに要する資金が数億ウォンに達すると言い、暗たんとならざるをえない。
キム・イルクォン会長は「ソセン肥料工場」の施設が拡充され、正常に機能さえすれば、政府からの特別な支援がなくても充分に自立して行く事ができる」とカを込めて言う。しかし、彼等が自信を持って建てた「ソセン肥料工場」も、今では自らの役割さえ果たせないでいるため、一日も早くカを結集して、期待するほどの役割を担えるようにがんばってほしいと願うのみである。
全国の定着村に住む三万余名のハンセン氏病快復者は、これまで主に畜産に従事してきた。それゆえ、この「ソセン肥料工場」を通した肥料供給の条件さえ整えば、質が良い肥料を安定した価格で適切な時期に受けられるようになり、金融税制上の恩恵も期待できるようになるだろう。関係当局からの政策的な支援が不可能ならば、韓星協同会の会員たちが心を一つにして事業計画を展開し、たくさんの人々に我々の強い意志を見せてやらなければならないと思う。それでこそ二世たちのための奨学事業や養老事業などの福祉事業も行なえるのではないだろうか。

*韓日基督医院
近代化された二階建ての建物に五つの病室と二十床のベッドを備え、皮膚科、小児科、内科、一般外科などの診療をしている「韓日基督医院」は、韓国キリスト教救癩協会の支援で建設された益山農場唯一の医療施設である。しかし、実際は医療条件の不備から、益山農場の村人でさえも外部の病院に診てもらいに行っている。
他の定着村を見ると、合理的な医療体系を作って、外部の患者たちの診療もしながら実質的な住民所得の向上に寄与している例もあるため、「韓日基督医院」でもその運営方法に新しい工夫を加えなければならないだろうと思う。そして、益山農場の村人はもちろんの事、医療施設が貧弱な近隣の地域住民も気兼ねなく訪ねられるようにしなければならないだろう。

*農場が抱える問題点
その他にも益山農場には、道指定の養豚場、セマウル幼稚園、酪農団地など、自慢できる施設が他のどの地域よりも多いと、村のキム・ジョンゴ専務は胸を張る。しかし、その自慢の種の大きな施設に劣らないくらい、難題もたくさん抱えている事も事実のようだ。
畜産市場が底辺化しておらず、また益山農場で生産される農・畜産物の流通径路も定まっていないために、困難に直面する事が多いものと見る。大田のような大きな消費都市が村の近くにあれば、生業の安定と所得増大のために大きな助けとなるだろうと考えて、村人たちは近隣にある全州やイリで消費拡大策が行なわれる事を願っている。
本当にこの問題は益山農場だけでなく、全国に散在する定着村が共通して抱えている問題であると思う。このような混乱の解決のためには、需要供給の原則に沿った関係機関の指導と斡旋が絶対に必要である。
その他、益山農場が抱えている問題としては、ひどい貧富格差をもたらしている執行部署の混乱を上げられる。資本主義社会では努力して働いた分だけ、その代価として所得が与えられるべきだが、ハンセン氏病快復者の場合は困難と病苦のために気を休ませる機会も失ったまま貧しさにあえいでいる人たちが多い。しかし、中には人並み以上の努力と知恵によって所得を得て貯蓄をし、経済的基盤をしっかりと整えた人もいる。一つの垣根の中で、同じ運命を生きて来た彼等と言えども、貧富の差異から生じる葛藤がないとは言えないのだ。けれども、一般人の社会では伺い知る事もできなくなった人情や暖かな兄弟愛が今も生きづいている所がまさに定着村でなのであるから、運命協同体という切実な思いを抱きながら互いに協力し合い、同じ目標を追い求めてこそ、今よりももっと大きなカと成果を期待する事ができるのではないかと思う。

*次代を担う二世たち
次は教育的側面について考えてみる事にする。
時々、暖かな人間愛でもって、凍てついた多くの人々の心を魅了する美談があるかと思えば、一方では、ここ益山農場に住む二世たちの教育の場である王宮南小学校を避けて、他の学校に就学させようとするような近隣住民たちもいて、村人たちの心を大いに痛めさせている。しかし、そんな中でも幸いなのは、このような事に屈しないで親たちが崇高な教育熱と真心をもって、子供たちのために必要な教材を買い与える等の物質的な支援を惜しまないでいる事だ。そして、そのような親たちの教育熱に答えようとするかのように、二世たちの学習熱も熱く燃え上がっているのを感じた。王宮南小学校はもちろん、近隣の中・高校でも、成績が秀でた学生は皆、益山農場の二世たちで、また、各種運動競技の代表選手なども二世たちだという。これら子供たちの活躍は、観たちの心を励まし、慰めるのに充分であろうと思う。本当に彼等の青い夢に、少しでも錯誤と失望がない事を心から祈りたい。

*益山農場の明るい未来
六百七十余世帯、二千名の住民が住む上に、他の定着村に比べて多くの施設を有している益山農場の陣頭指揮をするキム・イルクォン会長は、「ソセン肥料工場」の正常な稼動と七kmに及ぶ下水口の建設事業、「王宮福祉院」など障害者施設の拡充事業等に重点を置いて、益山農場を引っ張って行くと同時に、地域住民と団結して、農場内の活生化を図るために今後も熱意と誠意を尽くして行くと、その固い意志を明らかにした。韓星協同会の過ぎ去った歳月を掘り返ってみても、益山農場はいつも組織の根幹となるような役割をしながら充分な力量を発揮して来た事を誰も否認はしない。
韓星協同会の創設のため、ユ・パンジン顧問は我が身を返り見ずに献身し、カン・ビョンウォン会長は人一倍情熱を注いで来た。そして、彼等から受け継がれた高い精神があったからこそ、数々の苦しみと蔑視、冷遇を踏み越えて、今日の益山農場のような基盤を築き、心の安定を得る事ができたのではないかと思う。
そのような事を考えながら、最後にこの取材中に感じたいくつかの所感を述べてみようと思う。
一般の人たちが考えているほどハンセン氏病快復者たちの表情は暗くなかったという事は、つまり、彼等の人に対する愛着と望みが明るいという事であり、また、それは過去の絶望を踏み越え、生活に自信を得るようになったという事ではないかと思う。
また、一般の人たちよりも人一倍熱心に努力をするし、勤勉に働くし、それだけでなく、専門的な知識を積むために専門紙の購読はもちろんの事、必要な専門知識の体得のために専門家の助言までをも渇望している事を知って、とても感動させられた。このようなより良い生き方へ向けての姿勢に加えて、村に和合と一致と調和がもたらされれば申し分のないものとなろう。指導者を中心に心と意志を一つにして行くならば、今後、先頭を歩む定着村として他のどの地域も追い付けないような高所得の村に発展して行くだろう。今や全てのハンセン氏病快復者たちは、過去の傷を癒し、失われた人格を取り戻して行っている。そして、全国の全ての定着村が、益山農場のような良い基盤を今後とも築いて行けるように強く願いながらこの報告を終える事としたい。

[原典:「韓星」(韓星協同会発行)、日本語原典:「灯の村」菊池義弘/訳・編]

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