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中国のハンセン病に対する日中学生たちの取り組み

中国ハンセン病療養所入所者たちの声

ワークキャンプ中、中国のハンセン病療養所に暮らす人たちは、日中の学生たちにとって、自然な出会いと会話を通して、親切なおじいちゃん、おばあちゃんになってく。最後に、そんなおじいちゃん、おばあちゃんと、中国の学生たちの会話を紹介したい。

(学生) 結婚しているんですか?
(じいさん) ああ、わしゃ、結婚しとった。息子もおったよ。じゃが、1966年、この病気にかかってな。家を出て、この村に来なならんくなった。そん時、息子はまだ一ヶ月の赤ん坊じゃったよ。お前さんたちも知っとるじゃろがな、ハンセン病といやぁ、その時分、人が聞きゃあ、そりゃ身の毛もよだつ恐ろしい病気じゃった。昔はこの病気をどう扱っていいのかさえ、誰も知らなんだ。わしも、わしのヨメもひどく悩んだわな。ヨメは、ひどく驚いとった。病気になって6年後、ヨメはわしにいうた。「離婚してくれ」ってな。それからはな、わしのオフクロがな、わしの息子を育ててくれた。そうさな、そん時は、年に2,3度は、こん村まで、息子を連れて会いに来てくれたかな。
(学生) 家に帰りたいと思いますか?
(じいさん) いや、帰りたいとは思わん。帰る必要もないわな。ここがわしの家じゃ。こん村で、他の村人の面倒をみるのがわしの仕事じゃ。ま、医者みたいなもんよ。それがわしの仕事よ。毎月政府から、生活費が出る。それでやっていける。それにここにはたくさんの友だちがおるしな。ま、ここはでっかい家族みたいなもんじゃ。もし息子の家に帰ったとしても、かえって寂しいだけじゃよ。息子の村にゃあ、友達もおらんしな。それに息子の家に帰ったら、わしだけやなく、息子の家族まで差別されてしまうわな。
(学生) ここの村の人たちは、みなお互い助け合って生活してますよね。おじいさんは普段、他の村人にどんなことをしてるんですか?
(じいさん) わしらは、ゼニで人を助けることはできん。わしら自身が、自分の生活でいっぱいいっぱいやわな。じゃが、だからといって、お互い助け合えんわけやない。わしゃ自分のこと、幸せモンじゃと思とるよ。お前さんたちも知っとろうが、こん病気にかかると、足の裏の感覚がなくなるわな。わしらは若い時分、みんな野良仕事をしとった。野良仕事しとるとき、足の裏にキズこさえても、わしら気がつかんわな。感覚がないもの。そすっと足の裏に潰瘍(ウラキズ)ができる。そんキズが悪うなると、アシ、切らんといかんくなる。わしもウラキズこさえた。じゃがわしゃあ、恵まれとった。そん時わし。療養所でずっと休んどることができたもの。そんおかげで、わしの足も良おなった。
じゃが、みんなわしみたいに恵まれとったわけやない。そやから、わしゃ、思うんじゃ。わしみたいなもんが、年寄りや体の不自由なもんの世話せにゃいかん、ってな。わしゃあ、体の不自由なモンの代わりに、市場で買い物してやることできる。体の調子の悪いもんに、気ぃつこてやることもできる。ま、要するにじゃ、自分のできる範囲で、助けてやることができるっちゅうわけじゃ。結局わしら、大っきな家族みたいなモンじゃからな。
(学生) この村に来る前は、何をしてたんですか?
(じいさん) わしゃ、昔、党の娯楽部で働いとった。昔ぁ、田舎のほうは何の情報も入ってこんでな。田舎のモンは、国の政策のことなんぞ、まったく知らんじゃった。ほいでじゃ、歌じゃとか、演劇なんぞを通じてな、娯楽部は田舎の農民に国の政策を伝えとったんじゃ。ま、メディアってことかいな。
(学生) じゃあ、ここに来る前医療の仕事をしてたわけじゃないんですね。この村に来てどうやって医療のことを学んだんですか?
(じいさん) わしがこの村に来たころ、お医者が定期的にこの村に来とった。患者の治療をしにな。一般的な医療のことは、そんとき教わった。今じゃ村人が病気になったときゃ、みんなまず、わしんとこに来たがるよ。みな、わしに病気を治してもらいたがる。わしの手に負えんときだけ、村を出て町の病院に行く。じゃが、町の病院は高いからな。みな、お金なんかとても払えんよ。
(学生) おじいさんは、今の生活に満足してますか?
(じいさん) もちろんじゃ。昔と比べても、ほかの村人に比べても、わしゃ、モノもちなほうじゃ。そうさな、今から40年ほど前は、そりゃ、生活は厳しかったよ。とくにハンセン病の患者はな。そんときゃ、国も貧しかったし、わしらにくれるモンもほとんどなかった。ハンセン病の患者も、薬代を払わにゃいかんから、熱心に働いたよ。熱心に働くモンだけが、なんとか生活することができた。体が不自由で働けんモンは、そりゃあ、生活は厳しかったわな。それこそすずめの涙くらいのもんしか手に入らなんだ。必要なモンさえ、満たせなんだ。じゃが、ハンセン病者の生活も、すこしづつ、変わっていったな。20年くらい前から、国がわしらハンセン病者に対して、関心をむけるようになった。月々、国からもらえる生活費も、20年前は80元、いまじゃ、180元じゃ。この村の生活も良くなったもんじゃ。わしらみたいなもんは、不平、不満を言うてはならん。そんな道理がないわな。どんなことにも満足せにゃぁ、ならん。国や心の優しい人たちが、わしらのためにしてくれることに、わしらは感謝せにゃ。
(学生) 私たちのことどう思う? 私たちに会うの、どう思う?
(じいさん) そりゃあ、うれしいさ。心のそこからうれしい。村のモンみんな、そう思っとるよ。お前さんたちはわしらに幸せをはこんでくれとる。お前さんたちが来ると、村が、なんかこう、若なるわな。村のモンみんな、お前さんたちのこと、自分の息子や娘じゃと思とるよ。わしらみな、精一杯、お前さんたちをもてなしたいと思とるよ。
お前さんたちゃ、町の人間じゃ。じゃが、ここはえらい田舎じゃ。お前さんたちが、この村の生活に不自由しとらんか、わしら、ほんと、心配じゃて。体の不自由なモンも、わしらに、お前さんたちが不自由せんようにとうるさくいうとるわな。じゃが、あったかい気持ちで迎えることが、わしらにできるすべてのことじゃわな。
(学生) もしおじいさんが、大金持ちになったら、何に使いますか?
(じいさん) (少し微笑んで、そのあと首を横にふりながら)
そんなぁことは、ありゃぁせん。ありえんわな。
(学生) いや、もしです。もしも大金持ちになったらです。
(じいさん) (宙を見つめながらしばらく考える)
うーん。うーーん。そうさな。うーーん。もし、もしな。万が一、たくさんのお金があったらな。うーーん、そうさな。2つにわけるわな。半分はこん村のため。こん村にはわしよりずっとゼニを必要としとるモンがおる。助けてやりたいわな。そんモンたちを。それに古くなった家も建て直したいわな。設備も良うしたい。こん村のモンのために、ええ環境にしたいわな。もう半分は、息子と孫にやりたい。わしの息子も、生活はラクやない。若いころも満足にメシ、食わせてやれなんだもの。そやから息子、今でも体が良うない。ぎょうさん持病も抱えとる。医者に行くのもゼニがかかるからの。それに、息子にゃ、娘がひとりと、息子がふたりおる。あれじゃ、一学期子供を学校に行かせるの、200元以上する。子供を学校に通わすの、息子にとっちゃ、えらい負担じゃ。せやからわし、孫が学校にいくゼニ、払てやりたい。そいで、息子を少しでもラクにさせてやりたい。
参考文献

らい予防法廃止記念フォーラム報告集―排除から共生への架け橋(FIWC関西委員会、1998年).
大江満雄集―詩と評論(大江満雄、思想の科学社、1996年)
ハンセン病文学全集4 記録・随筆(鶴見俊輔編、皓星社、2003年)

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[西尾雄志(早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター)、原典:日中医学(財団法人日中医学協会、2005年5月発行)、2007年3月24日]

※この記事は、日中医学協会の許諾を得て転載したものです。
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