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金新芽長老の人生

金新芽長老を訪ねて

韓国「タサラン」(豊かな愛)誌、1998秋号から
「人間勝利! 金新芽長老の人生」


韓国「タサラン」誌、1998秋号
ハンセン病の終息宣言

癩病は、一方で痂癩、大風癩、風病とも呼ばれていますが、学名としてはハンセン病という呼称になります。ハンセン病とはノルウェーの医学者だったハンセン氏が初めて癩菌を培養することに成功したことによって名付けられ、その後、本格的な治療薬が開発されたことで、いまや100パーセント完治するようになりました。韓国では1992年に開かれた世界癩学会ソウル総会にてハンセン病の終了が宣言され、いまや韓国ではハンセン病は終わった状態となっています。

社会的偏見と無知による哀感

ハンセン病患者だった詩人韓何雲氏が記した「全羅道 黄土道」を読めば、ハンセン病患者の苦しみと苦難がどれほどのものであったかを知ることができます。彼らは荒れ果てた黄土道を歩かされ、自身の選択と意思とは何ら関係なく陸地から隔離された集団施設に収容されたり、小鹿島のような療養所へ送られ、寂しく、悲しい生活を過ごさなければなりませんでした。
ハンセン病であるというたった一つ理由だけで、愛する母親や家族から遠く隔てられ、生きなければならなかった彼らは、この地で人生を終える瞬間まで、言葉では言い表すことができないような苦難と悲しみの重みの中で過酷な人生を送らなければなりませんでした。しかし、彼らはハンセン病という疾病と戦いながら、社会的な偏見と無知に屈せず、今日、病に打ち勝ち、地域社会のあちらこちらで彼らだけの成功的な生活共同体を作り出しました。その中の一つが忠光北道清原郡芙蓉面にある忠光農園という小さな村です。この村を建てることができたのは、困難な環境と逆境を克服し、ハンセン病の痛みを踏み越えて、すっくと立ち上がった金新芽長老という人物がいたからでした。ハンセン病と戦い、また、それが元で目も不自由になりましたが、ハンセン病快復者として、視覚障害者として愛の共同体を導き出した金長老は、「この土地で生きて最後まで残るものと言えば、それは私自身がどんな仕事をしたのかではなく、他の人々のためにどれだけ愛を尽くしたかということです。」と、力を込めて語りました。いまや、彼の人生は私たちに愛と夢を与え、そして、日ごとに新しい挑戦を通して、真の勇気とは何であるかについて私たちに教えています。

金新芽長老を訪ねて

金新芽長老はそれまで世の中には知られていませんでしたが、ある日、国会議員が教会でもたれた集会に出席した時、金長老の美しい賜物を見い出したことによって知られるようになりました。
金長老が住んでいるところは、大田からわずか50余キロになる新興工業団地の近辺にあります。また、村の前には京釜線が通っていて、一日に数十回、汽車が行ったり来たりしています。村の近くにあるプガン駅は、乗降客はいなくても簡易駅としてピドゥルギ号がニ、三回程度は止まります。この村には70家屋に200余名の住民が住んでおり、山の稜線が村を抱いているように立っています。また、村の近くには錦江が流れており、美しい田舎の赴きを感じることができる場所でもあります。ただ、他の田舎の村とは違うところは、あちらこちらに、まるで工場のように畜舎が広がっているという点です。鶏が鳴けば一日が始まる昔の田舎と同じように、鶏の鳴き声と共に一日が始まるこの村は、どの村よりも一日が早く始まる所です。数十万頭の鶏と豚を育てているこの村では、鶏と豚の鳴き声で忙しく一日が始まり、夜遅くまで村人が忙しく立ち働いています。
この村が立てられたのは、わずか20余年前のことです。政府は60年代から70年代にかけて、過去にハンセン病歴を持った人々の再活を助けるため、陰性ハンセン病患者の定着村を設立する事業を推進するようになりました。今でも彼らを訝しく見る世の中の視線が残っていますが、当時、療養所を離れて定着村を立てようとしても拒否される風潮がありました。そんな中で、この定着村を立てるのに大きな寄与をした人たちの中の一人が、まさに視覚障害者であった金新芽長老でした。

金新芽長老とはどのような人か?

彼は今年、76歳になります。160余センチという小さな身長に眼鏡をかけている金新芽長老の第一印象から、端正さ、そして、どこかしら知的であり、仁者のおじいさんという雰囲気を持った方と感じることと思います。そして、青年の時にハンセン病により手の指が不自由になり、やがて、それが徐々に進行して、視覚1級の障害を持つようになったのですが、表面的には、目が見えないという姿以外は、特にハンセン病の痕跡を発見することはできません。
厳しい風雨を乗り越えて生きて来た人生の苦労話を聞かせてくださいという言葉に、ハンセン病を経験した一人の人間として外部の人に言い表わすことに細心の注意を払っているかのようような様子を感じましたが、「時間をかけてゆっくりとしてみましょう」という金長老の言葉から、相手に対する理解と配慮を感じることができました。喜寿を迎える金新芽長老の話を聞く前に、まずハンセン病の歴史を理解し、金新芽長老をよく知っている人の言葉を聞くために、彼がある時、生きた心の故郷とも言うことができる小鹿島を訪ねました。

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[原典:韓国「「タサラン」誌、1998秋号、オ・ヨンギュン/著、菊池義弘/訳]


金新芽長老の人生
金新芽長老の人生(1) 金新芽長老を訪ねて
金新芽長老の人生(2) 小鹿島を訪問
金新芽長老の人生(3) 年ごとに成長する忠光農園
金新芽長老の人生(4) 日本のワークキャンプ団体の訪問
金新芽長老の人生(5) 障害者のために余生を捧げたい


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